二十一話

 薬師寺長忠やくしじながただの奇襲で、せっかく集めた足軽共を失い、手勢二百とも散り散りとなった薬師寺元一は、這々ほうほうてい芥川あくたがわから脱出すると、自身の居城である淀城に向かって逃走していた。

 思わぬ深夜の逃走に灯火あかりも持たず土地勘を頼って逃走するしかなかった。

 昨日までの自分にこの様な姿が想像できたであろうか?


 (長忠は俺を嘲笑あざわらい言った。あれだけ派手に動いて気づかれぬと思うたかと・・・政元が鞍馬くらまに隠れ、背後には阿波や西の幕府が居るという状況に甘んじて、俺は気が大きくなってしもうたのだ。朝経ともつねの警告も無視した。そう言えば夕刻、朝経は宿所を取ると言っていたが、あれは俺の側にいると危険だと朝経は嗅覚で嗅ぎ取っていたのだな・・・)


 元一は恥じても恥足りず自害して詫びようかと何度も思ったが、その度に郎党が励まして淀城へ向けて歩を進めた。

 追う兵が間断なく現れ、見つからぬように草叢くさむらに隠れ、夜陰を進み、時に田畑の泥にまみれながら少しずつ追手をくぐると、夜も少しずつ白んできたようだった。

 

 「まずいな・・・」


 夜が白んできたということは敵の動きはより活発になるはずだ。

 このまま行けば淀城に辿り着く前に捕縛されてしまうかも知れない。

 せめて籠城して一矢報いたいと言う気持ちが時間が立つに連れて、元一の中でムクムクともたげてきたのだ。


 (追手は間断なく来るが兵は多くない、長忠は迅速に屋形を攻撃するために小勢で夜襲を仕掛けてきたのだ。抜かった・・・せめて手勢を纏めて抵抗しながら退くべきであった。長忠の事だ。後詰めを用意しておるに違いない。三郎、すまぬ。そなたの志に答えることは出来ぬかも知れぬ。)


 殿しんがりになってくれた三弟の三郎のことを思い出して悔しい思いをしているとふと地面に振動がするのを感じた。

 耳をますと馬蹄ばていの音が遠くからこちらに向かっているのが聞こえる。

 数は十程度だが力強い音に危機感を募らせると元一は郎党に近くの木陰こかげに隠れるように命じ息を潜める。

 だが、少しずつ馬蹄が近づきその音が大きくなり、耳を澄まさなくとも聞こえるほどの距離に近づくと、先頭の黒糸縅くろいとおどしの具足をきた武士が太刀を掲げて馬群に停止するように命じたのである。

 

 元一の胸は高鳴り鼓動が外に聴こえそうなほど鳴り響く、馬群の武士たちは付近の地面を探りだしたのである。

 数人の武士が這いつくばる姿を見て足跡を探っているのだと察すると、元一の一団は全員刀を引き寄せ柄を握った。

 

 (このまま奇襲して馬を奪うか?)


 元一はそのようにも考えたが、追われて疲れ果てた身で勝てるとも思えない。

 一か八かの賭けに出るか、このまま腹を切るか、そのように悩んでいると、もう一人、背中に旗を付けた騎乗の武士が駆け込んできたのである。

 騎乗の武士が背に付けた旗の家紋は三階菱さんかいびしの見覚えのある家紋であった。

 元一は家紋を見るやいなや、涙を流さんばかりに感動し、これぞ僥倖ぎょうこうだと我が身の幸運に震えた。

 そう、三階菱の見慣れた家紋は小笠原の家紋、すなわち味方である赤沢朝経あかざわともつねの家紋なのだ。

 元一は転がるように木陰から這い出ると、武士たちは驚いて太刀を抜いたが、ボロボロに泥に汚れた武士共の姿をすぐに元一の一行だと認め、刀を収めて助け起こしてくれたのである。

 黒糸縅の具足の武士は元一の汚れた姿を見て


 「随分汚れたな。ネズミのようだぞ。」


 などと冗談を言って笑った。


 「朝経、俺を見捨てなかったのか?」


 元一は目に涙を浮かべながら、情けない顔で見ると黒糸縅の武士、赤沢朝経は


 「見捨てても良かったが、ここまで来れば一蓮托生いちれんたくしょうよ。」


 と苦笑いしてそう言った。

 地獄のような状況を奇跡的に救い出してくれた赤沢朝経の顔が元一にはお釈迦様のように見えたのであった。

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