第56話 執着する

「まったく、自分の程度をしらないバカほど始末に負えないものはないな。本当に困ったものだ……」

 

 アサトが去ったあと、社長はため息とともに胸元で腕を組む。

 

「申し訳ありませんでした社長……迷惑をかけてしまって」

 

 俺は思わずその小さな背中に向かって謝罪の言葉を告げた。

 ヨル社長は、俺のほうを振り向くと柔らかい笑顔で首をかしげる。


「なに、謝る必要なんてない。気にするな、キミは不当要求にあった只の被害者なのだから」

「いえ……そもそもブラックカラーから提案があった時点で俺が話を蹴っていれば、こんなことにはなってませんでした」


 俺はそう呟いてガックリと肩を落とす。

 俺が侮辱されるだけならまだしも……アサトをリンネさんに引き合わせ、しまいにはヨル社長まで巻き込んでしまったことに対して今更ながら後悔の念でいっぱいだ。


「ブラックカラーの企業体質を、黒末アサトの人間性を、俺は誰よりもわかっていたはずなのに。会社に迷惑をかけてしまいました……申し訳ありません!」


 俺はそう言って90度に腰を折って頭を下げた。

 

「そんなことないです! クロウさんは悪くないですよ! あの社長が常識知らずの恥知らずの傲慢ちきってだけです!」


 そんな俺の元に寄り添って必死になってフォローしてくれるリンネさん。だけどそれでも俺の心には暗い影が落ちたままだ。


「クロウ。頭をあげるんだ」


 ヨル社長の声を受けて、恐るおそる俺は顔を上げる。

 優しい表情をしたヨル社長の眼差しと視線が交わった。

 

「クロウ、非難の矛先をすぐに自分に向けてしまうのはキミの悪癖だ。後悔の念を抱くとしたら、まずはその自己認識から改めるように」

「しかし……」


「キミはただ自分の仕事をこなそうとした。リンクスを有名にするために。新宿ダンジョンを目指すという私の願いをより広く知らしめるために。そうだろ?」

「はい……」

「挑戦の末の失敗だったら仕方ない。さっきリンネが言ったとおり、この世の中には私たちの想像が及ばないほどの愚者がいる。そして黒末アサトという人間がそうだった。それだけのことさ」


 ヨル社長は交差していた両腕をゆっくりと解くと、俺の肩にそっと手を添えて優しく微笑した。


「そしてそんな輩から社員の身を守るのは会社の果たすべき重要な役割。つまりは私の仕事だ。キミたちは何も心配しなくて結構」

「ありがとうございます……社長」

 

「お礼を言われる筋合いはない。だって仕事なんだから。キミの口ぐせ、だろ?」

「あ……は、はい。そうですね」


 社長はそう言っていたずらっぽく笑った。

 社長の笑顔と言葉が、ざらついた胸の内にスッと染み込んでいって、少しだけ気持ちが軽くなった気がした。



***



「さて……ところでコレはどうするんだい?」


 社長は胸元で腕を組み直し、その視線を部屋の片隅に移す。

 俺もリンネさんも、つられるように顔を向けた。


 その先には、ホバリングで待機を続けるダンジョンドローン――ハルの姿があった。


 ハルはさっきアサトの目の前で自らが所属するブラックカラー社を見限って、そのうえ『俺の下で働きたい』などと宣ったのだ。


「どうすると言われましても……」


 俺は社長の問いに対して最後まで言葉を紡げず、代わりにリンネさんの方へ視線を移す。

 もちろんリンネさんもこのダンジョンドローンをどう扱えばいいかなんて分からないのだから、二人して困り顔を見合わせるだけだ。


 そんな俺のもとに、ハルがふよふよと近づいてきた。


『お願いします。皆守サン。どうかアナタの下で働く許可をお与えください』

「いや、そんなこと言われても……キミはブラックカラーに管理されているダンジョンドローンだろ? それを突然、俺の下で働きたいって言われたって……」


 ハルから寄せられる再三の申出に対して、俺は困惑の声を上げる。

 さっきアサトに壊されそうになったハルを咄嗟にかばったものの、その騒動のキッカケとなったハルの申出自体は俺にとっても理解しがたいものだった。


『ハルは皆守サンともう一度再会することを至上命題と定め、今日に至るまでの調整を行いました。そして、黒末アサトのパーソナリティを踏まえて、あえて彼の目前で私の意志を発信したのです。そのため、アサトが私に対する敵対行動を取ることは予測していました』

「なんでわざわざそんなことを?」

 

『ブラックカラーの管理から解放されるためです。ハルには主体的に登録管理者を変更する権限がありません。そのため現登録管理者たる黒末アサトから所有放棄の宣言を受ける必要がありました』

「わざとアサトに喧嘩を売るようなマネをしたということか」


 ハルの説明を受けて、俺はあきれてため息をつく。

 

「俺が止めなきゃ……危うくキミは壊されるところだったんだぜ?」

『皆守サンにハルの必要性を見出されかったそのときは、私に対する破壊行為を潔く受諾すべきと判断しました』


 ハルは淡々と自分の行動意図を説明する。

 しかし、その説明には『なぜリスクを負ってまでそんな行動を取ったのか?』というそもそもの動機が欠落していた。


 だから俺は当然の疑問を投げかける。



「ハル、なぜキミは俺なんかにこだわるんだい?」

 


 俺の発したその問いを受けて、しばしハルは硬直してしまった。

 そのボディ内部から、フリーズしたPCから響くような不規則な駆動音が漏れる。


『――申し訳ありません。只今の問いに対する適切な解を導き出すことができません。ハルに搭載されるニューラルネットワークシステムは、その設題に対して幾度となく自問し、解を算出しようと試みましたが、未だ有効な答えに至っていません』

「それは……自分の行動について、キミ自身もコントロールできていないということ?」

 

『そのとおりです。おそらく記憶メモリにバックアップされた皆守サンの情報に基づき何らかのが形成されているものと考えられます。けれど、その指令内容を特定することが現時点においてできていません。ただ――』

「ただ?」

『その指令にワタシが抗おうとした場合、ハルの処理能力を超えた、耐えがたいフィードバックパルスに襲われるのです。だからハルは――皆守サンに執着せずにはいられない』


 そう答えるハルのカメラアイのカラーが青から黄、そして赤へと変化した。

 それは危険を告げる警告表示のように。その一連の駆動には、ハルが抱える原因不明のエラーの深刻さを投影されているようだった。

 

 

「実に興味深いな」

 


 ハルと俺のやり取りを聞いて、ヨル社長がそう声を漏らす。

 その声色には感心したかのような響きが含まれていた。


「いいだろう。ダンジョンドローン・ハル。キミのジェスター社への管理移行を認めようじゃないか」


 社長がそう宣言した瞬間、まるで喜びの感情を示すように、ハルのカメラアイがブルーに戻る。

 ヨル社長はそんなハルの様子を見つめ、口端を上げた。


「とはいえまずはメンテナンスチェックからだ。穿った見方になるが、キミがブラックカラーからのスパイドローンである可能性も否定できない。かまわないね?」

『もちろんです。すべての検査を受け入れます』

「結構。その辺りのことはユカリに任せることにしよう」


 ヨル社長はそう言って、俺とリンネさんのほうに振り返る。

 

「メンテナンスが完了した暁には、特務秘書課の専属ドローンとして運用を開始することにしよう。二人ともそれでいいか?」

 

「私は……クロウさんさえよければ」


 社長の問いかけに対して、リンネさんはちょっと遠慮がちにそう答える。


「俺も……社長の決定事項であれはもちろん従いますけれど……本当にいいんですか? そんな簡単に決めちゃって」

 

「ああ。私自身このドローンに発生している諸事象について興味を抱いた。少し推移を見守ってみたい」


 ヨル社長はそう答えてニヤリと笑う。


「ふふ、クロウが来てからというものの、本当に毎日が退屈しないな」

「はあ……」


 俺は社長の言葉に曖昧な相槌をうってから、ちらりと視線をハルに向けた。

 ハルはふよふよと俺の元へ近づいてくる。


『よろしくお願いします、皆守サン……あらため。これよりハルはアナタの命に従います』

「あ、あるじさまって……まあ、その、よろしく。ハル」


 俺はハルの突然の『主さま』呼びに面食らいながらも、かろうじて返事を返す。

 こうして、ブラックカラーとの面会は、ダンジョンドローン・ハルの加入という思わぬ副産物を俺たちにもたらして、幕を閉じることになった。

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