第80話 留学

『アメリカの学校の入学が9月ってのは知ってるかい?』


「ああ、聞いたことがあるな」


『2学期でも1月なんだ。クリスが退院したのが1月。さすがにすぐに編入なんて無理だ。でもこれを逃したら9月まで半年以上間が空いてしまう』


 武藤は段々と嫌な予感がしてきた。

 

『そして今年、俺は長期の撮影でアメリカに居ないんだ』


 武藤の危険センサーがさらに警告を発する。

 

『そもそもまだ家も買ってないし、なにより学校に行ったこともないクリスを1人でアメリカの学校に入れるなんて心配して撮影に集中なんてできるわけがない!!』


 アレックスは段々興奮してきたようで、拳を握りしめて熱演していた。

 

『そこで君だ!!』


 嫌な予感が的中した。

 

『クリスと面識があり同い年。そして日本は4月入学。後は……わかるね?』


「俺一人暮らしなんだけど?」


『ちゃんと責任を取ってくれるなら大丈夫さ!!』


「俺恋人5人いるんだけど?」


『『!?』』


『さすがタケシ。モテるんだね。というか芸能人の僕よりモテてないかい?』


『こ、恋人!? そ、そうよね。タケシさんみたいに素敵な人、女の人が放っておくわけがないよね……』


 何故か落ち込んでしまったクリスに武藤は焦る。

 

『しかし、5人もいるのなら1人くらい増えても問題ないんじゃないか?』


「いや、そういう問題じゃないだろ」


『それじゃ誰か1人を選ぶのかい?』


「……相手の方が俺を嫌わない限り俺から捨てることはない」


『なら問題ないじゃないか』


「……その言い方だとクリスを俺の恋人にしろといってるように聞こえるぞ?」


『なら君の耳は正常だね』


「……」


 無言になった武藤はクリスを見ると、頬を赤らめて上目遣いでこちらを見ていた。顔の作りだけでいえば、間違いなく武藤が見た中ではぶっちぎりの1位である。その超絶美少女が顔を赤らめて武藤を見ているが、武藤は特に何も感じておらず、冷静にその姿を見て考えていた。

 

(命の恩人とはいえ仕事で助けただけの見たこともない会ったこともない赤の他人に恋をする? ありえない。きっと何か目的があるはずだ)


 恋に焦がれ、普通の生活を夢見て、そして絶望した少女にその少女が望む普通の未来を与えた。それがどんな大きな意味を持つのか無意識に人を助ける武藤には理解できていなかった。

 

「よく知りもしない子を恋人にはできん。それに恋人にするなら百合の許可がいる」


『じゃあよく知った上でその百合ちゃん? に許可を貰えればいいってことだな』


「……」


 あまりのポジティブさに武藤も言葉を返せなかった。

 

『まあ確かにお互いのことをよく知らないまま一緒に生活するのも色々と問題があるだろう。だから君に断られた場合は猪瀬にお願いしてある。ホームステイというやつだな』


 こいつ用意周到すぎないか……。

 

「でも今の時期に留学だと試験は去年になるだろ? いつの間にしたんだ?」


『僕を誰だと思ってるんだい? 日本のお偉いさんにも知り合いはいっぱいいるよ』


「……それ外交問題にならないか?」


『はっはっは、冗談だよ。確かに僕の知り合いにお願いしても大丈夫だったろうけど、その辺りは猪瀬の方が確実だからね。お願いしておいたんだ』


 既に猪瀬の手は日本の政治の中枢にまで伸びている。とりあえず与野党の主だった力を持つ政治家は既に猪瀬にからめとられていた。もちろん武藤もそれを知っている。何故知っているかといえば、清明として会っているからだ。

 

『命に係わる病気もあったからね。その辺は特別処置として対応してくれるらしい。というわけで高校卒業までクリスをよろしく頼むよ。勿論卒業後、できたら生涯面倒見てくれてもいいよ』


『お兄ちゃん!!』


 そんなことを言って陽気に笑うイケメンのテンションに武藤は言葉をつむげなかった。

 

 

 ピンポーン

 

 陽気な外人の笑い声が響く武藤家に玄関のチャイムの音が木霊する。

 

「やっほー武。やっぱり休んでたのね」


「おはよう武くん。平日の朝から会えるなんて何か新鮮だね」


 訪ねてきたのは百合と香苗だった。2人とも推薦組だが暇を持て余しているようだ。

 

「あれ? だれかお客さん?」 


「美紀達は普通に学校があるから違うはず。それにこれは……靴が大きい。男の人だね」


「でもこっちは女性用だよ?」


「つまり男女のペアということになる。しかも靴から考えるに女性はまだ子供、学生? と考えれば親子、もしくは兄妹という推測が成り立つ」


「玄関で名推理しなくていいから、早くあがりなよ」


 何故か靴から来ている相手を推測しだす香苗を余所に2人をリビングへと通す。

 

『やあ、お邪魔してるよチャーミングなお嬢さん達』


「あらっ外人さん?」


「!? なんでアレックスがここに!?」


「香苗知り合い?」


「……いや、いくら百合がTV見ないとはいえネットニュースとかで、見たことないかい? ハリウッドスターのアレックスだよ」


「ああ、俳優さんだったのね。確かにイケメンだ。武の方がいいけど」


 百合にかかっている武藤フィルターは女子高生組なんて物ではない。長年培われたものなので武藤の顔に対して数百パーセントの補正がかかるのである。ちなみに異世界でイケメンの騎士や貴族達を見慣れている為、百合はイケメン耐性がものすごく高い。その為、外人顔の場合どんなイケメンでも百合には効果が薄いのだ。

 

『1人は驚いてくれてるようだけど、もう1人は全然僕に興味なさそうだね』


「二人とも俺の恋人だけど、驚いてない方はさっき言ってた正妻にあたる百合だよ」


『なるほど。僕に興味がないわけだ。彼女は本当にタケシのことしか眼中にないみたいだね』


 そういって朗らかに笑うイケメンはやはり絵になる。

 

「そっちの女の子は誰?」


 百合のその問は全員が一瞬、周りの空気が凍ったような錯覚を覚えた。

 

「ああ、アレックスの妹のクリスだよ」


『クリスです。初めまして百合さん』


「Nice to meet you too, Miss. Chris.」


そういってクリスと握手する百合。武藤は二人の間に何故か火花が散って見えた。その二人の背後にはうにゃーと威嚇するアメリカンショートヘアと日本猫の姿が何故か見えたという。


ちなみに百合の英語は武藤にはそのまま英語として聞こえてきた。これは百合が頭の中で伝える言葉ではなく、そのままの英文を考えてしゃべっている為である。

 

『な、仲がよくて何よりだ。僕はすぐに帰国しないと行けなくてね。だからクリスのことはタケシに任せるよ。それじゃ!!』


 そういってアレックスは去って行った。どうやって帰るつもりなんだろうか? と武藤は考えたが、外に猪瀬の組員の気配を感じ取りああ、車で来てたのかと一人納得した。


『お兄ちゃんたら……』


「クリスはどこか行きたいところとかあるか?」


『何処でも行きたいです!! 殆ど外に出たことがなかったから……』


「そっか。この辺りは何にもないからショッピングモールで買い物でもするか?」


『お買い物!? 行きたいです!!』


「なあ、武くん」


「ん?」


「君の言葉はそのままなのに、彼女に何故通じているんだい?」


「意思の疎通をする魔法を使ってるからだよ」


「なにそれずるい!? 私もクリスと普通にしゃべりたい!!」


「まあ、言ってることは大体わかるけど、こちらの英語が通じるかどうかが問題だねえ」


 香苗は相手の英語を理解はできるが自分の言葉を英語に置き換えて、自分の思い通りに相手に通じるかはわからないみたいだ。


「じゃあ俺達はクリスに英語を教えてもらって、代わりにクリスに日本語を教えるってことでどう?」


「それいいっ!! 武が通訳もしてくれるからわかりやすそう」


「ふむ。しかし翻訳魔法を使っていたら武くんの勉強にならないんじゃないか?」


「ならないな。だからクリスには同じことを何度も聞くことになるけどいいかな?」


 翻訳魔法有りと無しでそれぞれ聞かないと、何を言っているのかが勉強できないのだ。


『もちろんいいよ。その代わり私も何度もタケシに聞くことになるけどいい?』


「それはもちろんかまわないさ」


『1人で聞きにいってもいい?』


「全然かまわないよ」


 そういうとクリスはにやりとほほ笑んだ。

 

「む? 武、今クリスなんていったの?」


「え? こっちが何度も聞くことになる代わりに何度も俺に聞くことになるけどいいっかって」


「むう、それなら問題ないか……」


「待ちたまえ。先ほど武くんは2回応答があったはずだ。だから質問はそれだけじゃないはず。正確に答えるんだ」


「ん? 何度も聞きに来るのと1人で聞きに行っていいかって聞かれたな」


「「!?」」


「クリス……やはり油断ならないわね」


「ああ、信じられない程の美少女だ。なのに全く抜け目がない。これは油断できないね」


「??」


 武藤にはその会話の意味がわからなかったが、そこにはにこやかなクリスと「クリス……恐ろしい子」というような表情の百合と香苗がいることは確かだった。






『すごい!! これがショッピングモール!!』


 いつものショッピングモールへと来た武藤達だが、百合と香苗ははクリスのテンションに一歩引いていた。そりゃあショッピングモールどころか自分で足での買い物すら初めてなら興奮するなという方が無理だろうと武藤だけはその姿を見て納得していたが。

 

『タケシ!! お店がいっぱいある!!』


「そういうお店だからねえ」


 武藤は大興奮するクリスを微笑ましい表情で見つめる。治した武藤はそれがどんなに奇跡的なことなのか理解しているからだ。

 

『あれ!! あれはなんですか!? 甘い匂いがします!!』


「クレープだな。食べてみるか?」


『いいんですか!?』


「ああ、選んでいいぞ」


『むむむ、この黄色いのはバナナ? 黒いのはチョコレートがかかってるのですね……』


 クレープ屋の前でクリスはクレープを吟味しだした。

 

「大興奮だねえ」


「クリスは1回死んでるからな」


「「え?」」


「元々起き上がれないくらい病弱で入院生活が長かったんだ。俺が渡米した夜に容体が急変して、1度心臓が止まってる」


「「!?」」


「だからクリスにとって普通の日常ってのはありえなかった未来でもあり、夢の生活なんだよ」


 その言葉に2人は体を震わせ目に涙が浮かび始めた。

 

『うーん、やっぱりこっちチョコがきゃっ!?』


 気が付いたら2人ともクリスに抱き着いていた。

 

「がんばったんだなあクリス!!」


「よかったね。治ってよかったね!!」


『?? タケシ? これはどうしたの?』


「お前のことを教えたら治って良かったって言ってるんだよ」


『もう、私は恋敵なのに……優しい人達ね。タケシが選んだ理由がわかる気がするわ』


「いい女達だろ?」


『ええ。でも私もいい女よ?』


「それはまだよくわからないな」


『もう!! そこは素直に頷くとこでしょう!!』


 2人に抱き着かれながら頬を膨らませてこちらを見るクリスのその視線は、非常に穏やかだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る