[第一章:それぞれの日々/軋む心]その5

 深夜。

 龍太郎の家から離れた場所。都市内の駅の近くにある一軒家の中で、凪は座っていた。

 場所はリビングで、畳が敷かれており、六畳ほどの空間がある。三角に近い形の部屋の二辺には左からそれぞれ、キッチンに繋がる通路と、この部屋に入るための扉が存在していた。

 他の部屋の照明は落とされており、リビングのみ明かりが付いている状態である。

「……?」

 凪は数時間前のことを思い出し、首を傾げる。

 それは、渚からの電話だ。凪の主の家に帰って一時間後。主が早めの入浴をしている間に、彼女からかかってきたのである。

 それも、特に話したい内容があるわけでもなく、ただ喋りたかっただけなようなのだ。

(お互いに助け合った仲とはいえ、今日あったばかりの相手とそこまで喋りたいと思うだろうか?昼間言うべきことも言ったわけだしなぁ…)

 彼はそんな疑問を感じる。

 電話の向こうの声は、なんだかとても安心したような、幸せを感じているような、そんなものだった。

 何故そんな向こうがそのような雰囲気を持っていたのか、渚の事情も心も、まだ知らない彼は分からない。

 分かっているのは。

(私と、話したくて、それを楽しんでくれていたこと)

 たったそれだけだった。

 だが、それは彼にとってある意味を持っている………。

「…不思議な、こともあったものだなぁ。不思議なADだ」

 凪はそう呟いて立ち上がる。もう夜も遅く、やることもない。そろそろ機体の充電も尽きてきたし、睡眠と言う名の充電を行おうと考えたのである。

「けど、ADかぁ。…普通、ADを持ってるような金持ちが、こんな時期になってもここに残ってるなんて…」

 言いつつ凪は部屋の照明を落として扉を開け、かなり暗い光の照明のみがついた廊下に出る。数歩後ろには木の意匠が目立つ玄関があり、そのすぐそばには二階に上がるための階段があった。その下に存在する和室一つの先の、かつて別の所有者がいた部屋が、凪の自室であり、充電室である。

 彼はそこに向かい、入口の戸をそっと開ける。

「渚って人、何かあるんだろうなぁ」

 呟く彼の視界に、部屋の内装が映し出される。

「………」

 そこには、大量の物が所狭しと置いてあった。一つはアルバム。一つは写真立て。一つは服で、その他様々なものがある。

 凪の充電器である座椅子はそれらの奥に、まるで隠すかのように置かれていた。

「…私は……」

 ふと、凪の表情が曇った。

 その時である。

「う……あ…!」

 隣の部屋から声が聞こえる。苦しみ、うめくような声が。

「!」

 凪は急いで隣の部屋へと向かう。

(熱でも出したの?それとも別の何か?私が返ってきたときはいたって正常……。……正常な様子だった。いったい何が)

 自身の部屋と同じデザインの戸に手をかけつつ、凪は思考を巡らせる。

 そして、大きな音を立てないよう、されど早く戸を開けた。

「……雲日…!」

 彼は小声で言いつつ中を見る。

 部屋の内部は外側と違って洋風であり、中心にはベッドがある。その上には、一人の女性が掛け布団を被って仰向けになっている女性がいた。

 苦し気な顔はやや幼さが残り、それを飾り付ける長い茶髪は、傷まないようにそのまま広げられている。

 そんな彼女、雲日の額には脂汗が浮かんでいる。

「…大丈夫?」

 凪は音を立てないよう配慮しつつも彼女から見て左側へ早足で行く。

「うぅ…」

「うなされてる…。なにか嫌な夢を見ているのか?」

(けど、病気ってわけじゃなさそう。どうやらよほどの悪夢を見て…)

 と、凪が思った時。

 雲日が僅かに目を開ける。

「…あ、大丈夫か、雲日」

 凪は心配そうな顔で彼女の顔を覗き込む。

そんな彼を見て、未だ精神の半分以上が夢の中の彼女は、ある名前を呟いた。

「…凪…」

彼が目を見開く。だが、彼の中に瞬間的に湧いた期待を否定するかのように、言葉が続いた。

「…沙…凪沙、君………」

「………」

 言葉の続きを聞いた凪が沈黙する中、ベッドの端にあった雲日の左手が彼に触れる。

「凪沙君……なぎ、さ…くん……」

 また眠りに落ちていくのか、雲日の声は小さくなっていく。その表情はいつしか穏やかになっているのは、凪の手を掴んだからであろうか。

「…………」

 沈黙が続く。

 その中で凪は。その存在を求められず、見てもらえず、ある人の代わりにされる彼は。

 ただ、唇をかんだ。


 


 彼の部屋にある雑多なものたち。それらにはある共通点があった。

 アルバムも、写真も、服もその全てが…。

「……私じゃなくて」

 凪沙という、今はいない、一人の人間に関わるものである、という。



 ▽ー▽


「いいのですか?蓮本のことを放っておいて」

「構いませんよ。真面目に職務をこなしているうちは。下手につついて、やる気を失ってもらっては困りますから。当人の自由にさせておきましょう。どうせ軍事機密など、あってないようなものですし」

 優樹たちの勤務する基地内。その一角には、基地司令官用の部屋がある。

 そこには、大きな机を前に椅子に座る狐目のジャンパー型軍服の男と、彼の対面に立つほぼ同じ服装の男がいる。

 前者は当然のことながら、この基地の総司令。そして後者は彼への報告役であった。

 本来、ただの情報のやり取りなら通信で済ますのだが、総司令は対面で話を聞きたいという旨を伝えているため、報告役はわざわざ基地の奥まった場所にあるここに来ていた。

「しかし、規律が……」

 言葉を遮るように総司令は言う。

「いいのですよ。今時こんなものを律儀に守っていられるほど心の余裕がある人なんていないのですから。例外は君ぐらいですね。…それよりもです。勤務も後一か月と言うところ。この都市の終焉祝いに、どこかでパーティでも開きましょうか?」

「総司令、不謹慎なもの言いは慎んだ方がいいかと」

 真顔で言う報告役に苦笑する総司令。

「はは、すみませんね。…しかし、こんなご時世です。自分を縛る硬い事なんてせず、楽しさ優先で喋って、行動していたいじゃないですか?だいたい、そうじゃなきゃやっていけないでしょう?楽しさ優先、楽しさ優先」

 同意を求めるように言う総司令だが、報告役は変なことでも言われたかのように、

「…私は規律さえしっかりと守れているならば、十二分にやっていけますが」

 顔をしかめて淡々と返した。

「…ふむ。君は随分硬いのがお好きなようですね。…まぁ、それで心に余裕が生まれるなら、別にいいんですけどね。…それはそれとして。この負け戦、せめて楽しんで完敗したいところですね?勝ち目はないんですから」

「そのような士気の低下を招くようなことは…」

「もう、相当下がっているでしょう?」

「………」

 報告役は沈黙した。

「…さて」

 総司令は椅子を回す。

 先ほどまで背中側であった壁には大きめの、強化ガラスの窓がはめられている。

 椅子から立ち上がった彼はつけられたカーテンを払い、外の景色を見る。

「これで今日も終了。廃棄の実行まで後…27日、というところですね」

 総司令の見つめる先。窓から見える街並み。

 そこに見える光点は、十にも満たない。既に家の住人全員が就寝したところを含めて、実際に人が住んでいる家は、三十あればいいほうだろう。

「……町の皆さん。せめてこの都市が終わる時までに…」

 彼は目を薄く開く。

「何か楽しいことがあったら、いいですね?」

 せめて一度くらいは。彼はそう付け加えた。




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