楼閣なり

ハナビシトモエ

第1話 ここは楼閣なり

 今にも足を引きずりこまれてもおかしくないきしんだ床、冷たいすきま風が入りガタガタと震える年老いた戸、異次元に迷いこみそうな暗く不気味な廊下。奥に行くにつれ増す闇。


 ここは父方のじいちゃんが住んでいる、いや住んでいた屋敷だ。


 建物は普通の一軒家より広く少し豪華だ。池には鯉がいるし、中庭がある。中庭の鯉にエサをやるのも任務の一つだ。鯉に死なれると面倒だと伯父さんは言っていた。


 昨年、高校三年生の冬。受験が終わった頃。父と大変仲が良くお世話になっている伯父の命で遺言書探しの為この屋敷に派遣されている。じいちゃんは病気で俺が高校二年の冬から入院していた。じいちゃんは相続の事を言わず、お見舞いに行くと二言三言話すが、日に日に薬のせいか昏々と眠り続けた。眠り出して半年で逝ってしまった。

じいちゃんがいた頃は俺がこの屋敷に来たら、繰り返し言われていた。


“ここは楼閣なんだ”


 馬鹿な。当時、中学生だった俺は思った。

 楼閣は俺のイメージでは高さある小さな城の様な建造物だ。遺跡公園にあるような多角形の建物。の跡しか見たことがないが、辞書的に探してみると例えば姫路城や金閣寺なんかが楼閣らしい。


 だが、じいちゃんが住んでいた楼閣は残念ながら平屋だ。奇妙である。楼閣の必須要件では無いにしろ、六角形の中庭がある。一人で住むには大きい平屋といった方が近いのではと当時の俺は思い、口に出した。中庭には鯉がいて、縁側があった。狭い庭にいてもなぜか風通しが悪くて夏は蒸し暑く、冬は肌寒かった。この家はじいちゃんの城だ。それを楼閣と言っているだけだ。


 俺にはそう思えた。最後の城。

 

 元々はじいちゃんとばあちゃんの住む家だった。ばあちゃんの生前、親父はこんな薄気味悪い家は嫌だと言った。ところが祖母は「住んでみると趣があっていいわよ」なんて言ったらしい。住めば都とはこのことだろう。


 父は気味悪がって自分の親の家に近寄らなかった。元はもっと都会に住んでいたのに会社を退職してから変な家に住むようになったということらしかった。


“そうか、お前にはそう見えるのか、面白い”


 じいちゃんは変な人だった

 親戚が祖母の法事で集まっても挨拶でさえも全く話さない。他の人間に興味がないようだった。じいちゃんは楼閣にしか興味を示さなかった。ただ俺にはよく話した。


“楼閣とは楼閣である”


 いつも話すのはいつも俺に対してだけで他の親戚からすれば、何を考えているか分からない頑固な人。なぜか俺だけに世間話をしてくる。隣の牛乳屋の音がうるさい、隣のじじいのラジオ体操でいつも起こされる、豆腐売りの鐘はもう少し静かにならないものかね。愚痴を俺だけに言う。


 ある時、電話が鳴った。じいちゃんの家の廊下の底が抜けたから助けてくれと頼まれた。高校一年生の冬、知り合いに土建屋はいない。


「悪いけど、土建屋の知り合いいないよ」

 そう言って訪ねるとどこの床もきれいだった。


「じいちゃん、どこが抜けたの」


「そこが抜けているだろ」

 足で押した。鳴るが健康だ。


「抜けていないよ」


「嘘つけ、さっき抜けたぞ」


「ここ押してみて」

 気に食わない顔で踏んだ。ギシと鳴っただけだった。思えばこの頃からじいちゃんはおかしかった。


 次の週は屋根に猫が住み着いてうるさいから、どうにかしてくれと言われた。冬の少し雪降る屋根に上りたくない。そうじいちゃんに言うと、諭吉を振って昇れというので昇った。ところがどこにも猫どころかネズミが入るような隙間さえないのだ。少し考えてみた。どういえば管理の大工さんがあらかた隙間を埋めたと先月言っていたことを思い出した。


 じいちゃんの妄想だと思った。確実にじいちゃんは老けていく、それが俺には寂しく悲しくあった。大工は前に比べて家が老いていると言っていた。整理されていない五畳の書棚、ばあちゃんの使っていた靴と手押し車、散らかった寝室、掛け軸があるフローリングの部屋。ここでばあちゃんは死んだ。思えば、ばあちゃんが三年前に死んでから、この家の時間は止まっていた。


 屋根を降りた俺にじいちゃんはどこに穴が空いていたか尋ねた。どこにも空いていないかった。天井裏は分からないよ。本当にいるかなんていたら気の毒だし、いなかったら気のせいだよ。そう言うと寂しそうに。


「ここもきれいにせんといけんな」

 とは言いつつ、死ぬまでこの家はこのままだった。

 さて、じいちゃんが死んで幾ばくも無いころ。様子がおかしいと伺えるように伯父さんは必死に探せという。でも俺は不審な伯父さんにひっくり返しても見つからないという。


 この頃から父と伯父の仲は険悪になりつつあった。


 この屋敷に来るのは隔週の土曜日。遺言書を探すことが目的だ。

あまり熱心に探してはいないだが、懐かしくて月に二日だけ通っている。

来る度に中庭を前に縁側に座った丸い背中を思い出す。電気は通っているが、特別暗くない限り電灯をつけていない。


 暗いところは携帯のライトをかざせばいいのだ。探すふりをすればいいくらいの気持ちでいる。俺に遺産は入らないし、関係も無いのでこの家で伸び伸びと過ごせてラッキーくらいに思っている。


 夕方にはたまらないが、昼間は大きな木の机で勉強すると捗る気がした。畳の上で転がると井草の香りがした。楼閣というくらいだから二階があるだろうと思って階段棚を上ると何もなかった。


 納戸に遺書があるかもしれないが俺に分からない納戸の入り口を伯父さんに分かるはずが無い。来週までのテストが終わってしまったら、友人を連れて大々的にここで開催してケーキを貪るか。

 いや、ここは聖域である。じいちゃんにとっての城だ。必要以上にそれを荒らしてはならないと思った。でもどうしてじいちゃんは楼閣と言い切ったのだろうか。ドラマで楼閣って言うのって大河ドラマくらいなものでじいちゃんがそこから考えた線も捨てきれない。だが、あんなに楼閣に固執する理由が分からない。考えろ。楼閣には何がある。


“達治、そこを開けるのか”


 ふすまの一枚を開ける度にそう言われそうだなと思う。

 聞こえるわけではない、ただそう言って面白がってくれたらいいなという希望だ。なつかしさはあるが、大人のわずかな欲の為に勝手に屋敷に上がり込んでいることに罪悪感を覚えていた。

 じいちゃんが俺を見て楽しんで許してくれたら、ありがたい。楼閣の中には殿様がいる。大阪城には豊臣秀吉が、江戸城には徳川家康が、考えろ。何かあるはずだ。

 でも、出てくるエピソードはじいちゃんと両親との確執だった。

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