キリンジ・ボンジン
月無野菊
1
背中の毛が逆立つのを、肌で感じた。
同年代にこんな小説を書く人がいるのか。
もし、自分だったら、どういう表現をしただろう。
――ページをめくるごとに、目に焼きついたのは才能の差だった。
それは、ある高校のオープンスクールでのことだった。
文芸部誌、と書かれた冊子の隣には、「ご自由にお取りください」の貼り紙が貼られていた。
ぱら、ぱらとページをめくる音だけが廊下に響く。
すると、こつ、こつと足音がして、「気になる?」と、まだ若い男性教諭が私に声をかけてきた。私がびっくりして、「わっ!」と声を上げると、男性教諭のほうも驚いたらしく、後ろにのけぞった。
男性教諭は心臓のあたりを抑えながら、「びっくりした、びっくりした……」と繰り返し呟いている。
「あ、あの、すみません。大丈夫ですか?」
私が背中をさすろうとしたとき、男性教諭はさらに後ろに飛び退いた。
「私が触ったんじゃなくてもセクハラになるかもしれないから、おさわりはちょっとNGかな」
男性教諭はそう冗談めかして、言う。
「私はこの
男性教諭、改め津島先生は、うやうやしく頭を下げた。
オープンスクールに来ただけの、ここを志望校にするとも言っていない、ただの中学生に頭を下げるなんて。逆にこちらも恐縮してしまって、おもちゃの水飲み鳥みたいにペコペコ頭を下げる。
「君も小説、書くの?」
私がこくりと黙ってうなずくと、津島先生は「そっか、読んでみたいな。君の小説」と微笑んだ。
「それ、気になってるみたいだったけど」
津島先生は私の手元を指さして、「持って帰ってもいいやつだよ、それ」と付け加えた。
持ち帰ろうか悩んで、冊子の置かれた机の周りをうろうろしていたのを、はっきりと目撃されていた。羞恥でカッと顔が赤くなる。いや、泥棒みたいに黙って持っていってしまうのもどうかと思っていただけで、別にその他に他意はなく……と、言い訳を頭の中でいくら考えても、人見知りの私が口に出せる言葉はなかった。
しかし、この先生は背が高い。180センチくらいあるんじゃなかろうか。先生が窓側に立っているせいで、こちらは完全に影になっている。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
私が冊子を持って、そそくさと逃げ去ろうとした、そのとき。
「君の入部を心待ちにしてるよ」
津島先生は、私の背中に向かって、そう言った。
受験生向けのリップサービスのつもりかもしれないし、あるいは本気でそう言っているのかもしれない。
だけど――胸にパッと花が咲いたような気がした。
ここにおいで、と言われたような気がしたのだ。
振り向いて、先生のほうを見る。
津島先生はまっすぐ私を見て、「待ってるよ」と言った。
窓の外で、ざあっ、ざあっと風が吹いている。
膨らみかけた花のつぼみが、風に吹かれて揺れている。
あの花は、なんという花だろう。
母の運転する帰りの車で、ぼんやりと考えていた。
オープンスクールの次の日に、志望校を決めた。親からは「本当にそこでいいのか」と何度も訊かれたが、決意が揺らぐことはなかった。
こうして、私は黛高校に入学した。
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