第5話 厄災の日
「おはよう。―――シャーロット」
「起きてるかあい?」
朝日が山の峰から顔を出し始めた頃。
隣近所に聞えるほどの大きな声で、シャーロットの名前を呼ぶ声が聞こえ、玄関の呼子板を叩く音が響き渡った。
跳ね起きたシャーロットはベットから転がり落ちる様に
義母さまが家を留守にしているの時には、隣に住む(隣と言ってもけっこう離れているが)おばさんが、何かと世話をやいてくれるらしく、今日も自家で焼いたパンを持って来てくれた。
メグは慌てて身支度を整えると、パンを届けに来てくれた、おばさんに嫁としての挨拶をする。
突然の話しで、びっくりした顔でメグを見ていたおばさんだが、シャーロットの説明のおかげで彼女は安心して帰っていった。
◇
シャーロットがホットミルクを運ぶ。
二人は並んで椅子にかけ、朝食を食べる。
「ねえ。メグ」
とても自然な呼びかけにドキリッと心が反応した。
真っ直ぐ見つめるシャーロットの無邪気な顔に、またドキリッとする。
昨日は大量に焼いた収穫祭のビスク菓子を一緒に並べた。
シャーロットはプレゼントした袋が気に入ってくれた様子で、ビスクを詰めた袋を大事に抱えたまま寝入ってしまった。
暖炉の燃える明かりは、シャーロットの寝顔を薄っすらと照らした。
眠る少女の顔は天使の様で、寝かしつけているうちにメグもいつの間にかうとうとと、隣で寝入ってしまった。
「ねえっ。メグったらあ」
「あっ。ごめんなさい」
「もうっ。お話し聞いてたの?」
「今日は収穫祭の準備があるから、市場にお買い物に行きましょう」
と、お誘いである。
◇◇◇村の市場
二人は、日焼け防止の大きなつばの帽子をかぶり、買い物に出かけた。
村の通りにある市場は、収穫祭の準備と人々の活気で賑わっている。
通りを行く人たちは、少し早足で
買い物であろう人は、大きな荷物を両手に抱え行き来する。
山盛りの荷を積んだ手押しの荷車が、人混みを上手にすり抜けていく。
◇
買い物かごを持ったメグとシャーロットは、二人並んで通り歩いていた。
ふと、さげた手の指に、シャーロットの小さな指が
小さな指で握られた、やわらかな手に一瞬ドキリッとする。
(まっ、迷子になったら大変だものね……)
(周りから見れば、年の離れた姉妹にでも見えるのかしら?)
(さすがに……母娘には見えないか……な?)
などとメグは妄想し、一人、少し照れた表情で口元を緩めた。
◇
ひととおり必要な物を買ったところで、シャーロットが不安気に訪ねてきた。
「レイ先生、いつ返ってくるのかなあ」
義母さまは「すぐに戻る」と言って家を出て行ったという。
メグは慌てて話題を変えた。
「シャーロットはチーズは好き?」
「うん。大好きっ」声がはずんだ。
「それじゃあ。今晩の夕食はピザにしましょう」
「ピザってぇ?」
「最近、王都で流行っている料理なのよ」
「薄いパンにチーズをたっぷり乗せて焼いた料理なの」
シャーロットの瞳が輝く。
今朝、隣のおばさんが焼いたパンを届けてくれた時、一緒に大量のチーズも置いていってくれた。
実はメグも旅道中での食べ慣れない食事が続き、王都の料理が少し恋しくなってきた頃。小さな子供も喜ぶし、一石二鳥かしら……と。
(ついでにトマトソースも作って、あの料理も作ろうかしら)
(シャーロット喜ぶよね、きっと……)
と、一人想像しながら、通りに並ぶ野菜を売っている露店を遠目に覗いた。
◇◆◇◆厄災現る
二人が買い物をしていると、大通りから少し離れた小道で悲鳴の声が響き渡った。
慌てて大通りに駆け込んで来た悲鳴の主は、自分の足につまずき、大きく転倒して転がった。
そして後ろを振り返り、腰が抜けたように後退りする。
「ルナリスだ!」「ルナリスが出たっ!」
通りにいた人々が、若者の叫び声に振り返る。
そして若者が現れた森の方角を皆が一斉に見た。
そばに居合わせた人は、皆半信半疑の表情で身構える。
突然。
男たちの頭上を大きな影が飛び越えた―――。
大きな影は、軽快に地面に着地すると大きな前足で地面を力強くかいた。
大きな尻尾が横に揺れる。
大人の男ほどは、ゆうに超える大きな狼。
銀色の長い毛を揺らし、首元には、まるで金色の月輪をさげている様な模様が浮かぶ。
いつの頃か山向こうの山岳地帯に住みついた大狼。
村人はこの狼の事を外見からルナリスと呼んだ。
噂では、時折、食料を求め人里にもおりてくる。
その凶暴さは、牛一頭が朝には消える。
頑丈な柵は壊され、森の中へと牛一頭が引きずられた跡が発見されるほど。
そんな大狼が人通りの多い村の通りに、人々の目の前に現れたのだ。
大狼は目の前の獲物を品定めする。
鋭い目が得物を捕捉する様にゆっくりと動いた。
大狼の視界に映った一番貧弱な得物。小さな少女。
「シャーロット!!」
大狼は体を沈めると後ろ脚を蹴った。
バネの様に伸びた足が大きく宙を飛ぶように跳躍する。
大狼が目前の小さな少女に鋭い牙を剥いた瞬間。
大狼の横っ面に人が体当たりした。
「……」
無意識であった。
大狼の向ける鼻先がシャーロットに向いた時、メグはシャーロットの前に飛び出していた。
偶然のタイミングが重なる。
メグの初動である遅いスピードと、大狼の素早い跳躍。
一呼吸遅れて、大狼の側面にメグの体が激突したのだ。
体当たりしたメグは勢いに弾き飛ばされ、地面に倒れ込む。
大狼も不意打ちを喰らい、体制を崩し地面に体を落とした。
「メグっ!」
大狼が、よろけて立ち上がろうとするメグに襲いかかる。
「だめっ!」
大狼の迫る牙から
息ができない程の圧迫感が襲う。
熱く刺さる痛みが左半身に広がった。
メグの体は人形の様に浮き、地面に引き倒された。
「いやあっ!」
大狼の巨体が、倒れたメグの上に覆いかぶさった―――。
重い。生き物の生温かいやわらかい感触と土草と獣の臭いが顔を覆った。
「……」「……」「……」
薄らぐ意識の中、微かな呼び声が聞えた。
「早くこいつを除けるんだ!」
「しっかりしてっ!」
「この娘を家に運んでっ!」
メグは抱きかかえられる。
薄っすらと開けた目に、長い髪の女神に似た顔が近づいた。
そして、メグはそのま意識を失った。
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