決戦開始

 私――佐倉詩織は、この日のことを一生忘れないだろう。


「ぐあ……。くおおおおおお……!」

 いつもクールだったはずの怜君が、急に悶え始めて。

「逃げろ、おまえら。このまま、じゃ……」


「れ、怜君……?」


「グオオオオオオオオオッ‼」


 そして数秒たった頃には、見たこともない化け物へと変貌してしまったのだから。


 なにより特徴的なのは、まずその全長だろうか。

 怜君の背丈は〝男子高校生の平均〟くらいだったはずなのに、それが一気に見上げんばかりの巨体へと変貌してしまっている。私が普段通っている学校の校舎よりも大きくて――そして、あまりにも禍々しい。


 全体的にくすんだ青色の体色をしており、髪にあたる部分には蛇のような生き物が蠢いている。漆黒に染まった瞳に、この世のすべてに絶望しきっているかのような表情……。


 認めたくない。

 信じたくない。

 けれど――あの化け物が怜君から変化したことは、紛れもない事実だった。


「なんだ……あれは……」

「信じられん。私はいったい、何を見ているんだ……?」


 刃馬や飯島も、当然驚きのあまり立ち尽くしている状態だ。


 片や裏社会の重鎮で、片や政治界の重鎮。

 それぞれ豊富な人生経験を積んできているはずなのに、それでもこの展開には困惑せざるをえないようだ。


「ちっ……」


 だが、それでも極道の道に生きる刃馬はさすがというべきだろう。

 私たちを守るべく、彼は咄嗟に私たちの目の前に身を乗り出した。


「てめぇこら! 怜様にいったい何をしやがった!」


「あッはッは! 怖いなぁ♡ さっきも言った通りじゃないか。第四魔神レンディアス=ゾロアーガ……本来の姿に戻ってもらっただけだよ♠」


「なんだとてめぇ……!」


 ぎりぎりと恐ろしい形相でフェグニアを睨みつける刃馬。


 彼は極道の世界に生きる者。

 並の人間ならこの威圧感だけでも怖れ慄いているだろうが、あの魔神フェグニアもただならぬ存在だ。刃馬の放つ圧力をものともせず、あくまで飄々と笑い続けるのみ。


「そんなに怒らないでおくれよ。そもそもの話、レンディアスは人間が大嫌いだったんだよ? 自分の欲望を満たすためなら、他者を蹴落とすことも厭わない――あッはッは、まさに君たちがそういう人種なんじゃないかい?」


「なんだと……?」


「さっきの〝怨念〟は、僕ら魔族たちの〝思いの丈〟みたいなものさ。人間が憎い、人間を滅ぼしたい……。そうした怨念が最後のトリガーとなって、《世界終末の剣》を完成させたんだよ」



 ――かくして《世界終末の剣》が完成する時、魔神レンディアスは蘇り、世界は終末へといざなわれる……――


 怜君が言うには、この《世界終末の剣》、いつしか勝手にステータスウィンドウに入っていたという。


 しかし私はこんな剣なんて聞いたことないし、ネット上でも目撃情報はなかった。


 魔神フェグニアの言葉を信じるなら、レンディアスの記憶を取り戻すためのトリガーとして、怜君のステータスウィンドウに入っていたということか。


「ふん。さっきからつまらぬ話を」

 今度は事務次官の飯島が話に割って入った。

「それで、貴様たちの目的はなんなのだ。怜君を魔神化できれば満足ってことか?」


「アハハ……。う~ん、さすがにこれ以上は喋りすぎな気もするなぁ……」

 飯島の放つ眼光にも、魔神フェグニアは一切動じない。

「けれどまあ、どうせなら君たちが怖れ慄く姿も見たいし……♡ 特別大サービスに教えてあげっちゃおうかぁ!」


「…………」


「――――簡単だよ。ダンジョン内の魔物は、基本的にダンジョン外には出てこられない。けれど、もともと人間だった・・・・・レンディアスが魔神化したとしたら? 果たしてどうなると思う?」


「まさか……」


「ピンポンパンポーン‼ そのとお~~~り! レンディアス自身がダンジョンの外に出て、あらゆる人間をぶっ殺しちゃいま~~~~す!」


「…………っ」


 さすがの飯島も一瞬だけ苦々しい表情となった。


「あッはッは、君はたしかダンジョン管理省のトップだっけ? ごめんねぇ、君の部下があまりにも鬱陶しいから、何人か意識を乗っ取っちゃったよ。そこにいるレンディアスを、力づくでも連れてくるようにね!」


「……警察官たちは怜君に銃口を向けていたぞ? あれで仮に怜君が死んだらどうするつもりだったのだ」


「なんだよ、さっきも言ったじゃんか。レンディアスは最強の魔神。鬼塚にどれだけ殴られても平気だったように、撃たれたくらいじゃ死なないさ」


「…………」


 さっきから新情報が続々と届いてくるが、まとめれば一本筋にまとまる。


 魔神フェグニアが言うには、怜君はもともと魔神レンディアス=ゾロアーガ。


 レベリングが異常に速かったのも、ダンジョン外において異様な戦闘力を発揮していたのも、魔神の血があったからだという。


 本来、ダンジョン内の魔物は外に出ることはできない。


 けれどレンディアス・・・・・・は元々人間だから、その法則から外れ、ダンジョン外の人間たちを殲滅させることができる。


 暴力団や警察官、そしてダンジョン調査庁もまた、魔神フェグニアの傀儡でしかなかったわけだ。

 多少強引にでも怜君を連れ帰ってくれば、かれらの〝人類滅亡〟という悲願を達成できるのだから。


 つまり一連の事件は――怜君が本来の姿を取り戻すための茶番でしかなかったのだろう。


「ニゲロ……オマエラ……」

 当の怜君――否、魔神レンディアスは今も呻き声をあげているのみだ。

 内なる自分と戦っているのか、激しく身を震わせ、懸命に私たちに声を投げかけてきている。

「オレハモウ……オマエタチのカナウ相手ジャナイ……。イイカラ、ニゲロ……」


「ふぅん……?」

 その声を聞いた魔神フェグニアが、退屈そうに片耳をほじくった。

「ちょっとそれはつまんないよレンディアス。もしかしてさあ、人間たちに情が移ったわけじゃないよねぇ?」


「ニゲロ……ニ、ゲ……」


「ま、それも元の人格が戻るまでの話か。せいぜい頑張りな~~~」


「ふざけないで……ください」

 気づいた時、私は無意識のうちに歩き出していた。


「し、詩織さん! 危険です、留まってください!」

 そんな私に刃馬が呼びかけてきたが、今更、そんな制止を聞く気にはなれなかった。


「世界滅亡のため? 怜君の〝本来の姿〟を取り戻すため? そんなことはどうでもいい……。どうでもいいんです‼」

 私は鞘から剣を抜くと、その切っ先をレンディアスに向けた。

「言ったでしょ。私はあなたをどこまでも追いかける。たかが魔神化したくらい・・・・・・・・・・・で、私たちの縁を途切れさせようとしないで‼」


「ア…………」


 私の言葉に、レンディアスの動きが一瞬だけ止まった。


「ふ……そうですな。おっしゃる通りだ」

 刃馬もふっと笑うと、私の隣に並び、戦闘の構えを見せた。

「怜様。幼き頃よりあなたを見守ってきた者として、ここは命を代えてもあなたを元に戻してみせましょう。――そうでなくては、神須山の幹部を名乗る資格はない」


「やれやれ。まるで何かの漫画を読んでいる気分だが……」

 そして飯島も、同じく魔導銃を構えて私の隣に並ぶ。

「君をこのダンジョンに誘ってしまったのは私だ。このまま知らぬ存ぜぬで帰るつもりは毛頭ない。ダンジョン管理省のトップとして――本気で君を守らせてもらうよ」


「オマエ……ラ……。グ、グガアアアアアアアアアア…………‼」


 突如、魔神レンディアスの全身を禍々しい漆黒のオーラが包み込んだ。


 先ほどまでは青々しかった体色が、ドス黒い色へ。さっきまではなかった両翼が急に生え出して、魔神フェグニアに近しい姿へ。


 考えるまでもない。

 怜君としての自我が呑み込まれ、魔神としての自我が露出してきたのだろう。


「アハハハハハ! いいねぇレンディアス! 僕はここで見守ってるからさぁ……もっともっと本気出して、このわからず屋たちを痛めつけちゃおうよ♡」


「グアアアアアアアアッ! コロス、ニンゲン、コロス……‼」


 今にして思えば、怜君との出会いがはるか遠い過去のことのように感じられる。


 彼は世界で唯一、レベルカンストの境地に立っていて。

 暴力団組長の息子であることから、ダンジョン外でも突出した強さを誇っていて。


 今ならわかる。

 他にもダンジョン探索を生業にしている人は大勢いるが、その人たちもレベル120がいいところ。


 ダンジョンにこもっているだけでレベルカンストの境地に立てるわけがない。

 そのうえ、彼はさらに魔神としての力を手に入れてしまった状態。

 私たちが束になったところで勝てる見込みは著しく低いが――それでも、屈するつもりはない。彼と出会うことがなければ、私はとうにデスデビルオーガに殺されていた可能性が高いのだから。


「いくよ怜君! 絶対、絶対、私たちが助けてみせるから……!」


「ガァァァァァァァァアアア…………‼」


 かくして、命をかけた決戦が幕を開けるのだった。

――――――


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