第57話 メンテナンス・リポート《side藤間ユカリ》
ジェスター社研究棟、第三研究室。
無機質なコンソールに半ば埋もれたような薄暗い空間に、物理キーボードを操作する軽妙なタイプ音だけが響く。
床一面を蛇のように這う大量のケーブルを踏み越えた先、窓際の席でPCスクリーンに向かって一心不乱に作業を続ける白衣姿の女性が一人。
この研究室の主である藤間ユカリが、自律駆動型ダンジョンドローン、
ユカリがヨルからハルのメンテナンスを言い渡されたのが三日前。
それからユカリはほとんど研究室に泊まり込む形で作業に没頭し、そしてつい先ほど、ようやく全ての整備工程を終えたところだった。
三日分の不摂生を物語るようにユカリが身にまとう一丁羅の白衣はヨレヨレで、ウェーブかかった黒髪はくせ毛を通りこして寝ぐせのようにボサボサ。
メガネを着用したままの仮眠を繰り返していたせいで、目じり付近にはフレームが押し付けられた跡がくっきりと残ってしまっている。
しかし当の本人はそんなことを気にする素振りも見せず、目の焦点はスクリーン上で動く仮想ウィンドウの文字列を追いながら、ただひたすらキーボードを叩き続けていた。
「……ん?」
不意に、ユカリの手が止まる。
彼女の傍らに置かれたスマートフォンから着信音が鳴り響いたからだ。
ワンコール、ツーコール、スリーコール……
「……残念、ユカリちゃんは絶賛お仕事中です。今忙しいからまた今度ね」
集中力が途切れてしまうことを疎んで、ユカリはその着信を無視しようとする。けれどコール音は一向に鳴りやむ気配はない。
「むう……なんだよう、しつこいなあ」
しぶとく電話を掛けてくる相手に根負けしたかのように、ユカリは視線をスマホのディスプレイに目を移す。
そして画面に表示される電話主の名前を確認して思わず「んげっ」とあせりの声を上げた。
慌ててスマホを拾いあげ、通話開始ボタンをタップ。
「はいはい、こちら地球防衛軍極東基地、ウルトラ警備隊配属の藤間ユカリちゃんです……」
『私だ』
スマートフォンの受話口からは淡々とした、それでいてよく響く声が届いた。
「んにゃあ~、その一言で脳髄を揺さぶる激萌えボイスはヨル社長ですね~。ん~いつ聞いても癒やされますなぁ。今度ASMR発売してみません?」
『ユカリ、今何時だと思っている?』
ヨルの言葉を受けて、ユカリはチラリと左手首に巻きつけた腕時計の盤面を見やった。
現在時刻、午後三時すぎ。
ユカリの眉根が僅かに寄る。
「あっはっは〜三時のおやつの時間でしたっけ? あ、もしかしてアフタヌーンティーのお誘いですか? いーですねえ。丸ビルの地下に新しく入ったカフェのショートケーキが中々評判みたいで、気になってたんですよん。なんなら今から――」
『二時から定期報告だったはずだ。もう1時間以上過ぎているが』
「あーうー」
スケジュールをすっかり失念していたことを誤魔化そうと必死に関係ない言葉を紡ぎ出すユカリだったが、生憎ヨルは言い逃れを許してはくれなかった。
観念したユカリは電話越しの相手に向かって頭を下げる。
「申し訳ありませんヨル社長、すっかり忘れてました」
『まったくキミは相変わらず……社会人としてもう少し時間に気を使ってだな……』
この流れはマズイ。社長のお説教タイムが始まってしまう。
ユカリは直感的にそう悟って、先手を打つように言葉を繋いだ。
「社長、でもでも大丈夫ですよ。用件は新しく
『まったく――まあいい、よろしく頼む』
「オーキードーキー。今データを送付しますので少々お待ちを!」
お説教回避に成功したことで内心でホッと胸をなでおろしながら、ユカリは社内メールアプリを立ち上げると、ヨル宛に関連データを送付した。
「はいはい、お待たせです。いやあ、中々興味深い事実が明らかになりましたよ」
『ちょっと待て、送付データの確認を行う……よし、頼む』
ユカリはスマホをハンズフリーモードに切り替えてから、PCのキーボードに手を伸ばすと、送られてきたデータの中身を確認していく。
「まずは一番の懸念点であるブラックカラーのスパイドローンである可能性ですけれど……システムをフルチェックしたところ問題ありませんでした。怪しげなマルウェアはなーんにも仕込まれてませんでしたよ。念のためシステムのクリーンアップもしましたので、心配ありません」
『了解した』
「ただ……ひとつ面白い事実が判明したんすよ。いや、社長の立場からすれば全然面白くないかな?」
『面白い事実とは?』
ヨルの問いかけに対し、もったいぶるようにコホンと咳払いをしてからユカリは告げる。
「ご存知のとおりこのドローン、AIシステムは当社で開発した『HALシリーズ』が採用されているんですが、問題なのはそのバージョンです」
『バージョン?』
「ええ、搭載バージョンは『
ユカリがそう答えたのち、少しの沈黙の時間があった。
『だが、現実問題としてブラックカラー社へ行き渡っている。つまり……我が社の技術が流出しているということか』
「ま、そう考えるしかなさそーです。実はこのコトは世間話レベルでクロウ氏から報告は受けていたんですが、どうやら事実で間違いありません」
『まさか、ユカリ。キミの仕業じゃないだろうな?』
ヨルは言葉尻だけを捕らえると、まるでユカリのことを疑うような言葉を投げかけてきた。
けれど、その声色には冗談めいた響きがあった。
「ブーブー! そんなわけないじゃないですか! ボクが犯人ならそもそもこうしてバカ正直に報告してませんよ。こー見えてもボクは社長のビジョンに惚れ込んでるんでぇ。社長に忠誠を誓ってるんですよぉ?」
『ふ、冗談だ。私もキミを信頼している。その社会人にあるまじき、ルーズな時間感覚以外はね』
「えっへっへ。褒められちゃったぁ」
『悪いが、褒めていない』
ユカリとヨルはしばし軽口をたたき合う。
そして、緩んだ空気を引き締めるように、ヨルの声のトーンが下がり、真面目なものへと変わった。
『とにかく、スパイはすでに我が社の中に紛れ込んでいるという訳か。結構。本件は後ほど監査部で調査を進めることにしよう。報告を続けてくれ』
「アイアイサー。それでですね、とにかくそういう事情で、ムショ課の新入社員、ダンジョンドローン・ハルちゃんはスーパー優秀な最新AIを搭載しているという訳です。ここまでが前置きです」
ユカリは本題に入る前に、わざとらしく咳ばらいを一つした。
「そのうえで本題に入ります! ハルちゃん――
『彼女……? どういうことだ?』
ヨルは怪訝そうな声を上げる。
その声を聞いて、スピーカーの向こうで目を潜めているであろうヨルの表情を想像してから、ユカリはニンマリと笑って言った。
「ズバリ、ハルちゃんは……皆守クロウに恋してますッ!」
ユカリの言葉が執務室に響いた。
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