4 前線へ

 リンナバラの全駐留部隊との連絡がつかなくなってすぐ、総司令部から、魔動力研究所の魔術師部隊に調査要請が出された。


 雨衣あまいたちはすぐに、ロジェを見送ったバレク駅に車で送られ、魔動列車に乗り込んだ。列車や軍用車を乗り継ぎ、バレク連合支配下となっているリンナバラ首都南西部のとある地方都市にたどりついたのは翌日の昼のことだった。



 

 昼のはずなのに、降り立った町には時間通りの青空が広がっていて、首都方面は夕焼け色に染まっている。そのコントラストがあまりにも不気味だった。


 街に駐留する兵士の話では、大きな地震が起きてから急に首都方面の空が光り、夕焼けになり、それからずっとそのままだった。そして今は、深夜よりも明らかに夕焼けが広がってきている、という。魔動力装置が動かず、バレク連合の本部や首都方面の部隊とは連絡がつかず、確認に行った部隊も戻らない、途方に暮れていたので魔術師部隊が来てくれて助かった、とのことだった。


 不安げな顔の兵士たちの前では言わなかったけれど、雨衣たち魔術師部隊も、見たことのない魔術を前に、同じく途方に暮れざるを得なかった。


 とにもかくにも状況がわからなければ、対策の立てようがない。ここから先は車が動かないらしいので、調査隊の救援と首都への進軍を決めた地方都市駐留部隊500人あまりとともに、首都へ歩いて向かうことになった。




 夕焼け空が近づいてくる以外は、道路を歩いていても特に異変はなかった。


 魔術道具の入ったバックパックの重さが気になり始めたころ、首都が近づいてきた。


 宗教国家の首都とはいっても、魔動力を使わないだけで、それ以外の一般的な物質科学は受け入れている。コンクリートの道路が、急に中世の石畳のようになったりはしないし、建物が一面、真っ白な石造りの家に変わったりもしない。


 だから余計に、そこからすっぱりと夕焼け空に切り替わる異様さがきわだつ。目の錯覚でなければ、オーロラのようにゆらゆらと揺れながら、紫色に変わったりオレンジ色に変わったりしている。空模様にここまで大きな影響を及ぼす魔術なんて、見たことも聞いたこともない。


 空ばかり見上げていた雨衣がふと視線を戻すと、いつでも結界装置を作動できるよう構えた先頭部隊が、足を止めていることに気づいた。


「どうした!」


 魔術師部隊の隊長が叱責の色をこめた声を上げると、


「その……リンナバラの兵士や市民が」


 もごもごと煮え切らない返事が聞こえてきた。


 苛立った隊長が兵士たちをかき分けていく。雨衣は慌ててそのあとを追った。兵士の群れから出たところで、雨衣もまた、先遣部隊と同じように困惑するほかなかった。


 四車線の道路の両側に、飲食店や住居が立ち並ぶ市街地。バレク連合の国旗が刻まれた戦車や装甲車が乗り捨てられ、リンナバラ軍の黒い軍服を着た魔術師たちや、ごく普通の市民たちが、道端で眠っているのだ。それもひとりふたりではない。すべての人間が、だ。


 いくら体を揺らしたり呼びかけたりしてみても、起きない。


「そこの装甲車が、先に調査に向かった部隊のものか確認を」


 隊長が指示を出すと、先頭の兵士2人が装甲車に駆け寄っていった。


 兵士は開けっ放しの車のドアから、中に入り、すぐ出てきた。


「車内に残されたドックタグは調査に向かった部隊の人間のものです! ただ、その、奇妙なことが」

「今度は何だ」

「隊員の服や装備だけが残っています。服の脱ぎ方がその……まるで、その場から人間の体だけ消えてしまったような状態で」


 ゴゥゥ……ン。


 ゴゥゥ……ン。


 ゴゥゥ……ン。


 兵士の報告をかき消すように、重く冷たい鐘の音が響く。どこからやってきているのかわからないその音は、繰り返されるたびに大きくなり、やがて、体の底から震わせるようなとてつもない音を発し始めた。


 オレンジ色だった空がゆらぎはじめ、紫色になったり赤色になったりしている。


 この音は、なにか、とてもいやな音だ。雨衣は肌があわだつのを感じた。


「対魔術結界展開!」


 隊長のかけ声に従い、魔術師や兵士たちがそれぞれ、空に向かって結界用の黒いボールを投げた。その場にいる全員、空中のボールに対して位置固定魔術をかけ、魔術波長を重ねていく。そうすればボール内部の魔力増幅装置によって、全体を覆えるくらいの結界は作動する、はずだった。


 しかし位置固定魔術は成功しているのに、球形の結界は出現しなかった。


 そうしているあいだにも鐘の音は鳴り続け、ついには耳鳴りが始まるほどの爆音になった。


 おかしな場所で立ち往生おうじょうした車、使われた形跡のない魔動銃。不気味な光景を目の当たりにしてから、どういう種類の魔術なのかずっと考え続けていた雨衣は、


「魔動力を封じる魔術かもしれません!」


 と怒鳴ったが、周りの誰も聞こえていないようだった。自分でもちゃんと声が出ているのかわからない。


 雨衣は激しい目まいのような感覚にふらつきながら、近くにあった燃えないゴミ用のゴミ箱に手を突っ込んだ。中から空き缶を拾い上げ、上へ放り投げる。位置固定魔術をかけ、ボールに対するものとは違う魔術波長を送り込んでいく。


 すると、空き缶の形がそのまま巨大化した半透明の結界が、雨衣の周囲に広がった。魔力増幅装置がついていないため、自分の周囲、20人ほどしか囲えていない。


 結界が完成すると同時に鐘の音が消えた。やはりあの鐘の音は魔術だったようだ。


「あ、ありがとうございます……」


 すぐそばにへたりこんでいた男の兵士が、雨衣に礼を言いながら、ふらふらと立ち上がった。


「気にしないで」


 まだ耳鳴りがする。


「お前はやはり機転が利くな、雨衣。魔動力を封じる魔術か」


 魔術師部隊の隊長が近寄ってきた。

 隊長を中心に固まっていたので、ミン含め、魔術師たち全員が、雨衣の結界の中に入っていた。


「ただ、ここから先が問題です。この魔術の厄介な所は、無効化だけでなく、単純な音量が行動を制限してしまうところです。耳栓をしながら、リンナバラの精強な魔術師たちと、生身で魔術勝負をし、発信源を叩かなければいけません」


「魔術の発信源特定装置は、魔動力が無効化されているので使えないな」


「はい。魔術波長の揺らぎをどうにか見つけて、たどっていくしかないでしょうね」


 魔術師は、常人よりは魔術波長の揺らぎを見つけやすいが、決して易しい作業ではない。全空間に魔術波長を当てながら、ひとつひとつひび割れを見つけていく地道な作業だ。ここにいる魔術師だけでは、あまりにも人数が足りない。


「そしてもうひとつ、隊員たちが消された魔術と、この魔術は、全くの別物ですね。おそらく魔動力を封じられた後に、別の魔術によって存在を消されたのでしょう」

「そんな魔術存在しない、と言いたいところだが……魔術に絶対はないからな」

「ひとつ気になることがあるんです。わたしが前にアーデ教授の遺品オークションで……」


 雨衣が話を続けようとすると、突然、結界がゆらいだ。

 頭上で、半透明の境界線がたわみ、戻り、たわみ、戻りしている。


 そこには、巨大な赤い揺らぎがあった。

 燃え盛る炎のようにゆらめく赤をまとったそれは、犬かオオカミのような――四足歩行の巨大な獣の形をしていた。








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