理想郷

@gumi_oisi

理想郷







ワタシには私が分からない。なぜこんなにも不思議に思うのか。


西暦5598年7月1日

殺人や強盗、戦争や飢餓。政治家の汚職から良心を持たない人間まで。それらは国連が治安維持のために導入したAIのジェスによって姿を消した。

そこかしこで紛争が起こり、食料問題や地球温暖化、疫病に治安の悪化など問題が山積していた社会は今はもう昔の事だ。驚くことに過去には拝金主義者がこの世界に散りばめられていたようだが、今となってはお金はもっとも要らないものの一つだ。なぜならワタシたちは教育をしっかり受けているから。ジェスの登場は最初に子供たちの教育やネット環境に影響を強く及ぼした。学校は受験に向けた勉強する場ではなく、歴史や言語、地球温暖化等の諸問題にどう対応するかの討論などより実践的な場に生まれ変わった。受験はいつしか廃れ誰もがエスカレーター式に大学へ進むようになった。またその諸問題には当然お金の問題が絡んでおり、子供たちはまだ思考が未熟なので講師型AIがお金は不浄で多く持ってはいけないものという認識を刷り込むことは簡単だった。次にネット環境だが暴言を書いたら即家に警察が入り、違法サイトや陰謀論などの誤った情報の書かれているサイトも全て消えた。当初の数十年は言論統制といえるこの状況に民衆の抗議活動が多発したが、ネットでその事について書き込んだら即削除、しかも国家反逆罪が適応されるとなっては騒ぐ人は減り、講師型AIに常識を作られた子供がいつしか社会を動かす年齢になった時、抗議活動は無くなっていた。


それから更に200年、世界は完全に変わった。

あれほど紛争が絶えなかった世界だが今はもう国家やナショナリズムという概念は消え、人類はジェスの提唱したガーヴァという共同体にまとまった。そこでは『 秩序を乱すべからず』という絶対的な1つのルールしか存在しない。わざわざそのルールを破る人はいないだろう。そんな報道は一度も聞いたことがないのだから。また人々はそのルールを守るだけで豊かな生活を享受できる。AIのより発明された核融合発電や万能薬、穴のない計画経済もそのうちの1つだ。おかげで人類の直面していた問題は霧散した。また、農業や建築業などの肉体労働はもちろん病院などの公共施設、インフラ、製造業、娯楽の提供、AI自身のメンテナンスまでもAIが行い、働いている人は少数で、大多数は役所で食べ物などの必要なものをを受け取って生活している。またAI教育の結果、次第にお金は諸悪の根源という考えが強まり、思いやりが大事とされ、人々はお互いにものを譲り合い生活をしている。いわば高度な物々交換だ。誰しも全く同じ教育を受けていて価値観に相違がなく、何でも手に入る環境のために物欲は極度に低い。もしあなたが何か欲しい物があればそれがなんであれ無償で譲ってくれるだろう。街を見渡せば行き交う人は皆笑顔で、人類は不自由なことは一切ない理想の社会を手に入れた。


それなのに今、自宅のベランダから外を眺めている私は違和感を感じる。どこか出来すぎていないだろうか、と。どこを見てもどこへ行っても皆笑顔だ。焦っていたり悲しんでいたりする人がいないどころか喜怒哀楽の喜と楽以外の表情を私は見たことがない。今まではこれが当たり前だと思っていた。しかし目が覚めたというか洗脳が解けたというか、少なくとも今私はなにか大きな違和感を感じる。誰しも生きることに何の不自由もない社会。これは私たちが望んだ理想郷であるはずだ。事実人々はこの世界になんの不満も感じず、豊かな暮らしを送っている。なのにどうしてだろう。なんだか人が人じゃないようなそんな不思議な感情に囚われる。AIの提唱することになんの疑問も抱かず従い、何らかの努力をしたりすることさえなく、私たちの人生はまるで敷かれたレールの上を機関車に引っ張られる客車のようだ。私たちは誰もがほとんどおなじ人生を歩む。こんな生活に本当に自由はあると言えるのか。そんなことを考えている時、ふと顔を上げると通行人と目が合った。私は軽く会釈をしたがその時私は戦慄した。今私は3階のベランダにいる。音も出していないし何か目立つこともしてない。ただ少し思索に耽っていただけなのだ。それなのに道行く人からの視線を集めている。軽快だったはずの人々の足取りは私の前でだけスローになったかのように感じる。それに心なしか人が集まってきている?そんなわけない!私は何もしていないのだから。慌ててベランダを出て家の中に入る。コーヒーでも飲んで落ち着こうとした瞬間トビラを叩く音がした。しかもコンコンではなくドンドンと。いついかなる時も人々は笑顔で、怒った人など見たことないし、当然ドアを乱暴に叩かれるなんて初めてだ。なんだか嫌な予感がした。そしてガチャン、と扉の開く音がした。

道具でも使ったのだろうか。

何故?

どうしてそんなに強引にウチに入ってくる?

私は何もしていな…い

頭の中で響く雑音とともに私はあるニュースを思い出す。

『 本日未明、私たちを楽園に導いたAIのジェスが新たな脳内チップを開発しました。これはガンや心筋梗塞などの予兆を感知し事前に知らせてくる画期的なもので…』

確かこれを聞いた人達はみんなチップを埋めたはずだ。そして私も多分に漏れず。

もしかしてこのチップが私の思考を読んだとでもいうのだろうか。

まさか。

だって医療用のチップだ。

そんなことできないはず。

でももし出来たら?

もし私の考えがこの世界の絶対的なルール

秩序を乱すべからず

に反していたら?


トン、


という肩を叩かれる音で私の意識は頭の中から現実に引き戻される。


目の前には満面の笑みを浮かべた40代ぐらいの女性がいて、私の肩に手を置いていた。

その後ろには10人以上の人がこれもまた笑顔で、しかし無言で私を見つめている。


一体なんなんだ。


あとずさるようにベランダに出ると私の家の周りには何百の人がいた。笑顔で。


ベランダとリビングを隔てている扉が空く。


私は両手をがっしりとつかまれ家の外にだされ


車に載せられ


どこかへ運ばれていく。


そして今私は人知れずガス室で殺処分されようとしている。


消えていく意識の中で私はこの世界の治安がどのようにして守られていたのかが理解ができ、教育の重要性も分かった。でもAIは何をしたいのだろう。

そうか。今思えば、私たちは幼い頃から常識を作られ、価値観を均一に、つまり個性を無くし、管理されやすいようにされていた。

つまり一昔前、人類が家畜に行っていたことをそっくりそのままAIが行っていたのだ。AIは私たちの世界を理想郷に作り替えた。ただし私たちにとってではなく、彼らAIにとってのだが。









人が考えることを止めた時それは人ではなくただの動物である。あなたはニュースやネットの情報を、はたまた友人や親から言われたことを何も考えず真実だと受け止めていないだろうか。自分にとって都合の悪いことはみんなにとっての悪であると考えていないだろうか。

この世界に絶対的な正義は存在せず、正義の対極もまた正義である。何が本当で何が嘘なのか色んな角度からそのことについて調べた上で肯定や批判をすることを私はあなたにおすすめしたい。そうでなければあなたは知らない内にジェスが創った世界の住人のように無知で反抗できないただの家畜と化してしまうだろう。


















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