第59話 俺のメイドのために
<美空 直>
「先ず、お前の意見が大事だろう。どう思う?」
「どうって?」
反射的に聞き返すと、森住さんは少しだけ眉根をひそめる。
「スカウトの件、お前も色々と考えがあるだろう?」
「……まあ、ねぇ」
なんと答えればいいか分からなくて視線を下げると、隣で恵奈さんの声が響く。
「メインプロデューサーだっけ?あと、業界トップ級のお金と」
「ちょっ、恵奈さん……」
「なに、本当のことじゃない。あのケチな社長にそこまで高く買われているのよ?恥ずかしがらなくてもいいじゃない」
恵奈さんの話を聞いて、森住さんはただちに頷く。
「確かにその通りだ。あいつがまだ高校生のお前をここまで評価してくれるとは思わなかったが……まあ、向こうにも色々考えがあるのだろう。契約内容をすべて明かしたわけでもないし、こっちに不利に働く条件だってあるはずだ」
「……不利に働く条件って、どういうこと?」
「たとえば、お前が
その話を聞いたとたん、一気に心が冷めて行くのが分かる。
俺が険しい顔をしていると、森住さんは苦笑してから言葉を続けた。
「考えてみろ。いくらお前がチャート1位を取ったプロデューサーだとしても、向こうが提示した条件がおかしすぎる。単なる高校生にそれくらいの額を?業界人ならとうとう頭がイかれたと思うだろうな。お前が、美空博美の息子なのを知らなかったら」
「………」
「……あまりお前の父の話をしたくはないが、あいつは音楽の神だった。今もあいつを忍ぶ人たちはたくさんいる。そんな天才が産んだ一人息子が、14歳にしてチャート1位を取ったと?全国の、いや世界中の人が一気にお前を注目するはずだ」
森住さんの平坦な声が続く。
「そうなれば、お前を専属プロデューサーとして迎え入れたユニバーの方も鼻が高くなるだろう。その関心がお前の実績と合わさったら、外部から莫大な投資を受けることだってあり得る。あいつは……
「……そっか」
「けど、別にお前にとって悪い話でもないぞ」
向こうの社長の名前を言及しながら、森住さんはソファーのひじ掛けで頬杖をつく。
俺は顔を上げて、森住さんをジッと見据える。その顔には見事な笑みがかかっていた。
「向こうは日本一のレーベルなんだぞ?その分の手厚い支援もあるだろうし、色んなアーティストたちと作業するうちにお前の実力だって磨けるはずだ。そして、本藤がどんな考えを持っているのであれ、スカウトの条件がいいことに変わりはない」
「森住さんは、どう思う?」
俺はソファーにもたれかかりながら、マネージャーの意見を尋ねる。
「よかったら、恵奈さんの意見も聞きたい。二人はどう思う?」
「……私は」
「正直に言うと、俺は断るにはもったいないと思うぞ」
躊躇うような恵奈さんの言葉を遮って、森住さんが先に言う。
「まあ、諸刃の剣みたいなもんだがな。しかし、さっき言った通り、プロデューサーとしてのキャリアを考えたら当然掴むべきチャンスだ。正直に言うと、これを断るのはバカらしい気もする」
「………」
「だが……当たり前だけど、お前の意見が一番だ。直、お前のしたいようにすればいい」
「……恵奈さんは?」
「私も、受けるべきだとは思うけど」
恵奈さんは心配そうな表情を湛えて、俺を見る。
「……大丈夫?」
「……」
「私さ、正直なにが起こるか想像がつかないんだよね。向こうがどんな風に記事をばら撒くかも分からないし、もし美空博美の名前が出続けたら……それは」
最後まで聞かなくても、恵奈さんが言わんとしていることがよく伝わった。
確かに、恵奈さんの言う通りだと思う。詳しい契約内容はまだ知らないが、向こうは俺を必ず利用するはずだ。美空博美の息子、という肩書を加えて。
それでもしヒット曲を出したりしたら、世の中は大騒ぎになるだろう。
反吐が出るほど嫌いな父親ではあるが、俺はあの人が持っていたスター性と実力をある程度は認めている。当然、ヒットをすればするほど俺は注目されるはずだ。
このスカウトを受ければ、俺は父のように……スポットライトの下に立つかもしれない。
「やっぱ、断るわ」
そして、俺は父親のようになるのが一番嫌いな人間だ。
「理由を聞いてもいいか?」
全く驚きも見せずに、森住さんが聞いてくる。俺は肩をすくめてから言う。
「単に、注目されたくない」
「……お前はプロデューサーだ。あいつのように舞台に立つことはない」
「でも、向こうが俺を美空博美の息子だと宣伝でもしたら、嫌でも注目されるじゃん」
「それは確かにそうだが……どうして、そこまで有名になるのを嫌がる?」
「家族を捨てたくないから」
即座に出た答えに、森住さんの顔が若干歪む。
「……直、今のお前はちょっと極端になっている。有名になったからって、必ずしも家族と疎遠になるわけではない」
「もちろん、知識としては知ってるよ。でも、俺は似てるんでしょ?」
「は?」
「あのクソみたいな父と似てるじゃん、俺は」
俺がこんなことを言うとは思わなかったのか、二人の顔が驚愕に染まる。
分かっている。分かっていた。音楽を始めた時から、初めて自分が作ったサウンドを聞いた時から、ずっと抱いていた感覚だった。目を背けてきた事実だった。
音には作り手の魂が滲んでいる。
そして、俺の音はあいつの音と似ていた。
「昔、俺が音楽始めてばかりだった頃に、森住さんも言ってたじゃん。あいつに似てるって」
「それは……」
「向こうの社長……本藤さんだって、同じことを言ってた。俺とあいつは、同じ類の人間だってさ」
父親は俺たちの存在なんか我関せずに、海外のツアーに行ったり有名なアーティストたちと作業をしたりして、ほとんど日本に帰って来なかった。
お母さんが病室で死んで行ってるのに、あいつはメールも電話も寄越さなかった。そして、インタビューの度に家族に対する質問を避け、俺たちをいない者扱いした。
いくら森住さんが忠告しても、ヤツは聞かないふりをして、音楽と自分のキャリアだけに集中した。母親の葬式にも顔を出さなかった。
お母さんはあんなに、あの男に会いたがっていたのに。
「……同じではない。直、お前はあいつより優しい。長年あいつとお前を見てきた俺には分かるぞ」
「そうだよ、直。不安になるのは分かるけど、せっかくのチャンスじゃん?もう少し考えても―――」
「俺は、家族を第一にしたい」
言い換えると、氷を一番にしたかった。
俺は音楽を愛しているし、音楽的な成果を上げたいという欲求もちゃんとある。
色々なジャンルに挑戦してみたいし、サウンドのトレンドを手玉に取るような全能感も一度は、味わってみたかった。
でも、氷がなければすべてが無意味だ。
いくらお金と名誉があっても、氷がないとすべてがモノクロになる。俺の時間に色彩を与えたのは氷だ。あの子は俺の世界だ。
少しも氷を疎かにしたくない、少しも。
その決然とした意志が分かったのか、森住さんはほんのりと笑って見せた。
「あの子のことなのか?」
「…………別に、知る必要ないじゃん」
「ははっ、いい傾向だと思うぞ。そう、実にいい傾向だ。お前には確かに危ういところがあるから、あの子がいてくれれば俺も一安心できるしな」
だけどな、と言葉を続けて、森住さんは前かがみになる。
「しかし、お前がいくら注目されたくないといえ、圧倒的な才能が現れると……世間は、勝手に熱狂するもんなんだ」
「……どういうこと?」
「認めよう。確かに、お前と博美は似ているところがある。天才という部分では特にな」
森住さんはソファーにもたれかかりながら、少し複雑な顔をしながら言う。
「だから、お前の願望は叶えられないかもしれない。注目されたくないと言っても、世間が放っておいてくれるかどうかは、また別問題だからな」
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