第81話 俺の居場所
「……あれでもユカリは君のことを心配していたよ。彼女なりに」
ユカリさんが出て行った後、ヨル社長がつぶやくように俺にそう告げる。
「ええ、伝わってきました。ユカリさんに言われたこと、肝に命じます」
俺がそう言うと、ヨル社長は「ぜひそうしてくれ」と言って、にこりと笑う。
「ところでヨル社長……今後のスケジュールなんですが」
医師からは退院許可は出ている。
身体の痛みはもうすっかり引いていて、むしろこのままだと寝すぎて身体がなまりそうだ。
俺がそう伝えると、ヨル社長は「ふむ」と顎に手をやって、少し考えるそぶりをみせた。
「……無理は禁物だ。今の君が最優先すべきは休養、それに尽きる。今後のことは追ってこちらから指示を出すから、それまでは休暇だと思って、ゆっくり傷と疲れを癒してくれ」
「それ、さっきリンネさんにも同じこと言われましたよ。了解です」
俺がそう言うと、ヨル社長の少し後方、パイプ椅子に腰掛けて、お見舞いのリンゴを剥いていたリンネさんが、ほっぺを膨らませて口をはさんだ。
「だって、クロウさん、起きてすぐに仕事をしようとするんですもん」
「あはは……すいません、ジッとしているのってかえって落ち着かなくて……」
俺がリンネさんの言葉に苦笑いすると、釣られるようにヨル社長も笑う。
「リンネ、クロウのマイクロマネジメントはバディの君に任せた。クロウが無茶しないように、しっかり手綱を締めておいてくれ」
「は、はい……わかりました、社長」
はにかむようにうなずくリンネさん。
そこにすかさずハルが口を挟む。
「いえ、ヨル社長。
「こ、このロボットは相変わらず……言わせておけば……」
ハルのたわ言を受け、わなわなと肩を揺らすリンネさん。
「わたしだって、ハルが言ったことくらいできるもん! 最近料理は勉強してるし、それにマッサージだって……」
「当然のことながらマッサージには性的な接触も含まれますが。この二週間で成人男性の平均程度を大きく上回ったであろう
「な、ななななな……性……欲……!?」
リンネさんの視線が泳ぐように俺へと向かう。
「わたしが……クロウさんの……?」
みるみるうちにリンネさんの顔が、彼女が手にしたリンゴみたいに真っ赤に染まった。
「あのー、すいません。俺、二週間寝たきりだったんで、性欲もクソもないんですけど……」
俺は常識的なツッコミを入れるものの、当然のようにそれは無視される。
「上等じゃない!? できるわよ、それくらい……! 子ども子どもって侮るのやめてくれる!?」
「敵ながらその意気や良し、と褒めてあげたいところでありますが、残念ながら精神的な気概だけでは、主さまの獣のような情欲に応えるためには不十分です。相応のテクニックを身につける必要があります」
「て、テクニックですって……?」
「失礼ですが、複数の情報ソースにアクセスして、リンネ様の経歴情報を確認させていただきました。その結果リンネ様は、男性との交際経験が皆無である、という結論に達しました」
「はい? 勝手になにしてくれてんの? このロボットは!? プライバシーの侵害なんですけど!」
「情報ソースに基づくと、やはりリンネ様は、ウブでオボコなオコチャマJKと言わざるを得ず、性欲が人の皮を被っている今の主さまのサポートには、荷が重いのは確定的に明らかであります。その点ハルは、主さまのどのようなアブノーマルな性的嗜好にも対応しきる拡張性を有しております。つまりはハルちゃん完全勝利! ブイ! あ、どうぞリンネさまは引き続き、そこでリンゴの皮でも剥いててください」
「ででででできますけど! 確かに付き合ったことはないけれど、知識としてはそういうことだってちゃんと知ってますし、それにクロウさんなら私だってなんでもできますけど!!」
ますますヒートアップしていくリンネさんとハルの嵐のような応酬。
なんだろう。今となっては懐かしくて……心地よい。
「ぷっ」
だから俺は、思わず噴き出してしまった。
「はは……あはははは……!」
こみ上げてくる笑いを抑えきれず、腹を抱えて笑う俺。
そんな俺に、リンネさんとハルは揃って、きょとんとした顔を向けてくる。
「主さま、どうしたでありますか?」
「ク、クロウさん? 全然笑うところじゃないと思うんですけど……?」
「いや、すいません……」
俺は笑いすぎて目尻にたまった涙を拭いてから、リンネさんとハルの顔を交互に見つめ返した。
「なんか、帰ってこれたんだなぁって……」
そう言いながら、俺はデュエル配信前に、ヨル社長からかけられた言葉を思い出した。
『過去がどうあれ、今のキミの居場所は
(そうだ。俺の居場所は、確かに此処にあるんだ。大切なものは、いまこの場所に――)
そう心の中で反芻した瞬間――一瞬だけ脳裏に、遠い日の記憶が頭をよぎった。
それは、どんなに想い焦がれても、二度と会うことは叶わない、最愛の人の面影だった。
ずくん、と胸の中が抉られるように疼く。
でも、その輪郭がはっきりと像を結ばないうちに、俺は頭を振ってそれを意識から追い出した。
「クロウさん……?」
リンネさんが心配そうに声をかけてくる。
「……いえ、なんでもありません、大丈夫です」
俺はそう答えてから、改めて三人に向き合った。
「リンネさん、ヨル社長、ハル……」
「はい!」
「なんだい?」
「
三人が俺を見つめ返す。
俺は大きく深呼吸をしてから、口を開いた。
「皆守クロウ……ただいま戻りました」
俺がそう言うと、三人はそれぞれ笑顔で応えてくれた。
「おかえりなさい――」
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