第53話 私のメイドを捨てたくない
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「専属プロデューサーですか?」
羽林が所属している会社の代表―――業界人なら誰もが知っている人のスカウトを受けて、俺は首を傾げた。
「ああ、君はもう業界トップ級のプロデューサーだからね。もちろん、君の実力に見合った待遇もするさ」
「たとえば、どういう?」
「先ず、これくらいでどうかね」
それから聞いたお金の話を聞いて、俺は目を見開いてしまった。
最初に浮かんだのは大丈夫だろうか、という心配だった。この人が提示してくれた額は業界最高レベルで、俺がフリーランスとして稼いでいる額を軽く超えている。
俺の横に座っている羽林も詳しい内容までは知らなかったのか、口をあんぐりと開けていた。
「後は、そうだね。うちには前途有望な若い子たち何人かいてね。その子たちのアルバムの、メインプロデューサーをやって欲しい」
「…………どうして?」
「うん?」
「スケールが大きすぎて話について行けないんですけど……どうしてここまでするんですか?」
俺は少しだけ眉をひそめながら問う。
大体、今日ここに来た理由は打ち上げに参加するためだった。羽林のアルバム作業が終わったから、関係者たちもそれぞれ呼ばれたのだ。
でも、まさか打ち上げに行く前に、代表から直接スカウトを受けるとは思わなかったし。
また、そのスカウトの内容があまりにも別次元の話だったから、かえって怪しさすら抱いてしまう。
「俺はまだ高校生ですよ?プロデューサーとしてのキャリアを始めてそう長くもないのに、そんな額をもらっていいんでしょうか。それに、アルバムのメインプロデュースなんて……これは、やり手のプロデューサーなら誰もが狙っているものじゃないですか。なのに、どうしてそこに俺を?」
「君には才能があるからね」
「……俺が美空
「ないとは言えないな、正直」
代表は、椅子にもたれかかってから笑みを浮かべた。
「美空博美は、パラダイムを変えたアーティストだった。君の父親とは何回も作業をしたんだが、その度に思い知らされたよ。ああ、違うなと。上手く言葉では表現できないけど、あいつは文字通りレベルが違うクリエイターだった」
「…………」
「あいつが作り出したサウンドは、どれも10年や20年先を軽く見越したようなサウンドばかりだった。典型的なJ-POPから初めてダンスポップ、ロック、ヒップホップ、オルタナティブR&B、バラードまで。アルバムを出すたびに違うサウンドを用いて、それをすべてヒットさせた怪物。ただの伝説を通り越したなにか…………そう、皆がよく言うように、あいつは音楽の神だった」
……俺は、心の中で小さくため息をつく。
気分が、あまりよくなかった。
「あいつが死んでからはボロボロに泣いたよ。もう二度と、あんな才能に出会えないと思ったからな。だけど、君の曲を聞いて……星泥棒を聞いて、俺は即座に気づいたんだ」
「……なにをですか?」
「君と美空博美は、同じ星の人間だってことをね」
「……………………………」
「天才たちしか入れない星。音楽に狂っていて、音楽でしか欲望を満たせない狂人たちの住処………こういう言い方をあまりしたくはないけど、君は君の父親並みに才能がある。いや?もしかしたらそれ以上かもしれない」
「過大評価だと思いますが」
「君が謙遜しているだけだ。14歳にチャート1位を取って、15歳にサンプリングをマスターして音を何十個も積み重ねられるプロデューサーだと?これは美空博美でさえ成し得なかった偉業だ」
「…………」
俺は沈黙を保つ。反論したくないわけじゃなくて、一つの言葉がずっと頭の中を巡っていたからだ。
俺とあの人が、同じ星の人間だなんて。棘だらけのボールを口の中に突っ込まれた気分だ。
嫌悪感と痛みが湧いて、すぐにでもこの場から逃げ出したくなる。赤黒い憎悪を少しだけ声に滲ませて、俺は言った。
「美空博美は妻を捨てました」
「…………」
「妻も捨てて、息子も捨てて、自分自身の世界に閉じこもって、一度も周りに目も向けなかった人間なんですよ。あの人がなんで、スポットライトと音楽に狂っていたか分かりますか?」
「ちょっ、Noah君………」
「あいつにとって、あれは麻薬だっんですよ。あいつは、目を充血させて街をふらふらする中毒者たちと何にも違わなかったんです。スポットライトがないと人生がつまんねぇから、縋りついてただけで」
「……………」
「アーティストとしての美空博美はパラダイムを変えたんですが、人間としてのあいつはただのクソ野郎じゃないですか」
「美空君、違うんだ。俺は君の人格を否定したいわけじゃなくて―――」
「この話は一旦、保留にさせてください」
俺は即座に立ち上がって、横に目を向ける。羽林は慌てた顔で俺を見上げるだけだった。
今回のスカウトには、彼女もだいぶ肩入れしたのだろう。昔から俺のファンだと言うし、アルバムのタイトル曲もけっこう上手く作れたから納得は行く。
彼女に罪はないし、代表にも罪はない。だけど、ムカつく。ムカつきすぎて吐きそうになる。
俺があいつと同類だなんて。
死んでも、内臓をズタズタに引きちぎることになっても、認めたくない。
絶対に、認めない。
「すみません。俺はこれで」
それから何時間も街をふらふらして、9時が過ぎてからようやくマンションに辿り着いた。
消化できない父親へのわだかまりは、氷に対する思念に変わる。今、なにをしているのだろう。
エレベーターに乗りながら、そんなことを思った。
「…………」
もし、もしも。
本当に俺があいつと同類だとするのなら、俺は大切な人をゴミのように投げ捨てるクソ野郎ってことになる。
そして、今の俺にとってもっとも大切な人は、氷だ。氷の存在は既に俺自身より大きくなってるし、氷は性欲と独占欲がなんなのかを教えてくれた。
俺がもし、そんな彼女を傷つけて、ゴミ扱いして、捨てる未来があるとしたら。
俺は今すぐ、このマンションから飛び降りるべきだ。
美空博美は天才の言い換えでもあるが、家族を見捨てたゲスの言い換えでもあるから。
「…………ふぅ」
……氷には、こんな顔見せられないな。
エレベーターの鏡に映った自分の顔を見て、ため息をつく。自分で見てもビクッとするくらいに顔がこわばっている。
両手で頬を掴んで、無理やり吊り上げてみる。作り笑顔でも笑顔でいる方がマシだ。
「……ただいま~」
早く氷に会いたい。会ってなにかしたいわけじゃないけど……会いたい。
そんな気持ちを抱いたまま家に入ると、真っ黒な空間が俺を迎えてくれた。
あれ?家を空けてる……?氷が?
リビングも、氷の部屋にも灯りがついていなくて、俺は顔をしかめながら早く自分の部屋に行ってみる。閉ざされているドアをパタンと開く。
そうしたら、見えた。
「……………………………」
「……………………………」
乱れた髪のまま、布団を抱えて。
あからさまに、ここで自分を慰めていたと宣伝をしているような氷の姿を。
「………氷」
俺が言えることは、一つしかいなかった。
「なに……してるの?」
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