3.8 いつかの私へ。不器用なまま生きていてくれてありがとう

「興味本位でやってみたけれど、やっぱり子育ては向いていないみたいね。想定では大魔女わたしになるはずだったのに」



 遊底で研ぐ爪に回想を流す大魔女。無関心で、不干渉。ただ過ぎていくのを眺めるだけの第三者。大魔女の眼は常に熱を持たない。




 例え、娘が自分を裏切ろうとも。




「あー、でも。子育てには褒めることも大事って聞いたわね」




 一瞬で、瞳孔にキラメキ散りばめられる。そして大魔女は銃を放り投げ、両手を大きく広げて入陽の方へ走り出した。





「凄いじゃない入陽! 自分で秘密のエレベーターを見つけるだなんて!」




 溌剌とした明るい声。我が子を愛でる母親の甘い声。

 柔和で心地のいい包まれるような空気の温度。



 それはぬめりと肌を舐る。全身が身震いして、イヅモは思わずズタ袋に覆い被さる。




 敵を前にして守りに入れば、何も救えないことを知っているイヅモが、思わず戦うことより守ることを選んだ。




 それほどまでに、大魔女の母性は

 ゲロより汚くて、生き恥より醜い。



 そんな相手に、入陽は一切動じることなく銃口を向けた。




「あら? 親子のハグって親愛になるんじゃなかったかしら?」




 両手を広げたまま静止した大魔女は、キョトンと首を傾げて娘に問う。




「親子じゃなくても親愛だよ。だから私はイヅモちゃんに抱きつくの」




 物語を語る。イリヒはそんな声は、そんな音をしていた。

 ただそこにあるだけの文面。それなのに読むと呼吸をしているのが分かって、記憶に透していくよう。



大魔女おかあさんは知らないだろうけど、親愛って時間じゃないんだよ」



 銃口を向けたまま、イリヒが言う。大魔女は狼狽えるどころか手も上げず、ただ娘の言い分を見守るように腕組みした。



他人ひとって自分以外に対して壁があってさ。それを壊したり越えていって相手を知るんだよ」




 相手をよく知る。それは言い換えれば、より深く踏み込んでいく事。




「そうするとね、互いの境界が曖昧になってくの。思考が似たり、行動が似たり。考えていることを想像出来るようになっていく」




 わたしは貴方になりたい、なんて、傲慢な言葉だろうと思ってた。




 あなたの全部を欲したら、わたしは貴方といれただろうか。




 完全なあなたになるには、何度思考を重ね、何度身体を重ね、幾らの逢瀬を繰り返せいいのか。




 一条入陽に、一体幾つを被せれば、心重なるだろうか。




「人によって仲良くなる時間は違う。壁の種類が偶然同じなこともあれば、見たことない素材の時もあるから」



 少しずつ、重量を増す弾倉に手をあてがう。

 いま、入陽わたしはとても怯えているだと気づく。




「イヅモちゃんとは、何もかも違った。だからきっと、今も、仲良くはないんだ」




 自嘲。寂しいけれど、いまは同時に誇らしい。




「だけど、イヅモちゃんの話はいっぱい聞いた。壁を越えてなくても、壁を越える為の話はたくさん聞いた」




 だから今の私なら、イヅモちゃんに、もっと近づけるんだろうな。

 心も、想いも。同価値じゃなくても、同期はできるんじゃないかなって。




「だけどさ、近づくだけが親愛じゃないんだよ」




 背後、恐怖が。空気を濡らして波になって漂っている。

 誰よりも強かったあの子が、この場で誰よりも弱く、小さく、震えている。




 本当に、本当に良かった

 いつかの入陽わたしが、でいることを選んでいて





 イヅモちゃんとの壁を、壊さないことを選んでくれていて





「遠くから見守って、背中を押して去っていく。そういうカッコよさは、他人じゃなきゃ出来ないんだよ!」




 もう一度だけ、彼女イヅモに近づくことを許して欲しい




 あの子の名前も、心も、命も、声も、血潮も、恐怖も




 全部、全部、あの子のモノだ。あの子が、大事な人の為に使うべき、尊いものだ




 だけど、入陽わたしは我儘だから

 そんなスマートに、手を引くことが出来なかったから

 だから、もう一度だけ見逃して




 あなたの前で

 あなたのように

 誰かを守れる





 ──カッコイイ人で、いさせてください





「最初で最後の反抗期だぜ! !!」





 引き金を引くと同時に、入陽は靴底に仕込んだトリガーを思いっきり叩きつける。




 勢いよく溢れた煙幕は瞬く間に部屋中を埋め尽くそうと霧散する。その僅かな間に、入陽は部屋の照明を全て撃ち抜くと、すかさず背後のイヅモを、ズタ袋ごとエレベーターの壁際に押し込んだ。




 背中を叩きつけられ、痛みに悶えるイヅモに涙を我慢して、謝罪の言葉を抑え込む。




「泣いてる場合じゃねえだろ!」




 居場所がバレることなど気にせず、入陽はイヅモの頬を力任せにはたく。




 聞いたことのない怒声。

 眉尻の上がった険しい表情に、困惑することしかできないイヅモ。

 そのイヅモの顔を、入陽はボールを持つかのように両手で掴んだ。




「命の瀬戸際なんて、アンタは何回も乗り越えてきた。今回だって超えていける。必ず守って上に出ろ!」




 瞳の奥まで強固であれ。絶対に奥底の想いを悟られるな。




 あなた今までだって、多くを抱えてきた

 けれど、これからはもっと色々なことを抱えなきゃいけなくなる




 其処に入陽わたしは行けないから

 邪魔しか出来ないから、捨てるように去っていけ





 なにを言っても、今のイヅモには躊躇いになる




 だから、せめて呪っていけ

 あなたの抱えたものを

 これから死んでいく私に、預けて行け




 瞬間、発砲音が煙を貫いて木霊する。入陽の銃の音でないことはすぐにわかった。

 じわり、じわりと、痛みが筋肉を通じて全身に広がっていく。




 やがて、左腕からぽたぽたと血が滴り始める。

 痛みと傷を精査するのも束の間。今度は右足に連続して激痛が走る。

 太もも、ふくらはぎ、そして足首。腰から下の操作はもはや効かない。




「一条、おまっ......!」




 ダメ。ここで折れたら、壊れてしまう。

 ズタ袋の上を渡るように、身を乗り出したイヅモが、傷跡に向けて伸ばして右手。

 入陽は崩れ落ちそうな身体を、背中の筋肉で必死に支え、その手を掴み、自分の頬にあてた。





「元気でいてね。イヅモちゃん」





 半端に開いた口から、悶えるような声を漏らすイヅモ。

 その涙でいっぱいの瞳を、落ちる前に笑顔で拭う。





 右手が無事でよかった

 あなたの門出が、血に塗れなくてよかった






「い、嫌だ──やめろ、入陽ッ!」




 再び、イヅモの身体を突き飛ばした入陽。そのままの勢いでエレベーターから出ると、死にかけの五体で何とか立ち上がり、スイッチを押した。




 静かに扉を閉め、上がる準備を済ませたエレベーター。




 後ろで、イヅモが必死に扉を叩いてる。

 一緒に叫び声も聞こえてくるけれど、何を言っているかまでは分からない。




 分厚い鉄に阻まれているのもあるけれど、それより、出血しすぎたこの身体は、もうほとんど機能してない。




 視界はボヤボヤ。音もイマイチよく聞こえない。




 やがて煙幕が少しずつ晴れていって、向こうに銃を持った大魔女がいるのだけが、辛うじて分かった。




「自分で言うのもなんだけれど、あなた、随分人間らしく育ったわね」




 驚いた様子で語る大魔女。それに返す体力も、入陽には残っていない。




「人間離れした大魔女わたしからでも、人間は生まれてくるのね。随分変わった子に育ったみたいだけれど」




 大魔女ははおやが何を言っているか、もう分からない。




 だけどこの人のことだ。どうせ皮肉か何かだ。

 入陽は口角を上げて、得意げな表情を見せつける。




 ──ざまぁみやがれ




 アンタが王の地下ここ、全部奪ってやった

 アンタのモノだったはずの入陽むすめ

 全部、入陽わたしのものにしてやった




 アンタの否定した感情が

 その全部が、私をここまで連れてきた

 もう、誰にも邪魔をさせない

 神にも、仏にも、魔女にも、母親にも

 誰にも、道は塞がせない




 九重家が、幸福になるかは分からないけど

 少なくとも、地下ここにて幸福はない

 だから、幸福のある場所まで私が橋を架ける





 膝が崩れ、地面から引き寄せられるように這いつくばった入陽。




「ねぇ、入陽」




 近づいて来た大魔女は、その姿を見下して嘲るでもなく、無感情に銃口を向けながら静かに問う。




「あの子は、あなたにとって何だったの?」




 なんだろうね

 好きな人って言いたいんだけど、それはきっと違う




 たぶん私はシンプルに、イヅモちゃんたちの未来が見てみたいんだ




 九重のお家の人達を、そういう風に思ってる




 大事な人って、安直だけどさ

 私は、幸せになって欲しいだけなんだ





 だって初めて温もりをくれたあの人たちのことが、私は大好きだから





「何が失敗だったのかしらね。これなら殺す前に、加々宮にも聞いておけばよかったかしら」





 うるせぇよ、クソババァ





 あー、イヅモちゃんがいつも荒々しい言葉使ってたのは、こういうことだったのかな




 なんとなく、『引き下がってやるもんか!』って、気合が入る気がする





 きっと、何度も逃げたくなったんだろうな





 けどそれを抑えて、怖がる自分を震え上がらせて

 立ち続けるために、こういう風にしてたんだろうね




 やっぱり、カッコイイよ、イヅモちゃん

 やっぱり、あなたに会えてよかったよ





 あなたには何も預けないようにしたけど、餞別くらい、用意してた方がよかったかな




 失敗しちゃった。でも、まぁいっか

 無事に上に送りだせたなら、何よりだよね

 加々宮先生は、私がちゃんと連れて行くよ

 私が代わりに謝っておくから、死んだことの責任感じないでね

 そもそも、巻き込んだのは私だし

 それに死んでも自業自得って、加々宮先生が言ってたし





 あぁ、まだまだ言いたいことばっかりだ

 でも、言わずに済んでよかったよ

 旅立ちは身軽が一番だからさ





 元気でね、イヅモちゃん

 繕くんと、万くんと

 これから出来る大切な人たちと

 大切なあなたと




 いっぱい笑ってね。イヅモちゃん



 私のことは──









 ちゃんと、忘れるんだよ





 崩れ行く地下に響いた発砲音。貫いて来た振動に身体を弾ませた入陽。

 ただ静かに溢れる血潮は、母親のつま先を濡らした。






 エレベーターの中で項垂れているイヅモ。

 すると、異変に気付いた万が、ズタ袋の中で目を覚ました。



「お姉ちゃん、どうしたの?」

 周囲の変容に怯えながら、無邪気に話しかける万を、イヅモは何も言わずに抱きしめる。



 そして静かに言う。




「実は今日、引っ越しするんだ。この先で新しい家があるから、そこに住もう」





 万と目を合わせた時には、イヅモはもう姉の顔をしていた。

 友と恩師を悼むことを出来ぬまま、イヅモは地上へ向かって行った。

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