第68話 配信開始


 六本木ダンジョン下層13階。

 このダンジョンにおいて人が足を踏み入れることができている最前線フロントライン

 そのフロアゲートからほど近い、広場のように開けた場所に俺は立っていた。

 

 半球状の天井の端々には、魔素が結晶化して出来た魔石の塊が昆虫の繭のようにへばりついており、そこから放たれる淡い煌めきが仄暗い空間を薄く照らしている。

 

 アサトとの立ち合い場所として指定したその場所に、俺とハルは一足先に到着していた。


「ナノデバイスモニター起動……ダンジョンインフォメーション・オールチェック・スタート」


 俺の言葉を合図に、地図情報や、現在地の魔素濃度、そのほか配信にかかる諸設定など――諸々の情報を示すスクリーンがホログラムのように次々と立ち上がり、俺の視界に直接表示された。


 そのうちの一つ、配信待機中のリスナー数のカウントを目にして、思わず乾いた笑い声を上げる。


「ははっ、配信待機者数……100万って……マジかよ……」


 まだ配信が開始されていないにも関わらず、既に過去の最高記録をゆうに超える視聴者数が表示されていた。

 アサトとの決闘配信は俺自身が絵を描いたものだったけれど、それでもあまりの反響の大きさに驚いてしまう俺。


 その直後、ザザっと耳元に一瞬ノイズが走り、次いでリンネさんとヨル社長の聞き慣れた声が届いた。


『配信前から100万超えなんて……それだけ皆がクロウさんの活躍に期待しているんですね。すごいです』


 弾むような声を上げるリンネさん。

 

『クロウ、キミには言うに及ばずだろうが、プレッシャーに感じることはない。ただいつも通り、目の前のことに集中して全力で戦ってくれればそれでいい。ただそれだけで皆がキミに夢中になっていくはずだ』


 対照的に、ヨル社長の声色は冷静なトーンだった。


「二人とも、ありがとうございます」


 俺はインカムを通して、二人にお礼の言葉を返す。

 そして自身の足下で待機するハルに視線を移した。


「ハル、準備完了だ。配信を開始しよう」

「了解であります」


 俺の指示に応答するハル。

 ハルはホバリングを開始して宙に浮かび上がると、身体ボディに備えられたカメラアイから俺の様子を正面に捉えられる位置へと回り込むように移動した。


「それではカメラをライブモードに切り替えます」


 ピープ音と共にハルのカメラアイが黄色から青色に切り替わる。

 それが配信開始を告げるサインとなった。

 


「えー、視聴者の皆様こんにちは。LINKs所属の皆守クロウです。今日も私の配信をご覧いただき本当にありがとうございます。本日はどうぞよろしくお願いします」

 


 俺はカメラアイに向かって語りかける。

 その声に呼応して、コメント欄を埋め尽くすように多数のコメントが流れていった。

 


《キターーー!!》

《久しぶりクロウーー!》

《この堅苦しい挨拶を聞きたかったwww》

《待たせすぎw待ちすぎてテカテカになってるww》

《最近配信少なくて寂しかったぞこのヤロー》

《今日も伝説を見せてくれー!》

 


 その殆どが応援コメント。

 更に――

 


《翻訳:親愛なるサムライカローシへ。貴方の配信を見ることができて嬉しい》

《翻訳:楽しみで待ちきれなかったよ》

《翻訳:クロー・ミナモリの配信をリアルタイムで視聴する幸せを神に感謝します》

《翻訳:本当にスーツを着ているんだね》

《翻訳:今日の配信テーマはガンリュージマだと聞いた》

《翻訳:今日はどんな素晴らしい体験を私たちに与えてくれるのでしょうか?》

 


 自動翻訳処理のマークがついたコメントが次々と流れていく。つまりはこれらのカキコミ主はすべて海外リスナーということだ。


(ちょっと前に海外にバズったのは知ってたけどここまでとは。返事しなきゃ……)


「あー、えー、ハローエブリワン……アイム、クロー、ミナモリ。アイ、アイ……スタート、ダンジョン……えーダンジョン配信……ダンジョン配信って英語でなんていえばいいんだっけ……!?」


 パニクッた俺の口から出てきたのは聞くに耐えないたどたどしい英語だった。

 テンパる俺を見かねたのか、インカムの向こうからヨル社長のフォローが入る。


『落ち着けクロウ。配信中の会話は基本的にリアルタイムで翻訳処理される。普段どおり日本語で話せば大丈夫だ』

「あ、そっか……! 了解です、社長」


 その声を受けて、俺は一度大きく咳払いをする。

 そして二度三度、深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、本題に入ることにした。

 


「今日の配信は事前に告知していたとおり、株式会社ブラックカラー社長の黒末アサトとのデュエル配信となります」

 

《キタキタキタ!》

《俺たちに変わってクソ野郎をぶっ飛ばしてくれるんだよな!》

《ボコボコにしてやれクロー!》


 俺が配信の目的を告げたことで、俺を応援する声と、アサトを非難する声とで、ますます盛り上がっていくコメント欄。


 

「戦いに入る前に……まずはこの配信に至った経緯をお話しようと思います」

 

 

 その盛り上がりに水を刺すことになるかもしれなかったけれど、俺は予めこれだけは視聴者に説明しなければと決めていたことがあった。


 それは俺とアサトの因縁に関すること。


 俺はハルのカメラアイから足元へと視線を落とす。


 

「俺はブラックカラー社の元社員でした――」

 


 その言葉をキッカケに、俺はまるで自分自身に言い聞かせるように言葉を紡いでいった。

 

 ブラックカラーの社員として、会社の不祥事に間接的とはいえ手を貸してしまっていたこと。

 

 アサトによる数々の理不尽を目の当たりにしていたこと。だけど何も声を上げなかったこと。

 

 その結果、ブラックカラーと黒末アサトを増長させてしまったこと。

 

 

「だから、明るみになったブラックカラーの悪事の責任は俺にもあります」

 

 

 そのうえで、今日の配信に至った理由を告げる。

 視線をもう一度、カメラの向こうにいる沢山のリスナーの元へと向けた。


「今日の配信は……正義を振りかざしたいとか、皆を代表してアサトを懲らしめたいとか、そんな立派なモノじゃありません。アサトと戦う理由はただの私闘で、自分が犯した過ちのツケを払う為の配信です」


 そこまで言って、大きく息を吸い込む。


「そのうえで――俺は黒末アサトを完膚なきまでに叩きのめします。会社としても配信者としても二度と再起ができないように……! 遅すぎたかもしれないけど、それが俺の責任の取り方です」


 そう言い切って、俺は深く頭を下げた。

 そして、次の瞬間――


《いけー! クロウ!》

《経緯把握! 応援してるぞー!》

《俺もブラック企業に勤めてたから気持ちはすごくわかる。働いてる間って、冷静な思考とかぜんぜんできなくなるんだよね》

《今からでもちゃんと向き合おうとするクロウはすげーよ!》

《俺らは最初から最後までずっとクロウの味方だぜ!》

《クソブラック企業にリベンジじゃー!》


 溢れ出すように流れる激励のコメントの数々。


「皆さん……ありがとうございます」


 俺は絞り出すようにお礼の言葉を口にした。

 そして、そのタイミングで――

 


『主さま……フロアゲート付近から魔素反応があります。周波数に基づき探索者ダイバーのものと判断。どうやら到着したようです』


 

 ハルが俺にそう報告した。

 俺は視線をフロアゲートへと続く通路へ向ける。

 同時にハルのカメラアイもそちらを向いた。


 一人の探索者ダイバーがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。



 全身黒のD2スーツには、胸の中心から四肢に向かって、蜘蛛の巣のような白い紋様がデザインされている。

 マッシュルームカットの重たい前髪から覗く瞳は、射抜くような鋭い視線でこちらを睨みつけていた。


 

「待たせたなァ……? 皆守ィ……」

 


 黒末アサトがニィッと口角を上げて笑う。

 それはまるで獲物を目の前にした肉食獣が牙を向くような、獰猛な笑いだった。


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