優等生の退学

佐伯

優等生の退学

1 憂鬱な気分


「勉強を言い訳に部活をないがしろにするな、また部活を言い訳に勉強をおろそかにするな。勉強のことは勉強のこと、部活のことは部活のこととしてしっかりメリハリをつけなさい」

無精髭を生やし、いささか一学校の長であるとは思えない身だしなみをした校長先生は饒舌に持論を語った。前までは「勉強と部活を別々で捉えるな。点じゃない線で捉えろ」と言っていたが。

 コロナの名残か全校集会は放送で行われた。一年E組の教室で、この校長先生の話を聞いている人はおろか起きている人は半数にも満たなかった。

 四時間目、テスト終わり、これが終われば帰るだけ。そんな状況下で教室前方のドアが静かに開かれる。入ってきたのは亀山藍という女子生徒である。

 亀山藍は制服を着崩し、肩の位置まで伸びた髪にはインナーカラーの金色がちらっと顔を出す。見るからに不良少女である。

 このような問題児行動は普通なら担任教師・米岡早苗にひどく怒られそうであるが彼女は黙認した。それは彼女もこのクラスの生徒同様、校長先生の話によって眠気を促進されたからであろう。彼女は普段はかけない伊達メガネ、普段は着けないマスクを着けていた、彼女は数学教師なので様になっていると言えばなっている。米岡先生は眠いというより校長の垂れた講釈が耳障りかのような表情を浮かべている。まったく先生がこんな体たらくでいいのかと僕は眉根を寄せた。この集会に出るためにだけ学校に来た亀山藍が一番真面目なのではないか……いや彼女は教室に着き、席に座った瞬間に机につっぷし寝息を立て始めた。何のために来たのか甚だ疑問である。

 窓が開かれており、七月初めだというのに六月のように湿気った風がたまにカーテンを靡かした。霧雨の音は校長先生の声にかき消されていた。

 教室の窓側、一番後ろの席でカーテンを縛りまとめながらため息を吐いた。このため息の意味するところは昨日から痛い右手のこともあるが、この後にある面倒な予定のためだ。


 集会が終わると、教室に溜まっていた重苦しい雰囲気は嘘だったかのように騒がしくなった。気もそぞろではあったけれど、僕は平静を装い友達と談笑に勤しんだ。これはこの後の予定を誰にも悟られたくなかったためだ。その理由は単純で恥ずかしいからだ。

「今日は集会の時間が延びたのでホームルームは省略で、さようなら」

米岡先生は即座に荷物をまとめ、バインダーを持ち、大きな舌打ちをした。その行動からも分かる通り、米岡先生はすこぶる機嫌が悪そうであった。また去る時、彼女は僕を汚物を見るような目で睨んでいた。睨むなよ、睨まれるようなことはしたけど。 

 今度はその狂気の眼差しを――廊下側から二列目、一番前の席に座る――岸本さんに向けた。

「なんでカンニングなんかするんだ」

米岡先生の怒号が響く。岸本さんは今日の数学Ⅱのテストでカンニングをしたのだ。岸本さんは反省の意を丸くなった姿勢で示したまま黙っていた。

 先生は彼女の態度に顔をしかめ、一転して柔和な笑顔を――岸本さんの隣の席つまり廊下側、一番前の席に座る――葛西さんに向けた。米岡先生は肩にかけた手提げバックから資料を取り出し、葛西さんはなんらかの説明をうけていた。おそらく特待生制度に関することであろう。

 僕らの高校の特待生制度は成績上位者一名のみが獲得できる権利で、学費の全額免除などを保証している。

 しばらく米岡先生の説明を黙って聞いていた葛西さん。何を言ったかは聞こえなかったが彼女が口を開くと米岡先生はすぐに機嫌を悪くし、自分のいら立ちをひけらかすように力強く教室のドアを閉め出て行った。


 部活へ行く者、帰途に就く者、めいめいが教室を出て行き、葛西や岸本、亀山藍を含めた数人だけが教室に残った。僕は教室に残り続け、一人スマホをいじっていた。右手は痛いので左手で。

いつもは一目散に帰る帰宅部の僕を不思議に思うのか教室に残る生徒の視線の多くが僕に向けられている気がする、いや気のせいか。

 葛西さんの隣の席に座り、米岡先生にカンニングの件で叱られた、ボブカットで丸眼鏡がトレードマークのクラス委員の岸本さん。彼女は葛西さんと会話を楽しんでいたかと思うと、急に席を立ち僕の席までやってきた。そしておずおずと話しかけてきた。

「いつまで教室にいる?」

「四時までかな」

そう言い僕は黄色の腕時計を見ると、針は三時五十五分を示していた。岸本さんの声が涙声なのが少し気になった。彼女はそれを覗き込み、

「あと五分か。というか四時に着くように行くんじゃないの?」

「二、三分変わらないって。そっちは?」

「先生に待っててって言われている」

「そっか。ねえ、ちょっと……」、と僕はある物を渡そうとしたが岸本さんは葛西さんの隣の自席に戻ってしまった。溜息をつき、再び僕はスマホをいじり始めた。

 四時になり、気だるくバックを背負い教室を出て、僕は目的地まで行く時間を稼ぐようにゆっくり歩いた。E組のある北館二階から目的地のある中央館二階までは渡り廊下を左に曲がるだけだったため、あっという間に着いてしまった。目的地、つまり校長室に。よし、と覚悟を決めて校長室に入ろうとすると、ちょうどドアが開き焦っている様子の校長先生が出てくる。

「あっ君、ごめん。ちょっと待ってて」

それだけを言い残し、左手に大事そうに抱えたラッピングされた箱を抱え僕が来た道を辿るように去っていく。その後ろ姿を横目に、僕は校長室の扉を左手で開いた。


2 一悶着


 校長室には窓がない。だから中から外の様子を見ることはできないが、雨の音がありありと聞こえてきた。どうやら雨は勢いを増しているらしい。切れかかった蛍光灯の淡い光が照らす校長室は地面に物が溢れ返り荒れていた、あの大慌てな校長先生を彷彿とさせた。

 とりあえず待つことしかできないので僕はデスクの前に置いてある応接用のソファーに腰を下ろした。ポケットからスマホを取り出そうとしたその時、ドアがガチャッと開く音がした。意外と早く来たな、と思いながらネクタイをきつくする。しかし入ってきたのは校長先生ではなく、葛西さんだった。

 葛西さんは定期テストでいつも二位を取る根っからの優等生であり、それは見た目にも表れていた。綺麗にしわの延ばされた制服、張りのあるロングの髪を後ろで一つに結んでいた。同じクラスで顔と名前は一致している程度の関係値であった。

「あれ葛西さん、どうしたの?」

「いや別に」

愛嬌が全くなかった。話しかけてくるな、彼女の綺麗な三白眼は僕にそう訴えかけているようでさえあった。僕は気まずさと校長が戻ってきてからの不安からか口から出る言葉を止められなかった。

「校長先生、今ここにいないよ」

「うん、見ればわかる」

「僕、校長先生に呼び出されてるんだよね」

「私も」

「えっなんで?……って訊いたらダメか、ごめん葛西さん」

先ほどまでこの部屋に蔓延していた気まずさがより深みを増し、沈黙が続く。早く戻ってきてくれ、とドアの方に願うが、なかなか校長先生は帰ってこない。そんな中、この沈黙を破ったのは意外にも葛西だった。

「この部屋汚っ」

僕へ話しかけたのか、それとも独り言なのか分からないくらいのボリュームで葛西さんは話した。

「確かに」、と僕。

葛西さんはこの汚い部屋を漁り始めた。お菓子やら、書類やらが乱雑に置かれたこの部屋を見て回る彼女は、綺麗に整えられた身なりのせいか違和感しかなかった。手持無沙汰になった僕は、葛西さんに倣うように部屋に落ちているものを拾い始めた。葛西さんは家族写真を見つける。校長先生と奥さん、子供が二人が間に並び、全員が笑顔の写真だった。葛西さんは何かを思い出したかのように、僕へ質問を投げかける。

「昨日校長先生って奥さんに家追い出されたって本当?」

これは今日、口々に語られていたスクープだ。

「……うん、らしいね」

葛西さんから話しかけられた嬉しさから僕は返答するのがワンテンポ遅れた。

「校長先生と米岡先生の浮気が原因よね?」、と葛西さん。

「うん」

「どれくらい前から?」

「知らない」

「知らないのかよ」

「ごめん」

葛西さんの口調の鋭さに僕は反射的に謝ってしまう。

「じゃあってあなたと同じってことか」

「え?」

「いや浮気癖」

怖かった。まさか葛西さんが知っているとは思わなかった。よくよく考えると知らないわけがない。僕と彼女が付き合っていたこと、そして――

「彩佳、泣きながら私に電話かけてきたからね」

浮気をしてしまったこと。知っているに決まっている。先刻も楽しそうに話していた、葛西華と岸本彩佳。

「浮気するつもりはなかったんだ」

「じゃあ何」

「あい……あいつがどうしても一緒に買い物ついてきてっていうからさ。それにスタバも奢ってくれるって話だったから、僕は仕方なく……」

言い訳めいた言葉を連ねる僕に、葛西さんの鋭利なツッコミが飛んでくる。

「じゃあそれをそのまんま言えばいいじゃん、彩佳に!その子と出かける前に」

「僕も岸本さんに言おうと思ったけどわざわざ言うのも変かなって。なんか本当に意識しているみたいじゃん」

「言わないのが一番意識しているんだよ!」、と怒気強めな彼女の声。

「でも……」

まだ言い返そうとした僕の胸ぐらを葛西さんが掴む。その時、校長室のドアが開く音がした。入ってきたのは校長先生で、まだ腕にあの箱を抱えていた。

「ちょっと、ちょっとなにやってんの?君、手を離しなさい」

葛西さんは小さく舌打ちをして、掴んでいた僕のシャツから手を下ろした。校長先生は注意した後は二人には目もくれず、デスクの下からまた別のラッピングされた箱を取り出す。そっちの箱は一回開けられた跡があった。プレゼントをわざわざ自分で開けたのか?そんな疑問が残った。

「もうちょっと待ってて」

またすぐに校長室を出て行ってしまった。今度は箱を二つ持って。

「なんなんだ。あの人は」、と僕は右手の痛みを気にしながら呟く。

葛西さんはその姿を見て、

「右手どうしたのよ」

「ちょっとね」

葛西さんのポニーテールの髪が揺れる。そして静寂が再びこの部屋に訪れた。


3 校長室来訪理由推理ゲーム


 本降りになった雨の音に耳を傾け、ただ時間が過ぎていくのを立ったまま待つ二人。葛西さんは部屋漁りにも飽きたのか、あくびをしてソファーに横になった。僕はというとずっと立ちの姿勢を保ったまま考えていた、葛西さんが校長室に呼ばれた理由を。だがそれ以前に一つ大事なことがあった。それは葛西さんが僕がここに呼ばれた理由を知っているのかということだ。どうなんだろうか、と葛西の方に視線を向けていると彼女はなんの予備動作もなく口を開いた。

「ねえ、そんなに気になるの?」

「えっ何が?」

「私がここに呼ばれた理由でしょ。なにとぼけてんだよ」

「ごめん」

「別にいいよ。それとすぐに謝るのやめてくれないかな、まるで私があなたを問い詰めているみたいじゃない」

問い詰められてるんですけど!とはさすがに言えず表情筋が固まる。

「ごめ……」

危ない、また謝るところだった。

「まあ教えてあげることは構わない。けど浮気をするような最低なあなたにただで教えるのは癪だから言い当ててみなさいよ。その代わり私もあなたがここに来た理由を探っていく。もし仮に私が先に言い当てた場合、私がここに呼ばれた理由はあなたには教えない」

あっ葛西さん知らないんだ、僕がここに呼ばれた理由。そう思うと少し表情筋が弛緩する。

「なに笑ってんの」

「あっごめん……あっ」

また謝ってしまった、と気づくころには食い気味で、

「いや今のは謝るとこ」

僕の一瞬緩んだ表情は思い出したかのように再び固まった。このまま黙っているのも辛いから葛西さんがここに来た理由を当てる質問を考える。が、その前にさっきの彼女の提案には一つ引っかかる点があった。

「葛西さん、別に僕の理由はすぐ教えるよ。葛西さんが言い当てる必要はないんじゃ……」

だから、と葛西さんは僕の紡ぎ途中の言葉を遮った。

「それじゃあまた私が悪者みたいになるじゃない」

「なるほど」とは言ったものの、僕には彼女の組み立てた論理がまったくもって理解できなかった。だが彼女は僕が納得したと解釈したようだ。

「要はゲームよ。言うならば『校長室来訪理由推理ゲーム』よ」、と彼女。

最初の愛嬌の無さが嘘のようにあまりにも誇らしげに言うのでまた顔が綻びそうになった。両頬を叩いた。また笑うなと言われるに決まっている。

「じゃあ聞きたいことがあるんだけど」

どうぞ、と彼女は僕にソファーを勧めるような手ぶりをした。

 こうして『校長室来訪理由推理ゲーム』が幕を開けた。

ゲームと言うなら負けるわけにはいかない。僕は負けず嫌いなのだ。ゲームを提案する彼女もまた負けず嫌いなのだろう。

 校長室に呼ばれるにはそれなりの理由が必要だ。例えば退学とか。優等生の彼女が退学するなんて不思議だが。手掛かりはここに呼ばれた時間にある。

「まず、いつ校長室に来るように言われたの?」

「帰りのホームルーム後」

僕はこの情報から推理しようとするが、推理タイムはなく彼女の説教だ。

「あなた、随分直線的過ぎる」

「駄目なの?」

「駄目ではない。けどそれじゃあ刑事みたいでつまらない。私ね探偵役が刑事のミステリー小説嫌いなの。怪しい身なりの探偵が気づいたら犯人も動機もトリックも解いているみたいなのが好きなの。だから刑事みたいにあからさまなアリバイ確認みたいな君の質問の仕方、まるでセンスが感じられない」

女子に真っ向からセンスがないと言われるのは初めてだった。不意に涙が出そうになるのを堪えた。

 彼女のターンが始まった。

「だから私は少し迂遠な質問をさせてもらうけど、なんで彩佳とあなたお互いに苗字さん付けで呼んでるの?」

「距離を取っているから」

「は?」

友達思いの優等生の視線がセンスない発言も相まって鋭さを増していた。僕は取り繕うように説明をした。

「岸本さんは僕のことを許してくれたんだ、浮気のこと。でもまだ整理がつかないらしくて、それで距離を置こうって岸本さんに言われて」

「えっ呼び方は関係なくない?」

「その……なんていうの物理的な距離をとるのは無理じゃん、クラスが同じわけだし。だからせめて呼び方をって僕が提案し……」

「喋らなきゃいいじゃん」

「それは無理でしょ。岸本さんクラス委員だし」

不満気ではあるが一応理解はしたようだ。だが依然として葛西華は華という名前からは想像できない程の凄まじい眼光を放ったままである。

「でも彩佳は言い慣れないみたいだね。根芝君とは」

「え?」

「私、教室での会話が聞こえたの」

「一番前の席から一番後ろの席の僕たちの会話が聞こえたってこと?」

「そう」

「本当に?」

「嘘つくわけないでしょ。私地獄耳なの。それで聞こえたのよ、彩佳が薫君って言いかけているの」

「そうだったね」

呼び方を変える前までは僕、根芝薫は岸本彩佳のことを彩佳ちゃんと呼んでいた。また岸本さんは僕のことを薫君と呼んでいた。

「彩佳は可哀そうだよね。浮気発覚、今から一週間前だよ。定期テスト一週間前だよ。ねえあなた自分の彼女が他の男と遊んでいる、いやそれ以上のことしているって分かって勉強集中できると思う?」

「うーん、どうだろう」

「馬ッ鹿じゃないの。反語だよ、集中なんてできるわけないでしょうが。だから彩佳はカンニングしたんでしょうが」

なんでしたんだ、と僕は不思議だった。だが、今の葛西さんとの会話で気づいた。いや教えられた。岸本さんがカンニングしてしまったのは僕のせいだったんだ。僕が浮気まがいなことをするから試験勉強に身が入らずカンニングなんていう選択をさせてしまったんだ、と反省した。

「そんな悲しそうな、反省してますみたいな顔しているけどあなたは大分言いなれているみたいね、岸本さんって」

「いやそんなことはないよ」

「亀山さんのことは言い間違っちゃうのにね」

「えっ」

「私があなたに浮気のこと尋ねた時、『あい……あいつがどうしても買い物……』って亀山藍の藍って言いかけたのをあいつって誤魔化したんでしょ。あなた彩佳とは一回も言い間違えないのにね」

「いや違うよ。『あいつ』って言う時に噛んだだけで」

嘘である。普段から葛西さんが浮気相手と指摘する亀山藍のことを藍と呼んでいる。でもこれに関して僕は悪くない、藍がそう呼べって言ってきたのだ。

「まーいい。ターンエンドよ」


 ここでやってくる僕の二回目のターン。直接的なことはセンスない発言により言うのは憚られるし、なにより岸本さんのことで場の雰囲気がどんよりしている。唇に重さを感じる。が、質問するしかない。

 当てはある。いかにも何か考えがあるように髪の毛をくるくる手で弄んだ。

「米岡先生を怒らしていたのはなんでだ?」

「さっきに比べたら幾分マシな質問ね」

「おそらく特待生制度の説明を受けていたはずだ。いつも真面目で自習室に残って毎日勉強に勤しんでいる葛西さんにとっては絶好のチャンスのはず。なんで怒らすようなことをしたんだ?」

「拒否権を使うわ」

「なにそれ?」

「一人一回使える権利よ。あなたも使ってもいいわよ」

僕の探偵っぽさ重視の一手は『校長室来訪理由推理ゲーム』新ルールの『拒否権』という横暴の犠牲となってしまった。文句も不平不満も言いたいところだが圧倒的に立場の弱い僕には為すすべなくターンエンドである。しかし拒否権を使うということは葛西さんが校長室に来た理由は特待生についてのことという確固たる証拠だ。

 私の番ね、と優等生の彼女の持つ女帝のような一面を垣間見せると、二ターン目裏の攻撃が始まった。

「教室での会話、本当に聞いていて不思議だったのだけれど、なんで彩佳は四時まで『あと五分か』って言っているのにあなた疑問に思わなかったの?」

彼女の質問の意図がまったくもって分からなかった。

「何か疑問点があった?今ので」、と僕。

「大ありでしょ。教室の時計は三時五十分だったわ」

「ああ、僕の腕時計の時間が三時五十五分だったんだ。そっかずれてたんだ」

目線を左手首につけた腕時計に落とす、針は四時半を示す。正確には四時二十五分ということか。

「なるほどね。まったくその腕時計の派手な黄色、そこからあなたの趣味の悪さが見て取れるわね」

五分ずれた時間の真相がたいしたことなく、その腹いせに彼女は僕の悪口を言い出したのだろう。しかし彼女は墓穴を掘った。

「これ岸本さんからのプレゼントなんだけど……」

女帝の表情は一気に曇った。ターンエンド、とターン初めの威勢の良さは消えた言い方だった。


 じゃあ僕のターン、とオクターブ高くなった声で言った。だがこの後の言葉が続かない。特待生のこととについて聞いたらすぐ分かりそうなものだが、それを訊くのは彼女曰く、センスがない。彼女は遠回りな質問をして僕がここに来た理由を絞れているのか?いや彼女のことを考える前にまずは自分だ。困った。もう僕には探偵みたいな質問の手札は残されていない。あまり小説を読む方ではないから、探偵役がどういうことを言うのかの知識の量がない。ドラマくらいは見るが、見るといっても『相棒』くらいだ。杉下右京も変わり者だが、刑事の域を出ない。そうだ亀山君はいないが亀山さんならいるし電話で相談でもしようか……いやそれだとまた彩佳を泣かせることになる。捜査協力を頼んだってなんか響きが怪しいし。

「なんだ。やけに明瞭な口調だったから何か核心に迫るようなことにでも気づいたのかと思ったけど、あなたもしかして何も思いついていないの?」

葛西さんの曇った表情は気づいたら、晴れやかなものへと変わっていた。どうやらこの女帝は威勢の良さを取り戻したようである。

 何も言えずにいる僕。彼女は今まで以上に上から目線で、

「ヒントいる?」、と提案した。

「……欲しいです」

情けない声が出た。非常に恥ずかしい。背に腹は代えられないのでしょうがないか、と自分を慰めた。

いいでしょう、と葛西の口調からは彼女が優等生であるとは感じられなかった。

「こういう時のセオリーは大抵、範囲を広げること。例えば、別の人の話をするとかね」

なるほど、と素直に感心していると、

「ちなみに代償に拒否権没収ね」

「え?」

やっぱり女帝だ、葛西さんは。

 葛西さんにもらったヒントのおかげで質問はまとまった。やっと僕の三ターン目が開始だ。

「校長先生が持っていたプレゼントボックス、あれは何だと思う?」

「私のヒントまんま使ってるのね」

呆れたようで、どこか嬉しそうな口調で彼女は言葉を紡いだ。

「その質問、それは一つ目のプレゼントの箱について言っているの?それとも二つ目あるいは両方?」

「両方だ」、と僕。

「十中八九、一つは浮気相手つまり米岡先生への謝罪用。もう一つは誰かへのプレゼント用」、と彼女は妖しく笑う。

「誰かって」

「今日、誕生日の誰か」

僕は知っている、今日誕生日の人を。

「岸本さんだとでも言いたいのか?」、と僕。

「うん」

「そんなわけない!」

「何か不満でも?」

「違う。ただ岸本さんに校長先生がプレゼント渡す理由が謎だ」

「謎じゃないわよ。彩佳可愛いじゃない」

「いや可愛いけどさ、校長先生もう六十近いおじいちゃんだぞ。高校一年生に手出さないでしょ」

「いやいや今は年齢、国籍、外見も関係ない時代だよ」

「wacciかよ」、と僕がツッコむ。

「なにそれ」

伝わるツッコミができず残念。いやそんなことよりだ、確かに今はグローバルな時代だけども校長先生が彩佳に?さすがに納得しがたい。

「それに辻褄は合う」、と葛西さん。

「どういうこと?」

「だって彩佳は先生に教室で待っててって言われた。つまりそれは校長先生が彩佳にプレゼントを渡したいから待っててと言ったんだ」

「岸本さんが呼ばれたのはカンニングだろ」

「朝の段階から彩佳は先生に呼ばれてるって言っていた。だから一緒に帰れないねって話もしたんだ」

だとすると本当に校長先生と岸本さんが?いやないない。

「さあ私のターンね」

矢継ぎ早に葛西さんが自分のターンにしようとするのが変だった。それにまだ僕の三ターン目が終わらされるわけにはいかなかった。もう一つのプレゼントボックスについて訊けていない。

「ちょっと待って。もう一つのプレゼントボックスは?」

「あっ」、と忘れていたような返事だった。

「さっき葛西さんは『浮気の相手つまり米岡先生への謝罪用』って言った。どういうこと?」

「少し考えれば分かるでしょ。昨日浮気がバレて家を追い出されたのよ、あの校長先生は。なんでバレたのだと思う?」

「え、わかんない」、と僕。

「浮気のバレ方なんて二種類よ。浮気相手とのデート中に出くわす、写真を撮られる。それか浮気相手の密告」

「で、今回はどっちだ?」

「おそらく後者」、と葛西さん。

「密告ってことか。てかなんで密告なんてするんだ?」

「考えられる理由はこれも二種類。奥さんへ私の方が勝っているんだという挑戦状か、校長先生が浮気相手を怒らせるような何かをしたか。今回の場合はこちらも後者でしょうね」

なんで葛西さんこういうこと知っているんだと疑問符がつくが、彼女はどうやら小説よく読むっぽいしそこで得た知識なのだろう。

「なぜ後者?」

「今日つけていた伊達メガネ。あれは涙の跡を隠すためでしょうね。マスクの理由も似たようなものでしょう」

彼女の推理力には驚かされる。思わず僕は息を飲んだ。

「何をしたか。それが二つ目のプレゼントボックスに関わってくるんでしょうね」

葛西さんは意味深長な言葉を発した。そしてこれで僕のターンが終わった。

 三ターン目裏の僕の守備は、静けさと共に始まった。

「そういえばあなただけ一ターン目に直接的な質問していてフェアじゃないから、あなたがいつ校長室に来るように言われたのか言って」

命令口調で葛西さんは言った。

「今朝」

なるほどね、と彼女は不敵な笑みを浮かべる。その笑顔はまるで僕がここに呼ばれた理由が分かったかの……え?もしかして分かったのか。

「まさか分かった?僕が呼ばれた理由」

「いいや、まだ。けど私多分次のターンで答え分かっちゃうわよ」

そして三ターン目裏は不穏さを生み終わりを告げた。


 四ターン目が始まる。おそらくこれが最終ターンだ。僕はもう拒否権が使えないからここで決めるしかない。もうセンスがない発言にビビっていられない、勝ちたいからな。この四ターン目で白黒つける。質問内容はひねりなしの『米岡先生を怒らした理由』だ。拒否権によって拒否された内容をもう一度質問してはいけないというルールはない。

「じゃあ四ターン目の質問だが……」

「拒否!!!!!」

葛西さんは高らかに拒否権を宣言した、もう使ったはずの拒否権を。

「拒否権は一回だけじゃないのか」、と僕。

「あなたは何を勘違いしているの?今使ったのは私の拒否権じゃない。あなたから没収した拒否権だ」

僕は開いた口が塞がらなかった。完全に油断していた。

「没収したのを使うのは卑怯だ。チェスなら無理だぞ」、と無理のある反論をする。

「残念ながら将棋と一緒よ、このゲームは。」

案の定、綺麗な返しが飛んでくる。これはどうしようもない。諦めよう、反論するのは。

「じゃあ葛西さんがここに来た理由を回答する」

「いいの?回答権は一回だけだよ」

初出のルールだがこれはなんとなく予想できていた。

「大丈夫」

「言ってみなさい」

 僕は米岡先生が怒った場面を思い返しながら予想を述べた。

「葛西さんは特待生制度を勧められた。だが君は断った。葛西さん、もしかして岸本さんと同じように君もカンニングしていたんじゃないか。岸本さんにカンニングを提案したのも葛西さん。だけど岸本さんのカンニングがバレて葛西さんはいたたまれなくなった。だから君はカンニングのことを自白し米岡先生は怒った。それで君はカンニングをして不正に特待生制度を受け取ろうとした、それで優等生であったはずの君は停学処分いや不正に何十万円も騙し取るようなもんだから退学処分になったんだ。」

葛西さんに人差し指を僕に向けまくし立てた。

「その推理は面白い。けど、想像している部分が多い。かすっているところもあるけど根幹が全然違う。これで君は回答権を失った」

分かっていた、当たるはずないと分かっていたが。調子に乗ってしまった、ここで当てたいという負けず嫌いという性分のせいだ。

 わざとらしい葛西さんの咳払いが四ターン目裏の始まりの合図となった。

彼女は開口一番で僕が校長室に呼ばれた理由の核心を突いた。

「その通り」、と僕は右手をさすりながら答えた。

「じゃあ回答権を使うわ」

「どうぞ」

僕はゆっくりと待った。体中の汗腺から汗が噴き出した。

「あなたは彩佳を守ったのね」

汗はゆっくり止まった。正解を彼女が語り終えるのを待つように。


4 優等生の退学


「まず質問にはしなかったけれど私はずっと気になっていた。なぜ学年二位の私に特待生の話が舞い込んで来たのか。ずっと一位のあなた、根芝薫がいるにも関わらずね。あなたは馬鹿だけど勉強だけはできた。いつも教室でだらけることなく、即家に帰っていたものね。あなたが特待生の話を断ったとは考えにくい。断ったのだとしたらもっと早くその話が舞い込んでくるはずだから。退

 そこで私は仮説を立てた。退学理由は先生との諍い、それも校長先生かもしくはその人を操れる人。つまり諍いがあった先生は米岡先生だと。教室であなた米岡先生に睨まれていたしね。そしてあなたは直接的には関係のないこと。これが分かったのは私がここに来た理由も少し関わってくるのだけど……まあいい。関係あるのは彩佳なのよね。

 細かいこと聞くのも野暮だったし、退学とかナイーブな話ただ淡々と言われたって困っちゃうからゲームっていうポップな形式をとることに決めた、校長室に入る前にね。この意図あなた分かっていなかったでしょう、負けず嫌いなのがよく伝わってきたわ」

心を読まれすぎて顔が赤くなる。彼女は構わず続けた。

「一ターン目に尋ねた『さん付けの理由』昨日何かがあったこと、この呼び方に諍いの秘密が関係しているのではないかと思ったの。彩佳、私の前ではずっと薫君って呼んでいたしね。結果はハズレだったけど。

 二ターン目『時間のずれ』二人だけの合言葉?と思ったけどこれも腕時計がただ五分進んでいただけで空振り。

 そしてあなたの三ターン目、私のあのヒント、米岡先生の話をしてくれることを期待していたんだけどあなたは校長先生の話をした。まぁ関係者だから問題はなかった。その答えと私の三ターン目の『いつ校長室に来るように言われたか』と四ターン目の『米岡と彩佳が揉めたか』という三つで私の中で解が導き出された。米岡先生と彩佳の諍い。あなたも気づいていないその理由。見当つく?」

「え……いや校長先生絡みなのはなんとなく」、と僕。

「そうね。校長先生と米岡先生と彩佳、三人の三角関係……いいえ彩佳は巻き込まれただけだから三角関係とは言えないね。伊達メガネで隠したのは涙の跡で、マスクもそのためだろう。昨日の定期テスト三日目の放課後、米岡先生を怒らせるなにか、それは岸本彩佳への校長先生の恋心だったんだ。二つ目のプレゼントの箱には開かれた跡があった。それは米岡先生が開けて中を見たということ、そして分かっちゃったんだ、校長先生の恋心がその怒りの矛先は校長先生に向く前に彩佳に向いた。それをあなたは助けたのね、事情も知らず。あなたに阻まれた米岡先生の次なる矛先はそもそもの元凶の校長先生。米岡先生自身と校長先生の関係を密告をしてたぶん脅したのね、私を邪魔したあの男子生徒を退学させろ、って。さもないと女子高生を狙っていたこともチクるぞって。それであなたは今日の朝に校長室に呼ばれた。簡潔に言うとあなたの校長室来訪理由は米岡先生の怒りを買ったことによる退学」

「そうだよ」

彼女の話はある一点を除けば完璧で僕の知っている範囲を超えた完全解答だった。

「ただ、少し違う。米岡先生へのただの反発なら退学にはならないよ」

「じゃあ何なのよ」、と訝しげな視線を送る彼女。

「マスクを着けていた理由だよ」

「なに?」、と打って変わって今度は興味津々な様子の彼女。

「ビンタしたんだ」

「えっ!?」

彼女はこのゲーム始まって以来、初めて腰を浮かせた。それほどの衝撃だったのだろう。それはそうか、男が女性を殴るなんて。反省している。一生の恥である。背中の傷である。

「そりゃあ退学だわ」

「おい」、とツッコむ時にはもう汗はとどまることを知らなかった。

「嘘よ、あなたが手を出したのは米岡先生にも非があることだし。それにしても痛そうにしてた右手はそういうことね」

「うん」、と僕は右手を隠した。後悔の現れである。

葛西さんは息を大きく吸い、短く吐き、鋭利な眼光を放つ。だが、僕の校長室来訪理由が当てられるまでの眼光とは違った。その鋭さの中にどこか優しさがあった。

「じゃあもうゲームは終わりか?」、と僕。話を聞いていた時のしかつめらしさはなくなっていた。

「まだよ。私三ターン目でいつ校長室に来いって言われたかを聞くときなんてあなたに言ったか覚えている?」

「いや」

「フェアじゃないと言ったの。フェアに終わりたいしそれにあなたがここに呼ばれた理由にも少なからず関係がある」

「なるほど」

彼女は天を仰ぎ、一旦頭の中の情報を整理しているようだ。僕は再び背筋を伸ばした。


5 校長室来訪理由推理ゲーム・続


 僕は普段気にしない前髪を整えていた。やっと彼女が口を開いたと思うと、びくっとしてしまい手櫛で解いた前髪がボサボサになってしまった。

「あなた、なんであなたがここに呼ばれたか分かる?」

「だから僕のビンタが」

「もちろんそれもあるけど」

「いくらビンタしたからといって、米岡先生の一番の怒りの向かう先は彩佳でしょ。あなたなのはおかしい」

確かに、僕よりよっぽど岸本さんの方が退学させられそうである。校長先生のエコ贔屓だとしても、米岡先生の脅しがあったとしたらそれも考え難い。

「じゃあなんで?」

「そこで私がここに呼ばれた理由、私は彩佳のカンニングを手伝ったの」

やっぱり葛西さんが呼ばれた理由はカンニング関係だったのか。さっき『かすっているところはある』って言っていたのはこのことか。『根幹』とは自分がしたのではなく手伝ったというところだったわけか。

「……それは米岡先生が脅していたのは校長先生だけではないということ」

「まさか岸本さんも脅されていたのか」、と僕。

「そういうこと。まーあなたの話を聞いていて私が思っただけなのだけど九割九分の確率で当たっている。あなたが浮気をして勉強が手につかなくなったからカンニングするしかなかったのだと私は思っていた。でもよくよく考えれば彩佳がカンニングをしたのはバレた二時間目の数学の時間だけ、少し変よね。だって米岡先生の担当する数学の時間だけなんだよ。」

「えっだとしてどういう脅しだったんだ?」

予感がしていた。嫌な予感がした。けど、認めたくなかった。だからあえて察しの悪いフリをした。

「何点だったのかは知らないけど、いい点数を取れなけば根芝薫を退学にする。そんな脅し文句だったんだろうね」

「やっぱり」

僕のために岸本さん、いや彩佳ちゃんはカンニングをしたのだ。僕は下を向いた、顔を上げることはできなかった。その間、教室での会話を思い出した。涙声だったのは怒られたからじゃない、あれは僕のために流した――。

「本当に彩佳ちゃんは優しいな。これで退学なら僕は本望……」

「やっぱり馬鹿じゃないの、あなたは。」

「え?」、と僕は目を丸くする。

「米岡先生はもともとあなたを退学させる気だったのよ、数学のテストが始まる前の今日の朝の段階から」

葛西さんの話を聞きハッとした。でもそれだと脅迫の根拠が薄くなる。もともと僕を退学させる気だったのなら彩佳を脅す意味もないのではないか。

「じゃあなんで脅すなんてことになるんだ」

「それはもちろん彩佳に恥をかかせるためよ」

「……」

僕は何も言えなかった、腹が立ちすぎて。

「彩佳が試験勉強できていないこと、それを分かって脅した。カンニングさせるためにね。そうすれば彩佳がカンニングしたっていう噂が広まるから」

「許せない」、と米岡先生への怒りで僕の声はドスの効いた鈍いものになっていた。

僕を退学にさせるのは仕方ないと思った、ビンタという教師への暴力という最大の過ちがあったからだ。でも彼女は違う。校長先生が身勝手に持った恋心、米岡先生の見当違いな嫉妬心、どれもこれも彼女の領分を優に超えている。

「そうよね。だから私はここに来た」

「ん?」

葛西さんは不思議なことを言い出した。だって、

「葛西さんの校長室来訪理由はカンニング幇助でしょ」

「違う。私は確かにここに来るように呼ばれた。でも私は呼ばれる前からここに来る予定だった。なぜなら私の校長室来訪理由は抗議だから」

「え?だって校長室に呼ばれたのは……」

「このゲームはここに呼ばれた理由ではなく、来た理由を当てるゲームよ」

だとすると僕は『校長室来訪理由ゲーム』で勝ち目はなかったということではないか。彼女が来て早々僕は『僕校長室に呼ばれたんだよね』と言うと彼女は『私も』と答えた。だから僕はずっとどうしてここに呼ばれたかという視点で考えていた。だが、実際にはなぜ呼ばれたかではなく、なぜ来たか。

「そんな僕、勝ち目なかったんだ」

「だから言ったでしょ。私は校長室に来る前からゲームをすることを決めてたって」

僕は絶句した。恐るべし葛西華。

「それで抗議って具体的には?」

「校長先生に対する抗議。私が特待生制度を繰り下げの形でもらうのは気に食わないということね。根芝薫がなんで退学になるのか、質問するためでもあった。そしてここに来てから増えたもう一つの校長先生への抗議。あなたと話して気づいた真実、米岡早苗先生の男子生徒を退学に追い込む職権乱用、女生徒への脅迫、それらに対する抗議」

友達思いの優等生の双眸はどこまでもまっすぐで、僕の目を捉えていた。その瞳に誠実に答えようと僕は口を開いた。

「それ僕も協力するよ」

「いいでしょう」

やっぱり彼女の女帝感は拭えなかった。笑みがこぼれたが、笑うなとは指摘されなかった。だからちょっと調子に乗って、

「一緒に戦おう」

「戦うってほどでもないわ。校長先生は浮気しているあげく、さらに別の女に手を出す様な最低男よ。真正面から抗議すれば瞬殺よ」

僕には耳の痛い話だ。女帝に対する恐怖心が強まった、だがそれと同時にこの人なら彩佳ちゃんを助けてあげられるという安心感もあった。男のプライド的には葛西さんではなく僕が助けると言いたいところだが、ここは共闘と行こう。

「さすがだね」

「助けてくれるのはありがたいけど、あなた寝返ってあっちへ行かないでよ」

「行くわけないじゃん」

「行くかもしれないじゃない。だってあなたと校長先生似た者同士じゃない」

「ごめん」

「だから謝るな」

あっ忘れていた。恐る恐る彼女の方を見てみると意外と穏やかで、

「冗談よ。なにその顔、間抜けな表情」

女帝の笑い声が、荒れた校長室に響いた。

 こうして『校長室来訪理由推理ゲーム』が幕を閉じた。


6 猛抗議


 外では雷が響いていた。校長室でもかなりの轟音だ。落下位置はよほど近いのだろう。

 蛍光灯がチカチカと照らす。

 扉がガチャッとした開閉音を立てた。やっと来た僕らの校長室来訪理由の元凶が。

 僕と葛西さんは目を合わせた。ピッと変な音がした、劣化した蛍光灯の音だろうか。

 手ぶらの校長先生は呑気に自分の禿げた頭をポリポリと掻いていたた。

「お待たせして申し訳ないね」

校長先生はデスクの椅子に腰を下ろした。校長先生から向かって左手に僕、右手に葛西さんという構図だった。僕らの並々ならぬ雰囲気をやっと分かったのか、校長先生は黙った。だが依然として口角は上げたままであった。そしてしばしの沈黙。口火を切ったのは僕だった、これが男のプライドである。

「校長先生、お話があります」

「なにかな。君、名前は確かそう根芝君。退学する前になにか言っておきたいところでもあるのかね」

今にも殴りそうなほど校長先生のとぼけ方は鮮やかだった。葛西さんが拳を握ったのが分かった。彼女も僕と同じ気持ちなのだ。

「米岡先生を殴ったのは僕が悪いです。けど先生が先に彩佳ちゃんへあることないことひどい悪口を言っていたんですよ」

「証拠はあるのかな」、と校長先生は冷酷なキングのように口角を落とし僕を睨んだ。

「証拠というならそちらも証拠はないはずです。米岡先生からの証言だけでしょ。それならこっちも一緒です、彩佳ちゃんからの証言ならある」

「でもこっちは米岡先生の顔の腫れ、そしてなにより君の右手の赤み、それは君が米岡先生を殴った何よりの証拠ではないのかな」

僕は言葉を失った。キングに追い詰められた僕は、直属の兵いや奴隷のように為すすべがなかった。

 けどさ、とキングと奴隷の間に割って入ってきたのはさっきは校長先生と同じように僕を追い詰め、友達思いで弁の立つ女帝だった。

「証拠はないのかっていうのは犯人って決まっているのよ。大抵ね無実の容疑者はそんなわけないとか、私は本当にやってないとか焦りながら口が回らなくなってしまうものなんですよ」

女帝はミステリー小説の知識を武器にキングへとはむかった。これしきで黙っているキングではない。

「面白いね、君は。確か君の名前は葛西ちゃんだね」

ちゃん付け、さすが浮気をする男は違うなと僕は毒を吐く。が、ブーメラン発言であったことに気づいた。前言撤回だ。

「ちゃん付けで呼ばないでもらってもいいですか。容疑者のくせに」

「これでボクに嫌疑がかけられるのはどういうことかな。これは米岡先生と岸本ちゃんと根芝君の問題でしょ」、と校長先生。

「でもその諍いの遠因を作ったのは校長でしょ」

この葛西さんの発言で校長先生も察したのだろう。こちらが浮気の事実に気づいていることに。

「まーいいです。根芝君は退学、葛西さんは特待生の権利のはく奪。それでおしまい」、とすぐに話を終わらし、出て行くために席を立つ校長先生。それを葛西さんが見逃すわけがない。

「米岡先生のことは普段なんてお呼びしているんですか?」

校長先生は虚を突かれ、上がりかかった腰を再び下ろした。

「別にボクは米岡先生のことを好きなわけじゃない。彼女が勝手にボクに惚れているだけで」

「嘘だ。校長先生は自分から口説きに行くタイプだ」、と僕。

「勝手に決めつけるな」

「じゃあ彩佳ちゃんが校長先生のことを口説いたってことですか?」

「あーそうだ岸本ちゃんだってあっちから……」

校長先生の顔が急に青ざめた。気づいたのだ、取り返しのつかないことを言ってしまったこと。彼の禿頭の反射も今やまぶしさを感じない。

 僕らの反撃開始。女帝の一方的な蹂躙が始まる。

「認めるんですね。彩佳と校長先生が恋愛が絡んだ間柄であることを」

「絡んだというかあっちの片思いだけど」、とキングっぽさが消えた校長先生。

嘘だとしても聞くに堪えなかった。苛立ちのせいか足が震えて止まらなかった。

「じゃあなんでしょうね。あのプレゼントの箱は」

「あれは別の人用で」

「じゃあ違うことを確かめましょうか。見に行けば分かることです。根芝君、E組の教室へ行って」

「分かった」

僕はすぐに校長室を出ようとソファーから立ち、ドアノブに手をかける。その瞬間、校長先生がものすごい勢いで立ち上がり、机もソファーも乗り越えて、僕の手を掴んだ。絶対に開かせない、それが僕の手を掴む手の強さから分かった。

「勝手に出たら駄目じゃないか」

校長先生は声色はいかにも冷静を装っていたが、手汗がびっしょりだった。うわっ、と僕は校長先生の手を引きはなした。

「校長先生、あなた証拠がどうのこうの言ってましたけどその行動が何よりの証拠でじゃないんですか。彩佳に自分から言い寄ったこと、それとあなた曰くあなたに惚れている米岡先生がそれに腹を立てて彩佳への暴言を吐いたことのね」

女帝の会心の一撃が決まった。元キング、現小物は言い訳もせずじっと黙っている。僕は自分の怒りをそのままぶつけることにした。

「校長先生、彩佳ちゃんに対して申し訳な……」

「お前ごときが岸本ちゃんのことを彩佳ちゃんって言うな!!」

僕は校長先生の豹変ぶりに驚きが隠せなかった。これが本性ということか。

「校長先生、自首してくださいよ。職員室で」

「もういいや、葛西ちゃん君可愛いから。結局許して特待生にしてあげるつもりだったけど君も今日で退学だ。はぁ残念だよもう少し学校生活を……」

僕は権力に抗えないんだと諦めかけ下を向いていたが急に校長先生は喋るのを辞めた。顔を上げると、目を丸くし口元に手をやり動揺している校長先生の姿があった。その彼の視線の行く先を辿ると葛西さんの姿だった。彼女の手には何やら怪しげな機械が……ボイスレコーダーだ。ピッと音がした。劣化した蛍光灯の音ではなく、ボイスレコーダーの録音ボタンの音だったようだ。

 彼女は淑やかに微笑み、席を立ち、校長室を出て、校長室の向かいにある職員室の扉を開き、ボイスレコーダーの再生ボタンを押してからそれを職員室内に投げ込んだ。その成果は次第に職員室の中からは校長室からでも分かる程の騒めきとして現れた。

 葛西さんは一仕事を終え、満足気に校長室に戻ってきてソファーに寝転んだ。

「そんなぁ、、、」

情けなく嘆くことしかできない校長先生に僕はとどめの一撃を食らわした。

「集会でメリハリが大事ってあなた言ってましたけど、公私混同して一番メリハリないのは校長先生あなたじゃないですか」

「でも岸本ちゃんプレゼント受け取ってくれたよ」

「怖くて受け取るしかなかったんでしょうが。これ以上彩佳ちゃんに手を出すな。彼女は僕の大切で大好きで、一生かけて守っていきたい大事な人なんだ」

「うわああああああああ」

校長先生は年甲斐もなく泣き叫んだ。完全にノックアウトだ。その様子を聞いて、葛西さんがくすくすと肩を震わしていた。

 職員室のドアが開き、いかにも偉そうだが白髪がお洒落に見える紳士が校長室に入ってきた。教頭先生だ。

「校長先生、こちらへ来てくださいますか」

紳士は所作は業務連絡さながらだったが、静かな怒りがどことなく伝わってきた。

校長先生は力なく返事をして、とぼとぼと職員室の方へ歩いて行った。

 僕は校長室の扉を閉め、葛西さんが寝転ぶソファーの反対のソファーに座った。深呼吸をして腕を伸ばした。

「聞こえる」

葛西さんは体を起こしながらそう言った。

「何が?」

「米岡先生も泣いている声が」

「嘘でしょ?」

「本当よ。あれ、さっき言わなかったけ。私地獄耳なの」

僕は思わず笑って、それに釣られたように彼女も笑った。


7 笑顔と迷惑


 校長室を後にする。

 中央館から北館へ行くとき、渡り廊下から空が見えた。腕時計の秒針は五時五分を示していた。つまり五時だ。たった一時間とは思えない程久々に空を見た気がする。

雨は止み、雷が鳴っていたなんて信じられない程に雲は全くなかった。日はまだ出ていて、これから始まる夏を僕に想像させた。

「私はもう帰るわ。教室にまだ彩佳いるんじゃないの?」

渡り廊下を通過した辺りで、葛西さんはそう言った。

「うん、行ってみるよ。今日はありがとうね、葛西さん」

「こちらこそ。根芝くん」

あっ名前、と言いかけた時には彼女は階段を降りて行った。僕を『あなた』としか呼ばなかった彼女の後ろ姿は可憐だった。そしてそれを見ながら、僕は決意をした。彩佳ちゃんにきちんと謝ることを。

 決心してからは僕の行動は早い。校長室に向かうときとは違い、全速力で教室へ走って行った。頭の中では『小さな恋の歌』が流れている。これはこの間再放送されていた『プロポーズ大作戦』の影響だ。礼のために走る岩瀬健のように僕も彩佳ちゃんのために走った。

 教室には彩佳ちゃんともう一人、藍がいた。だが、僕の瞳は彩佳ちゃんだけを捉えていた。教室の前扉を開け、

「彩佳ちゃん!!」

彼女はびっくりしてこちらを向いて「呼び方……」、と小さく微笑んだ。

 僕は彼女の元まで一直線に向かった。決意を伝えるために。しかしここで飛んだ邪魔が入る。亀山藍だ。

「薫、どうしたの?私ね薫に勉強教えてもらったおかげで今回結構でき……」

「申し訳ないんだけど……」

不安そうにこっちを見つめる彩佳ちゃんをよそに僕は続けた。

「もう藍いや亀山さんに勉強を教えることできないし、二人で出かけることもできない」

「なんでよ。スタバまた奢るよ」

「そういう問題じゃない。悲しませたくない人がいるんだ」

僕の決意は亀山さんに伝わったようだ。亀山さんは泣き声で、

「じゃあ最初っから私の誘いに乗らないでよ」

「ごめん……あっごめんって言っちゃった」

あっこの場合ごめんって言っていい場面っ……バンッと大きな音が教室内に響いた。それは亀山さんに僕がビンタされた音だった。亀山さんはドンドンと大きな足音を立てて教室の前扉を開いて、

「別にあんたのこと好きじゃなかったから。ただの遊びだから」

そう言い残し帰って行った。ごめんじゃない、ありがとうの方がしっくりくる。葛西さんのアドバイスを思い出しそんなことを思った。彩佳ちゃんに対してもそうだ。ごめんも伝えなきゃいけない。でもそれ以上にありがとうなんだ。

「薫君、大丈夫?」

彩佳ちゃんは心配そうに近づいてきた。

「大丈夫」

「そっか。でも確かに昨日の薫君のビンタの方が音は大きかったもんね」

「やめてよ」

二人で笑いあった。僕は今までの過ち、そして今日気づいたこと、それらを思い返しながら教室に入る前にできた決意を彩佳ちゃんに話した。

「彩佳ちゃん、本当にごめん。内緒で女子と二人で出かけて、しかもテスト前で。でもそれでも彩佳ちゃんは僕の事を大事に思って距離を置くって選択肢を取ってくれてありがとう。そして僕のせいでカンニングさせてごめん、僕のためにカンニングしてくれてありがとう。これからもずっと迷惑かけると思うけど、それ以上に笑顔にする。笑顔の圧勝までとは行かなくても”笑顔”が”迷惑”に勝ち逃げできるように頑張るから僕の傍にいてほしいです」

「私はね、”迷惑”が大差をつけて勝ったとしてもね、”笑顔”がちょこっとあるだけで幸せなの。でもそれは他の人じゃいや。薫君と一緒だからそれでもいいって思えるの。私からもお願いします、ずっと一緒にいてください」

彼女は僕に手を出した、僕はその手を握った。これは約束の握手だ。

ここでまた笑顔が生まれた。


 日暮れるか、暮れないか、その境目。僕らは両手に傘を持って水たまりを回避しながら帰り道を歩いた。

「あっそうだ、お誕生日おめでとう。これプレゼント」

白色のプレゼント用に梱包された袋を渡した。

ありがとう、と早速袋を開く彩佳ちゃん。中身は彼女にもらった黄色の腕時計の色違いの紫色。

「紫、可愛いね。本当にありがとう」

また彼女から笑顔が生まれた。

「あっそうだ、彩佳ちゃんにもらった腕時計五分ずれていたから直さないと」

「直さないで!」

食い気味で彼女に止められた。

「わざとだから。五分先に進んでいるの」

「どういうこと?」

「薫君、校長室に行くときも二、三分変わらないって遅れたでしょ。デートの時もいつも遅れてくる。遅刻してほしくないから五分早めにして渡したの」

「あっごめん」

気づかぬ間にかけていた迷惑、また反省した。

「いいよ!」

それでも彼女は幸せそうに笑った。





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優等生の退学 佐伯 @hand-ball

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