第十五話 千秋楽
武道館の舞台裏で起こった、世間の誰にも知られることのなかったアイドルメンバー同士の殺人未遂事件。
事件を解決に導いたのは、アイドルたちの一番近くにいた男、
武道館ライブ二日目、いよいよ最後の曲が終わった直後の事。
「皆さぁん! 実はですねぇ、私からご報告があるんですよぉ!!」
モニカが仕掛けたサプライズに期待の声を上げるファンたち。
「私……モニカは、この度……!!!」
背後で響くドラムロール。
高まる観客たちの希望。
そしてクラッシュシンバルの音を以てドラムロールに終止符を打ち、数秒の静寂が流れる。
静寂を切ったのは、レイだった。
「私の恋人になりました」
モニカのもとに近づき、未就学児が人形を抱き上げるように抱きしめた。
あらゆるアイドルの発表の中でも最も異質と言える発言に、ファンたちはどのような反応を示せばよいのかわからず困惑していた。
「なにしてるの、私とモニカが結ばれたのよ? 誰か祝いなさいよ」
レイが観客に無茶振りをしているように見えるが、実際にその通りである。しかしレイの性格をよく知っているファンたちは、レイの発言を皮切りに今度は祝福の声を上げ始めた。
「あ゛~……ついにモニカちゃんがレイちゃんと……」
舞台袖でその様子を見ていた
「別にいいじゃないっすか、ビジネスカップルなんだし。それにファンならアイドルの幸せは願うもんっしょ?」
同じくそばで見ていた
「しかし……今回は高橋さんから学んだっす。ただ罰そうって考えはよくないかもっすね。それから関係者の気持ちを決めつけずに、双方が満足できる方法を模索したほうがいいんすかね?」
「私に聞かずとも、それが正解だってことは東さんはよくわかったでしょう?」
「ハハハ……そっすね。じゃ、僕たちはそろそろ退散ってことで」
「えぇ!? もう行くんですか!? これからアンコールもあるのに……」
「しょうがないじゃないっすか、ここ一週間溜まった依頼を消化しなきゃならないんすから。全く、香菜さんが余計なことしたせいで仕事が増えちゃったじゃないっすか!」
「良いじゃないですか! もっと稼げるようになったんだから私に感謝してください!!」
「ま、まあ、それはそうなんすけど、ホームページやSNSの作業はやってもらうっすからね!」
かくして、事件は解決された。
その日のうちに、ラッキーセブンの所属事務所「フリージア・エンターテイメント」から依頼達成料1500万円が振り込まれた。
二日後、高橋からメールが来ていた。
『この度は依頼を引き受けて下さり誠にありがとうございました。打ち上げの時の写真を添付します。あの後物凄い勢いで二人のニュースが拡散され、一部誹謗中傷等もありましたが大半は二人の仲を応援する反応でした。当の本人たちは、ビジネスカップルということではありますが、プライベートでも恋人のように仲良くしています。あの時東さんがレイのナイフを止めて下さらなければ、この写真のように笑い合えることも無かったでしょう。本当にありがとうございました』
「幸せそうで良かったっすね」
と東がつぶやく。
「ええ……」
香菜の返事には覇気がなかった。やはり引きずっているのだろうか。すると東が、
「ところで……あの事件、高橋さんもそうっすけど香菜さんがいなければモニカさんの命が危ないところだったっす。そして自分の命を危険にさらしてモニカさんを守ろうという作戦によく応じてくれたっすね、感謝するっす」
と、香菜に向かって頭を下げたのだ。
「え!? ……えぇ!?」
あの東が頭を下げて感謝を申し上げるような姿を、香菜は全くイメージできていなかった。東と二週間一緒に過ごせば当然の事だろう。まさか彼に頭を下げるということができるほどの器があったとは。
香菜の想像をはるかに超えた東の礼は、マナー講師もびっくりな整いぶりだった。
「ついでに、香菜さんの給料は二倍にしておいたっす!」
「え、二倍……!? 契約時の基本給っていくらでしたっけ?」
「385000円っす」
「じゃあ……77万円!!?」
月給77万円。十二か月で924万円。さらに年間累計ボーナスが三か月分であるので、香菜の年収は1155万円となる。
年収1000万。この時代においての年収一千万が、どれほどの人たちにとって羨まれ、憧れの対象であるだろうか。
香菜は思わずつばを飲み込んだ。月末には77万円が、いや、税金や社会保険料が差し引かれおそらく70万は切るが、それでも60万以上の金が彼女の口座に振り込まれる。
(何に使おうかな……今度新しいワインが発売されるってニュースになってたっけ。あとワインラックに新しいランニングシューズに……ああどうしよう、お金がたくさんあるって思ったより大変……!?)
等と、幸せな妄想に浸っていた、その時だった。
不意に何かが倒れ伏すような音がした。
香菜が我に返って通常の視界を取り戻すと、そこに倒れていた者の正体が分かった。
「……東さん……?」
桃山が声をかけるが、東はピクリとも動かない。
「東さん……! 東さん!! 大丈夫ですか!!!?」
香菜がパニックになりながらも東の体を揺り動かす。
しかし、東は反応しなかった。
「えーと、救急車! あれ、119番って何番だっけ……」
東はすぐに緊急搬送された。
香菜は内心、東のことが気が気でなかった。いや、内心というにはあまりにも感情が表に出すぎていた。
それもそのはず、香菜は東が五日前に階段から突き飛ばされ、頭から出血するほどのけがを負った(第十三話参照)ことを知っているのである。
(まさか重篤な後遺症が……!? あの時ちゃんと病院で診てもらってれば、こんなことには……!)
「先生!! 東さんは無事なんですか!!?」
今にも泣きだしそうな思いで医師に問いかける。
「……えーと、東さんの奥様ですか?」
「ち、違います! ただの同居人です!!」
「そうですか……東さんの症状ですが」
先程のような垂涎の思いとは真逆のつば、固唾を飲みこむ香菜。
「……低血糖です」
「……え?」
「血糖値が基準値を大幅に下回り、意識障害を起こしたんです。今は点滴をしています故、直に目も覚めるでしょう」
「……あの、あの人五日前に頭を強く打って……」
「ええ、そのような痕跡も認められましたが、幸い脳に異常はないようです」
東は助かる。
その事実がようやくわかってきた香菜の身体から力が抜け、へなへなと座り込んでしまった。
「なんだ……じゃあ甘いもの食べれば治るんじゃん……でもなんで低血糖に?」
「東さんに既往歴は?」
※注釈:インスリン治療を受けている人は低血糖のリスクが常人より高い。
「多分……ないと思います」
「となると……過労か、あるいは小食か……」
そんなことを話していると、東が入院している部屋から看護師が出てきた。
「先生、東さん目を覚ましました!」
「そうか、今行く」
「私も行きます!」
香菜もすぐに様子を見に行った。
「いやー、なんか手先が震えたり頭が痛いなーって思ってたら、まさか低血糖とは! えらい目に遭ったっすね!」
等とへらへらとしゃべる東がそこにいたので、とりあえず香菜は一発東の顔をビンタした。
「ブヘッ!! 何するんすか雇い主に向かって!!」
「東さんねぇ……私すっごく心配したんですよ!? 急に倒れたんですもん! 数日前に頭ぶつけてたから余計に心配で、もし東さんが死んじゃったらどうしようとか考えちゃって……!!」
「なんすか、低血糖程度で大げさな……」
「大げさじゃないです!! 低血糖だってほっといたら死んじゃうんですよ!?」
病院内にもかかわらず大声を上げ、肩で息をするほどに呼吸が乱れる香菜。
一息をつき、怒りの感情が収まってくると、今度は安堵と、東に対する愛情のような何かがあふれてきた。
次の瞬間には、香菜の意識が働く前に東を抱きしめていた。
「……え? いや何やってんすか急に」
「とにかく……無事で良かったです……! 本当に良かったぁ……!!」
香菜は泣いた。東の胸に顔をうずめながら、彼の服が汚れることなど知ったことかと言わんばかりに。
「ちゃんと自分の体……大切に……ヒック、してくださいね?」
「そりゃまあ、してるつもりっすけど」
「……本当ですか?」
香菜の声色が変わった。
「本当っすよ」
「じゃあ東さん、あの一週間、具体的に何やってたんですか?」
「え~? 何聞いてるんすか、香菜さんも知ってるっしょ? ただ二十四時間依頼人のそばに居て、不眠不休で何があっても守るって思ってたんすよ。いや~探偵七年間の中でも結構きつい方だった! なんせ一週間、まともに寝てないんすからね! アハハ!」
香菜の感情に「怒り」の要素が復活した。
「……このまま絞め殺してあげます」
と、既に東の首に回していた腕に力を加える。
「うげげげっげええ! やめて、苦しい死んじゃう、いやガチで死ぬ」
先程からこれらの様子を傍観していた医師と看護師だったが、流石にこれは見過ごせず、香菜を引っぺがした。
これで東は解放された、かと思いきや
「東!! お前また無茶したんだってな!!」
扉から今回の事件でまったく出番がなかった
「げっ、みっちゃん……」
「貴様という男はそうやって人に心配ばかりかけさせて、自分も死にかけて! もう少し我が身を大切にしたらどうなんだ!!」
「香菜さんが言ったことと全く同じじゃないっすか……」
これ以降三十分にわたって、水沼と香菜によるお説教タイムが続いた。
東は翌日には退院した。
今回の東敏行の収支
支出
・入院費用 20000
・タクティカルペン(再購入)800
・特殊マスク 50000
計70800円
収入
・前金 1000万
・依頼達成料 1500万
計2500万円
収支 +2492万9200円
次回、File.4 ユースティティアの曲解、開幕
第十六話 弁護士笹島登場 に続く
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