4.夏影テールランプ
「おお?」
学校からの帰り道、隣を歩く城ヶ崎さんが宝物を見つけたみたいに目を光らせる。
「いづこちゃん夏祭りだって!」
「暑そう」
実際、ここ最近の夜は蒸し暑い。冷房がないと干からびてしまいそうになる。だというのに城ヶ崎さんは水を得た魚みたいに元気だった。
城ヶ崎さんはイベント事が好きだ。もはや命を懸けていると言ってもいい。聞けば「青春を彩る一ページなんだよ!?」と返ってくる。陽だまりにいる人間のことはよくわからない。
町内掲示板に貼られたポスターには大輪の華の写真と日時が記されている。夏休みが始まって一週間後くらいに開催されるらしい。行く予定は当然なかった。
……城ヶ崎さんと出会っていなければ。
にんまりと城ヶ崎さんの口が弧を描く。何が言いたいかわかってしまう自分が少し嫌になった。
「いづこちゃーん」
「……行きたいんですね」
太陽に負けないくらい眩しい笑顔が返ってくる。
夏で、夜で、花火で、祭りで、城ヶ崎さん。
その中に心惹かれるものが無いかと問われると……嘘になる。
「いいですよ」
花火、久しぶりに見たかったし。
そんな理由で誤魔化す。
「じゃあ今回のお願いは」
は? お祭りに行くのがお願いじゃないの?
抗議すると城ヶ崎さんが不敵に笑う。
「わたし、行きたいなんて言ってないよ?」
うっ。
「嬉しいなぁ〜。いづこちゃんからその気になってくれるなんて」
ああ、もう。
城ヶ崎さんにはいつも振り回されてばかりだ。少しでも理解した気でいた自分が馬鹿らしく思える。
大体、一緒に夏祭りに行く以上のお願いなんてなにがあるんだ。
「今回のお願いはぁ」
城ヶ崎さんがどるるる、とドラムロールの真似をして手を叩く。
「夏祭り当日は浴衣を着てくること! あっ、もちろんわたしも着てくるよ?」
浴衣なんて初めて着るから落ち着かない。周りの人を見て、自分の着方が合っているか都度確認してしまう。
早く来すぎた、と独りごちる。予定の十五分前で、これじゃあまるで今日を楽しみにしてたみたいだ。
お祭りの熱がきっとそうさせる。そう思うことにした。
「わっ、ごめん! 待たせちゃった?」
駅前の人波をかき分けて城ヶ崎さんの足音が近づく。久しぶりに聞く声に安堵する。
「さっき来たとこ」
「またまたぁ〜」
えいえい、と指で頬を突いてくる。鬱陶し。
「いづこちゃん今日はすっごくかわいいね!」
城ヶ崎さんが出し抜けにそんなことを言ってくる。
いつもなら。
ここで否定の一つでも挟むけど。
熱に浮かされた私はいつもと違うことを口走ってしまった。
「城ヶ崎さんもかわいいですよ」
普段下ろしている髪を高い位置で結って。着ている浴衣は黒地に……なんだこれ、紫色の花があしらわれている。帯は淡い金色で城ヶ崎さんだなぁと感じさせる。
シックで大人っぽい、普段とは違う城ヶ崎さんだった。
「はぇ」
「はぇ?」
「あ、や、はえ……蝿が飛んでるなーって」
ぶんぶんと城ヶ崎さんが手を振り回す。
いるか? と辺りを見回すと、確かに小さな羽音が聞こえてくる。蚊では?
やーあっついねー、と城ヶ崎さんが手で仰ぐ。じっとしていると確かに背中に汗が浮かぶ。動いていた方がまだマシだろう。
「行こ」
城ヶ崎さんの手を取る。お日様を掴んでるみたいにその手は熱かった。
「熱でもあるんじゃないですか」
聞くと、てへへと崩れた笑みを城ヶ崎さんが見せる。
「お祭りの熱に当てられちゃったかも」
なんだそれ。
本当に可笑しくてつい吹き出してしまう。
夏で、夜だから。
いつもより近づけている気がした。
最後に夏祭りに来たのは小学生の時だっただろうか。親とはぐれて一人泣いていたことを覚えている。
今回はそんなことは起きない。城ヶ崎さんが私の手をしっかりと握っているからだ。
ただ。
「ねぇ見て、ぜりーふらい?だって! 変なのー」
「う、うん」
城ヶ崎さんは目立つ。そしてそのことに本人は頓着しない。だから視線が城ヶ崎さんに集まると自然と私にも向けられるわけで。
なんていうか、すごく居づらい。
今すぐ城ヶ崎さんからはぐれたくなった。
そんな好奇の視線に晒されながら時間が過ぎていく。
花火の時間が近づいてくると人の流れが変わり出す。その流れに私たちも乗る。
「花火見るおすすめポイントとか知ってる?」
「ネットにたくさん載ってる」
「もぉ、そうじゃなくていづこちゃんの一推しとか!」
「私だって来るの久しぶりなんだけど」
私なんかより文明の利器と人の知恵に頼った方がいいに決まってる。
河川敷か、少し歩くけど永代橋なら空いてそう、という情報を得る。ちょっと迷って橋の方に向かうことにした。
「いづこちゃんはたまやーって言う派?」
「高校生にもなってそんなこと」
「言う派?」
「……言わない派」
「えーなんで勿体なーい。言おうよー」
「嫌です絶対ヤダ恥ずかしい」
「言おう言おう言おうよー」
戯れている間に轟音と少し遅れて光が打ち上がる。
夜空を彩るように大輪の華が咲く。
足が止まって、つい魅入ってしまう。
「……綺麗」
どちらからともなく、そんな呟きが漏れる。
綺麗だった。
家族や友達や一人で見上げるものより、ずっと。
綺麗で、眩しくて。
城ヶ崎さんみたいだな、って思った。
「ほらいづこちゃん準備してじゅんびー」
「や、言わないって言ったでしょ」
でもほら、と城ヶ崎さんが示す先で子供たちが「たーまやー」と叫んでいる。恥ずかしくないよ、と笑顔が告げる。そういうことじゃない。
ほらほら、と背中を押される。押されている間に抜けていくような音が空へ上る。
せーの、って城ヶ崎さんが息を吸う。準備も整理も付かないまま私も倣う。
一瞬。
世界が静止したように暗闇に包まれて。
華が咲く。
同時に。
「た、」
いつ以来かもわからない大声を空に向かって叫ぶ。
「まやあぁぁぁぁぁぁっ!!」
何かが抜け落ちたみたいに身体が軽くなる。
頭の中が真っ白で、けれど吸う空気はどこか心地良い。
世界が色づいて見えた。
満たされている、と全身で感じる。
「……たのし」
「でしょぉ」
「あの、城ヶ崎さんっ、すっごくたのし、」
ふわふわと宙を漂っていた理性が少しずつ戻ってくると周囲の人が驚いたように私を見ていることに気づく。
「ぃ、ですぅ」
首元から熱がせり上がる。ぼっぼって耳から火の粉が吹き出そうだった。
「かーぎやー!」
不意に。
父親に抱っこされた男の子が叫ぶ。
え、え、って驚いていると城ヶ崎さんが「たーまやー」と返事をする。それが次々に伝播して人波から掛け声の応酬が始まる。
「行こ」
導かれるように城ヶ崎さんに手を引かれる。
人波から離れると高鳴っていた心臓が落ち着きを取り戻す。
「ごめんね」
城ヶ崎さんの手が私の頭を撫でる。
「いづこちゃんにも楽しんでほしかったの」
「……それは、なんとなくわかります」
城ヶ崎さんに捻くれた考えとか似合わない。めんどくさいところはあるけど。
いつだってまっすぐで眩しい。それが城ヶ崎さんだから。
よかったぁ、と城ヶ崎さんが安堵の息を吐く。
「いづこちゃんはさ」
「はい?」
「わたしの言うことなんでも聞いてくれるよね。どうして?」
「だって、それは」
そういう約束だから。
秘密は、誰だって知られたくない。
「でも断ってもよかったんだよ? わたしに虐められてるって告発しても」
「それは……」
そんなことして。
果たして、私に何の得があるのだろう。
「それは、なんか違うじゃん」
城ヶ崎さんは決して良い人とは言えないかもしれない。
秘密を盾に色々なお願いをしてくる。
膝枕に、相合傘に、添い寝に、海へ誘われたり。
でも。
私が嫌がることは絶対にしてこなかった。
なぜかはわからない。疑問に思わないと言えば嘘になる。
だから。
……だから。
「私は城ヶ崎さんといて、楽しいって思ってる」
「……なにそれ」
泣き笑いのように城ヶ崎さんの顔が歪む。
「いづこちゃんってすっごくずるい」
「ずるくなんて、」
「ずるいよ」
だって。
「普通、嫌って思うはずなのに、楽しいなんて言っちゃってさ。優しすぎ」
もっと怒っていいんだよ、その声の方が優しい気がした。
「でも、そういうとこが」
ひゅるるると花火の打ち上がる音が城ヶ崎さんと重なる。
そして。
「──」
城ヶ崎さんの背に華が咲く。
音に掻き消えてその声が届かない。
「なんて」
言ったんですか、と聞こうとして、ぐい、と肩を掴まれる。
驚く暇もなく。
花火が打ち上がった後の、世界が一瞬暗転した中で。
私と。
城ヶ崎さんの。
唇が重なる。
そして、私たちを照らすように。
夜空に大輪の華が次々に咲く。
音に、唇に、光に、城ヶ崎さんに。
思考がすべて奪われる。
「好き」
永遠に思えた数秒の口付け。
そこから離れて出てきたのは城ヶ崎さんの告白。
好き。誰が?
城ヶ崎さんの瞳は潤んだように揺れている。
唇はまだしっとりと濡れていて。
言葉を発しようとすると柔らかな感触を思い出して何も言い出せない。
城ヶ崎さんが、わからない。
それはいつものことだけど、これは殊更わからない部類に入る。
見つめられるとわけもなく恥ずかしくなってくる。背中が痒い。今すぐわぁーって叫び出したい。
それらをぐっと堪えて城ヶ崎さんと向き合う。
なんて返せばいい。
漫画の主人公たちはどう対応してたっけ。
テストの答えを思い出そうとするときみたいに心が焦る。
私は。
私は、城ヶ崎さんが。
「あれ、あやめ? なにしてんの?」
鋭利な刃物で引き裂くように。
知らない人の声が私たちの間に割って入る。
振り返ると、それは知らない人ではなくクラスメイト、城ヶ崎さんが所属するグループの女の子だった。
「あれ、えーっと、クラスの……ナントカさん、だよね?」
背筋が凍る。
見られた?
ヤバい。
見たくもない最悪の未来が脳裏に浮かぶ。
「じょうがさ、」
「ごめん、天城さん。わたし、帰るね」
「……待ってよ城ヶ崎さ、」
「来ないで!」
声は鋭く。拒絶の意思をはっきりと感じた。
背を向けて、歩いてきた道を城ヶ崎さんが引き返す。
「えっ、あやめ!? 待って……天城さん?だっけ。じゃあね!」
心臓が痛い。
追いかけようとして、でも、足が動かない。
どうしよう、って心が焦る。
どうなるの、って心が曇る。
これまでの関係が終わってしまうような予感がして、ひどく胸が苦しい。
「嫌だよ」
視界が滲む。
俯くと水滴が地面に落ちる。雨のように地面を濡らす。
こんなところで。
「置いてかないでよ」
いつかの日みたいに。
ひとりにしないでよ。
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