第84話 陰と陽

 入学後最初の登校。教室は得も言われぬ緊張感と静けさに見舞われていた。基本的に中学は公立であれば同一学区内の小学校から集まる。その為、余程の過疎地域でなければ、クラス内に何人かは顔見知りがいるのが普通だ。だが学区というものがない高校ではそうはいかない。クラス内全員が誰も面識がないということがザラに起こるのだ。そうなるとどうなるか? 誰に話しかけることもなく自身の机で静かに過ごすことになる。そして現在それが起こっているのが……武藤のいる教室である。

 

(物音ひとつしねえ)


 武藤も内心焦っていた。いくらなんでもこの静けさはないだろう……と。独特の緊張感を漂わせる静かな教室は誰もが自分の席に座ってスマホをいじったり教科書を見たりと独自の世界を作っていた。さすがに他人に気を回す余裕がないのだろう。

 

「おーし、みんな席に……ついてるな」


 静かなままHRが始まる。教室に入ってきた担任教師も新入生独特の緊張感に戸惑っているようだ。

 

「今日からこのクラスの担任になった中林だ。担当教科は地理歴史だ。授業でわからないことがあったら大体資料室にいるからいつでも来てくれ。それじゃ出席番号順に自己紹介しろ」


 そういって生徒達の自己紹介が始まる。

 

 

「武藤武です」


 武藤はそれだけの安易な自己紹介をした。名前だけでそれなりに有名になっている為、武藤は認識阻害魔法を同時に使用する。それは認識阻害というよりは、武藤武という名前に疑問や好奇心を抱かせないという魔法だ。武藤武という名前を聞いてもへえそうなんだくらいにしか思われないというただそれだけのものである。本来なら学校で認識阻害魔法は使う予定は無かったのだが、さすがに最初にバレるとまずいと思い武藤は咄嗟に使ってしまった。それは百合達から極力目立たないようにという命令からの脅迫観念のようなものだろう。

 

 いくら学校でメガネにマスクをしていても結局その恰好で外でデートしていればすぐにバレるし、逆に目立ってしまう。故に武藤は普段、デート中だけ認識阻害魔法を使っている。それは今回使ったような認識をずらすレベルではなく、見ても誰も不思議に思わず、後で誰だったかも思い出せないようなレベルのものだ。その為、武藤と百合達との関連を疑うものはいない。

 

 武藤は目立たなかったことに安堵していた。既に武藤武の名はかなり忘れられてきているが、それでも一時期毎日のようにニュースで流れていた為に武藤武という名前を聞いて思い出す人がいるかもしれない。とりあえずその危機を脱したことに武藤はほっと一息ついた。

 

「じゃあこれから1年よろしく」


 そういって担任教師は教室を出ていく。

 

「ズラ」


「「ぶふっ」」


 一言誰かが呟いた一言に何人かが吹き出した。

 

「お前……あえてみんな言わなかったのになんてことを……」


「いや、だって教室入ってきた時と出ていく時で生え際が違ったことない?」


 その一言で教室中が笑いの渦に巻き込まれた。

 

「そりゃ俺だって緊張したよ。いつ落ちるのかって」


「自己紹介してる時より逆にハラハラしたよ」


 そういって教室の笑いをリードする男子生徒2人。恐らく違う中学出身であろうが、漫才のようにやりとりするそのコミュ力お化けな姿は明らかに陽キャと呼ばれる存在だった。

 

「俺は北中の越智だ。よろしく」


「星稜の玉木だ」


 そういって挨拶しあう二人。圧倒的な陽キャ感に気後れする者、仲間に加わりたそうに見ている者と反応は様々だ。何せ陽キャグループに入ればクラスカーストの上に行くのは間違いないのである。それに加わりたい者がいるのは当然だが、逆に近寄りたくないと思う者がいるのもまた世の常である。

 

(あれには近寄らないようにしよう)


 百合から陰キャに徹する指令を受けている武藤はそのグループには近寄らないように心に誓った。

 

 従来武藤は己が認めずもと陽キャの類である。小学生の頃からリーダーのような存在であり、周りに幼馴染が多かった為に友人も多い。そして自身は認めないがモテていた為、間違いなく陽キャの類であった。それは中学時代も同じである。つまり……陰キャの経験がなかった。

 

(陰キャに徹しろって一体陰キャってどうすればいいんだ?)


 陰と陽。そんな表現ではあるが、武藤はそんなことを考えたこともなかった。何故かといえば武藤がいるクラスは陰キャのように独りがちになりそうな存在には必ず武藤が気にして声をかけ、孤立しないようにしていたからである。男女問わず自然と声をかけ、誰もが孤立しないように立ちまわっていた。しかもそれは考えてやったことではなく、武藤の中では自然に行っていたことである。武藤が気にして声をかける為、他の者も気兼ねなく声をかけるようになる。気づけば武藤がいるクラスは孤立するような生徒はいなくなっていた。こんなことを無意識でやっていればモテるのも当然である。陰キャになりそうな大人しい女子生徒が武藤に恋するのも当たり前であり、声をかけてもらった陰キャな男子生徒が憧れるのもおかしいことではない。そんなわけで武藤は自然と陽キャオブ陽キャと言われるような生活であった。故に陰キャと呼ばれる存在がわからないのである。

 

 武藤は一番後ろの席の為、教室中を自然と見渡すと、陽キャな人達に加わろうともせず、我関せずという感じで一人の世界に入っている人達が何人かいる。

 

(彼らのマネをすればいいのか? 彼らも俺と同じく目立たないようにしている?)


 武藤は知らなかった。コミュ力が無さ過ぎて他人にかかわれない者、別に俺は仲間なんて求めてないしと強がる者、一人孤独な俺かっけーと中二病から抜けだせていない者。そんな者たちがいることを。

 

 武藤はとりあえず大人しい人たちのマネをし、ごく自然に目立たないように1日を人間観察で過ごすのだった。

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