第41話 俺のメイドとのキスが熱くなっている
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氷とするキスが熱くなっているような気がする。
自分の唇が熱いのか、氷の唇が熱いのかは分からない。だけど、キスが熱いのは間違いなくて、ずっと触れ合っていると燃えてしまいそうだった。
どうしてこうなったんだろうと思いながらも、俺は録音ブースの中でレコーディングをしている羽林を見る。
彼女はいかにも楽しそうで、生き生きとした声がスタジオの中を満たす。
一緒にいるエンジニアさんも、隣にいる恵奈さんも、リズムに体を揺らしながら音楽に浸っている。
「…………」
みんな、曲を気に入ってくれてよかったと思う。
まやかしの愛を想像して作り出したものだから、どこかに漏れがあるんじゃないかと思ったけど……上手く誤魔化せたようだ。
もちろん、すべてがまやかしじゃない。氷と一緒にいる時に感じるものや、あの子とキスをしている時の鼓動はちゃんと―――
「よかったじゃん、直」
そうやって頭の中がまた氷漬けになりそうだった時に、ふと横腹をつつかれた。
恵奈さんはウィンクをしながら、ブースの中でヘッドホンを外している羽林を見る。
「ふふっ、直のラブソングってこんな感じなんだ~~ちょっと不思議」
「えっ、どこがそんなに不思議なの?」
「ちゃんと恋している人のメロディーだからね、これ」
ドクン、と心臓が大きく鳴り出す。
恋している人のメロディー?これが?いや、そんなはずは……。
「うん?違った?まあ、直って天才だから生半可な感情だけでも、こんなサウンド作れるだろうけど」
「恋はしてないと思うな、たぶん」
ニヤニヤしている恵奈さんにきっぱり答えると、今度は正面からヤジが飛んできた。
「ええ~~本当かな~」
「……羽林」
「ちょっと怪しいな~~前に私たちをほったらかしにしてどこに行ってたのかな~ふふっ」
……たぶん、スタジオを出て氷に会いに行った時のことだろう。眉間にしわを寄せてどう答えるか悩んでいたところ。
幸い、エンジニアさんが助け船を出してくれた。
「すみません、羽林さん。ちょっといいですか?この曲、最初から流してみるんで」
「あ、はい!お願いします!」
それからはひたすら曲の完成度を高めていく時間で、俺たちは誠実に作業に取り組んだ。
といっても、既に曲を提供し終えた俺にやることは特におらず、ほとんどエンジニアさんと羽林に任せる形になってしまった。
それでも、それなりに感想と意見を添えて、サウンドを先鋭化させようと努めて……そろそろ終わりが見えてきたころ。
「そうだ!あのね、NOAH君」
「うん?」
「この曲、タイトル曲にしてもいい?」
予想もしてなかったことを聞いて、俺は目をあんぐりと開けてしまう。
「え?タイトル曲?」
「そうそう!アルバムのコンセプトにも合ってるし、曲もしっくりくるような感じがして」
「でも、君の一存で決められることじゃないんでしょ?会社のプロデューサーさんとかに相談しなきゃいけないんじゃ」
「それはもちろんだよ~~でも、私はこの曲気に入ったから、これで行きたいなと思うだけ」
羽林は満面の笑みを浮かべている。俺は、苦笑しながらソファーにもたれかかった。
当たり前だけど、タイトル曲はアルバムでもっとも重要なポイントだ。
MVを撮るのを含め、アルバムのマーケティングや宣伝もほとんどタイトル曲を中心に回る。アルバムに収録されているすべての曲を聴く人って想像以上に少ないのだ。
だから、タイトル曲はアルバムの顔という面を通り越して、そのアーティストを象徴するようなイメージにもなれる。
なのに、こんなあっさりとタイトル曲にしたいだなんて。
複雑な感情のまま黙り込んでいると、急に隣にいる恵奈さんが言った。
「それいいね。ていうか、やり手のプロデューサーなら絶対にこの曲をタイトルにするでしょ」
「え?なんで?」
「なんでって……」
俺が反射的に聞くと、恵奈さんは呆れたように額に手を当てながら言う。
「忘れてるんじゃない?あなた、NOAHなのよ?界隈で一番有名な天才アーティストと天才作曲家が一緒に作った曲。売れないわけないじゃん、普通に考えて」
「じゃ、直。また後で連絡するね」
「うん、ありがとう。気を付けて」
住んでいるマンションの前。
車でここまで送ってくれた恵奈さんに手を振って、挨拶をした。車はすぐに消えていく。
「………」
どうしてこんなに、後ろめたい気持ちになるんだろう。ため息をつきながらも、俺はマンションの中に入った。
アルバムのタイトル曲なんて、今までも何度か作って来たじゃないか。別に大したことはないはずなのに、心に小さな棘があるように不快感が晴れない。
……いや、理由はなんとなく分かっている。曲に100%の本気が込められていないからだ。
まやかしの感情を膨らませて、サウンドにしたから。
羽林に渡した曲のサウンドはその時の俺のすべてを注いだものの、この先にあるかもしれない感情まで注いではいない。
俺は愛がなんなのか、未だに分からない。
俺はただ、氷がしてくれたキスと、氷が見せてくれた笑顔と、氷から伝わってくる温もりを辿って紐づいて、具現化しただけだ。
「お帰りなさいませ」
「………」
氷がいてくれなかったら、俺は今回の曲を作れなかったんだろう。
氷がいてくれたからこそ、俺は新しいなにかを学ぶことができた。そのなにかはたぶん、人間として欠かせない類のものなんだろう。
「……ご主人様?」
「氷」
「はい」
「俺のこと、嫌い?」
想像もしてなかった質問なのか、氷の赤い目が見開かれる。
戸惑う姿を見たくなくて、俺は手を振りながら言葉を付け足した。
「ああ、いや。そうじゃなくて……ほら、前に言ったじゃん。俺のこと嫌いだって」
「私がいつそのような言葉を…………ああ、なるほど」
羽林に曲を送って、電話で感想をもらっていた時。
俺は通話中に氷にキスをされて、通話が途切れてからもキスをされた。氷に嫌いだと言われながら。
「ごめん、質問がおかしかった。今のは気にしないで」
「………」
「氷?」
首を傾げながらも家に上がると、氷は若干恨めしそうな顔で俺を見つめてくる。
「ご主人様」
「うん」
「ご主人様は私のこと、嫌いじゃないんですか?」
「嫌いじゃない。あと、二度とそんなこと言わないで。氷のこと、嫌いになるわけないから」
「……………」
言葉の後半で思わず低い声が出てしまって、俺は自分自身に驚く。氷もまた目を丸くさせて、俺をぼうっと見上げてきた。
そして、氷は。
「………やっぱり」
「うん?」
「私はご主人様のことが、好きにはなれないです」
言葉とは真逆に俺の首に両腕を巻いてから、つま先立ちになる。
それがなんの合図なのかを分かっている俺は、大人しく目を閉じて身をかがめる。
20時間ぶりのキスはやっぱり、前よりも熱かった。
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