第169話 平べったくない、丸いんだって


 着々と個体数を増やす庭師一家のリアルに気まずい思いをしながらパーティーをやり過ごし、翌日から格納庫に関係者を集めて無線通信技術に関する説明会を行った。


 これで何回目になるだろう。同じ説明を何度も繰り返し行うのは億劫でも仕方ない。


 俺の国の機密に属する情報なので他国の間者が入り込めない場所を選んだわけだが、人数が多いので複数回に分けて行うしかなかったのだ。


「――と、このように電波を遮断する物質を間に挟むと通信障害が発生する。現在、手元の端末にはアンテナマークが表示されていると思うが、これは地上の電波を拾っているわけではなく、格納庫のルーターを介して繋がっている。ここは地下施設で、分厚い土壌と多数の隔壁に囲まれた空間だからね」


 格納庫の中央に設られた壇上で面白げな科学実験を見せながら、可能な限りわかりやすく説明しているつもりだが、ほとんどの人間が畏まって恐縮しながら静聴しているものの、質疑応答で意見を述べるのは限られた一部だけだ。


 少しばかり残念だが、群れとしての人類とは元々こういう生き物なのかもしれない。


「では、視野を大きく広げて考えてみよう。電波が真っ直ぐに飛ぶものであることはわかったと思うが、そもそも我々が生きているムンドゥスは月と同じく丸い球体だ」


 積極的な何十人かもここで騒つくのだから困ってしまう。


 空に動かない月が浮いている世界では、地動説どころか天動説すら生まれなかったのだ。


 人月教会の教えでは『主は人月に在り、太陽は主たる人月の影に過ぎない』と言われていて、皆がそれを信じ切っていた。月の満ち欠けが明暗季のサイクルに合致していることで、非科学的な教えにも一定の説得力を与えてしまうところが厄介だ。


 大型スクリーンに球体の3Dイラストを映し出し、その表面に棒人形を追加してトコトコ歩かせてみる。そして「これがキミたちだ」と告げると、甲高い声が格納庫の広い空間に元気よく響いた。


「シキちゃんがまた変なこと言ってる!」

「はい。まだ10才なのに何故かHPが6000を超えちゃってたイニェス。何が変だと思うのかな?」

「丸かったら落っこちるでしょ!」

「うん、そうだね。ところが落ちないんだ。何故かな?」

「平べったいから!」

「丸いんだって」

「平べったい!」


 自ら考えて理解しようとする人間なら簡単に信じない。わたしが言うならそうなのかと頷いていた大多数の者たちも、イニェスの「平べったい!」が繰り返されるうちに首を傾げるようになった。


 この説明は意外と難しい。特にイニェスのようなフィーリングで物事を考える子供に理解を求めることは不可能に近い。


 地球が球状であると言う概念は古代ギリシャの紀元前6世紀にまで遡ることができるが、その時点では哲学的な憶測に過ぎなかった。ヘレニズムの天文学により地球が球状であることが確立するまでには、それからさらに300年の時を要したのだ。


 月面からの視点で語られる天文学は前世のものより難解に聴こえるだろうし、現状でわたしがどれだけ言葉を尽くしたところで理解の溝は埋まらない。


 どうすればわかってもらえるかな? これって結構重要なことなんだけど……。


 大地が丸いことを理解させた上で、海や地殻を貫通できない電波には地表へ届く距離に制限があることを教え、無線アンテナをできるだけ高い位置に、祭壇よりも上に設ける理由を納得させる。


 そこで人月教会のテルル網の存在を意識させ、テルルを持つ司祭が塔の最上階に住まう慣習に言及し、誰も知らないはずの知識が人族社会の根底にあることにツッコミを入れて、『人月教会って怪しいぞ?』という認識を植え付ける。


 そういう方向に話を持っていく流れだったのだが、確かにこれまでの説明会を通じて効果はイマイチだった。


 つまりは、誰もわたしの説に心底から納得していない。然るに、わたしが意図した人神離れはなかなか進まないのだ。


 さて、どうしたものか。


「ホントに丸いんなら見せて!」

「ふむ……そうか……」


 単に視野を広げろと言っても相手は地べたを這いずる原始人。飛行船が生まれて多少普及したとしても、その最高到達高度はまだまだ低い。


 宙に浮かぶ原理を知ったところで、自ら空を目指してより高く、より遠くまで至ろうする者が一向に現れないのは問題だ。


 工廠の建造部隊からもわたしの掌から溢れ落ちるような突拍子もない人間は出て来ず、既定の航路を8の字を描いて回っているだけの26機のインマルサットA~Zに気付くのはいつになるのか。


「無意味な説明会は中止する。準備ができたら知らせるから」


 待ってちゃダメだ。わたしがグイグイ引っ張って行かなきゃ。



**********



 少し時間が掛かりそうなのでラング村に指示しておいたジャンク集めの進捗を確認し、新造艦の船体図面をメールして先に建造を始めてもらった。が出来ているだけでも時短にはなる。


 シグムント直々の王命でもあった説明会を勝手に中止し、サーバールームに篭ったわたしはキーボードを乱れ打ち、マッシーの管理者権限をフル活用して帳尻合わせの真っ最中だ。


 もう少し早めにやっておくべきだった。


 池の鯉に餌をやり続けることに意味は無く、放られた餌を目掛けて水面から高く跳ねただけの鯉に翼が生えるわけじゃない。


 今あるヒレを懸命に動かし滝を登り、激流を突破して天を目指してこそ、やがて龍と成る鯉が現れるのだ。


 それを早めたければ、先に天を見せるしかない。


 嵐の大洋はその名の通り大時化の海で、マッツンの気象観測データから偏西風の影響が常にあることが予想される。


 人族の扱う既存の船は帆船かガレー船であり、魔大陸へ行く商船の航海は往路だけで半年以上を費やす遠大なもの。ナニワ連合の軍艦が商船隊の護衛を付くと言っても船員たちの生還率は決して高くない。


 海賊船が一般航路を走るわけにもいかないのかマシロの現在座標は大きく南へ逸れており、遅々として進んでおらず、マリツーの船は間もなく追いつくと予想される。


 とは言え、材料を揃えるところから始めて完成まで、可能な限り素早く済ませなければならない。財務の文官にイチイチお伺いを立てている暇は無いのだ。


 工廠の資材出納記録データを改竄して必要な材料を確保。足りないものはモモに直接注文して納期3日でゴリ押しした。


『無理です!』

「できる。できるはず」

『無理ですってばクソったれ! ――ガシャッ!』

「あっ!? 切りやがった!」


 新規プロジェクト達成後1ヵ月間の収支予測の計算表をメールしてから5分後、かなり高めの見積りと一緒に『やります』と返信してきたから許してあげよう。


『マスター。格納庫でパーティーが始まりました』

『何故?』


 マッシーはチャットの中で『?』と返事して、格納庫の監視カメラ映像を再生した。たしかに大勢が酒盛りしながら踊っている。


「…………」


 何事かと思って注視してみれば、入れ替わり立ち替わり、保安クラスレベル4の隔壁扉の前で祈りを捧げる凡愚どもの姿があった。


「天の岩戸かよ!」


 どうやら、わたしがキレて引き籠ったと思っているらしい。


 しきりに『大地は丸い! ムンドゥスは丸い!』と叫んでヤンヤヤンヤと酒盛りし、テンケテンケと踊り狂い、どうにか機嫌を直してもらって引っ張り出そうとしているのだ。


「ダメだコイツら……早く何とかしなきゃ」


 そりゃ成人したなら酒を飲むこともあるだろうし、踊るのもいいとは思うけど、それで今のわたしが喜ぶと思っているなら大間違いだ。


 とりあえず、サバッハに必要な新素材の製造をメールで指示しておこう。



**********



 飛行機(旅客機)が飛べる最も高い高度はどのぐらいだろうか?


 前世の旅客機の飛行限界高度はどれも高度12,000~13,000mになっていた。と言うのもそれ以上は商業利用に必要の無いオーバースペックになるからで、要するにそういう風に作ってあるから。


 設計段階で決まってくる飛行高度を制限する要素は主に3つ。


 まず始めに機体強度による制限。


 これは風船が割れるか割れないかの限界に近いものがある。高高度を飛行する機体は与圧されている必要があるからだ。


 与圧とは機内に空気を送り込んで、中の気圧を一定の限度に保つことを言う。インマルサットも居住区は同様に与圧されていて、その有難さを身をもって体験したばかりだ。


 結果、内外に圧力差が生じ、高度が上がりすぎると与圧によって機体構造が破壊されてしまう。


 次に挙げられるのがエンジン推力による制限。


 搭載するエンジンは今後の量産を視野にジェットエンジンを採用したが、ジェットエンジンは吸い込んだ空気を後方に高速で噴射することで推進力を得ている。


 高度が上がると空気の密度が低下するため、上昇するほどにジェットエンジンの推力は低下してしまう。推力の大きさは後方に噴射した空気の流量の大きさと速さによって決まるので、空気密度が小さくなると噴射する流量も小さくなるからだ。


 したがって、高度が上がると機体を上昇させるだけの力が得られなくなり、次第に上昇率が悪くなって、ついには頭打ちになってしまう。


 最後の要素は空力的な制限。


 飛行機は前方からぶつかってくる空気の圧力がある一定以上になるようにして飛行している。何故ならば、飛行機に働く揚力の大きさはぶつかってくる空気の圧力に比例するから。


 高度が上がると空気密度が小さくなり、飛行機は空気に対してより速く飛ぶ必要があるが、同じ圧力になるように空気に対する速度を上げていくと、あるところで音速を超えてしまう。


 音速を超えた場合には著しく挙動が乱れたり、揚力が発生しなくなったり、構造破壊につながる場合もある。


 そうならないために受ける圧力を小さくして、遅い速度で飛行するのだが、そのためには気流が翼に当たる角度を大きくして、遅い速度でも揚力が発生するように設計しなければならない。


 しかし、翼角を付けすぎると翼に気流がスムーズに流れなくなって、これまた揚力が発生しなくなってしまう。


 飛行機の開発において翼の設計が最も重要となるのはこのためである。


「「「シキ様!」」」


 赤道における月の直径は地球の1/3.7ぐらい。計算上は17,000mも上がれば地表の丸さが目に見えて実感できるはずだ。


 というわけで、ちょっと高めに高度20,000mを飛行して中央大陸(人族領域に限る)をぐるっと1周して帰ってくるツアーを企画することにした。


 わたしの目的のため、ついでに商業的成功のためにも、できるだけ大勢の人間に飛んでもらわないといけない。


 というわけで、大型化した方が効率良く回せるだろう。


 全長70m、両翼の幅60m、全高20mで前世のジャンボジェット機と同程度の大きさ。各座席のスペースを少し広めに設けて定員は最大500席。


「……何?」


 そんな高高度旅客機を説明会から足掛け10日で作ってみた。


「我々は!」

「1年掛けて!」

「ようやく小型機の!」

「有人飛行に成功したばかりなのに!」


 飛行機開発チームのメンバーを泣かせてしまったが、どうか許してほしい。


「図面はどこです!? アーカイブに見つかりません!」

「頭の中で引いたから無いよ?」

「CADファイルでデータ化していただくことは!?」

「キミたちの楽しみを奪うつもりもないよ?」

「「「ヒドイ!」」」


 飛行場はわたしが設計したものをそのまま作ったようだが、せっかくの滑走路がほぼ飛行船置き場になっている点は気になっていた。今あるものを最大限に活用しなければ進歩しないじゃないか。


「明日、ムンドゥスが丸いことを証明してあげよう。とりあえず初フライトの機長はわたしが務めるから、明朝6時までに499人を選んでおきたまえ」


 最初の1人はイニェスに決まっているからね。


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