誕生日

@nanashi9601

誕生日

包丁で肉を切るには、それなりのコツがいる。ただ力任せに押し込んでも、筋肉に押し戻される。前後に押し引きして、ゆっくりと切り落としていく。

 今日は、恵子の二十五回目の誕生日。そして僕たちが出逢ってから、三年の記念日。

 冷蔵庫には彼女の大好きなチョコレートケーキをワンホール用意している。

 仕事から帰ってきた恵子を驚かせたくて、内緒で料理を作っていた。

 大学時代から住み続けている安普請のワンルームは、建物自体は煤けて埃を被っているが、この部屋は女性らしく見違えるように綺麗に整理整頓されていた。今は僕が装飾して、ハロウィンパーティのような有様になっていた。

 大学生のときに彼女と出逢い、話していくうちに惹かれるようになった。一緒に食事に行っても、君は正面で話すのが恥ずかしいのか、僕の隣に座ったね。横顔を見ていると、幸せな気持ちが込み上げてくる。

「あっ…」

 包丁で指を切った。蛇口を捻り血を洗い流す。指先が白くなるまで流水で濯ぐ。折角の料理に血が入るのは不味い。

 今日、僕は結婚を申し込むつもりだ。指輪も手に入ったし。

 気を取り直すと、鍋に具材を放り込む。強火にして煮込んでいるうちに、サラダにとりかかる。キャベツとトマトを水道で洗い、食べやすい大きさにして器に散らし、ゆで卵を半分にカットして添える。

 煮えたぎる鍋に放熱の泡が立ち上り、まるでダンスをしているようだ。弱火にしてアクを掬い、水を張ったボールに捨てる。

 玄関の外から、足音がする。僕は慌てて、キッチンの照明を消す。意外にも早く帰ってきたようだ。

 鍵を回す音がする。玄関でスイッチを入れると、部屋中が明るくなる。

 僕はキッチンから玄関に繋がる廊下に素早く飛び出ると、クラッカーを発射する。

「お誕生日おめでとう!」

 恵子は、目を丸くして、微動だにしなかった。

「二十五歳、本当におめでとう! さぁ、結婚しよう」

 僕は掌に乗ったリングを差し出す。

「……あんた、誰?」

 それだけ呟くと、一歩下がる。

「その指輪、武史は――」

「あぁ、ちょうど、食べ頃だと思うよ」

 キッチンで鍋が唸りをあげる。どうやら、熱しすぎて中身が押し上げられて溢れ出したようだ。

 その音が僕には、

「おめでとう」

 そう祝福する声に聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誕生日 @nanashi9601

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る