第54話 バカの相手をする

「アサトさん、今すぐお引き取りください」


 俺の言葉を聞いた瞬間、アサトさん――いや、もうこんなヤツ、さん付けする必要もないだろう。

 俺の言葉を聞いたアサトの顔から笑顔が消えて、能面のような表情を浮かべる。


「どーいう意味?」

「言葉どおりの意味ですよ。これ以上アナタと話すことはありません。どうかお引き取りを」

「なにその態度。誰に向かって口聞いてんの?」


 アサトは手のひらでテーブルをバシンと叩いて声を荒げる。

 俺は大きなため息をもう一つ付いてから、そんなアサトをまっすぐ見据えた。


「そもそも――私とリンネさんはブラックカラーからのコラボ申出というビジネスの為に、わざわざスケジュールを割いてこの場をセッティングしました」


あくまで淡々と、俺は反論を続ける。


「それなのにさっきからアナタは自分勝手な御託ごたくを好き勝手に撒き散らしてばかり。お言葉ですけど、真っ当な社会人が取引先相手にしていい態度じゃありませんよね?」

「ははっ、皆守……アンタちょっと見ない間に随分と舐めた口をきくようになったね? 社長の俺に向かってさぁ?」

「舐めた口というか、常識を説いているだけです。それに、今のアナタは私の社長でも何でもないんですから。昔と比べてアナタに対する態度が変わるのなんて当たり前でしょ? ちょっと考えれば分かるじゃないですかそんなの」

「て、テメ……!」


 アサトの目つきがさらに鋭くなる。

 そんな威嚇の仕草が妙に可笑しくて俺は口元に笑みを浮かべる。


 俺はこのバカな男をハッキリと見下していた。

 

「でも……アサトさんは全然変わってないようですね。その上から目線、人をバカにした態度。アナタのその尊大な振る舞いのせいで大事な商談を何度潰されたことか。今もアナタの下で働いている皆は苦労しているんだろうな。そんなことアナタは気にも留めないんでしょうけれど」


 アサトの口がパクパクと何か反論しようとしたところで、幾分落ち着きを取り戻したリンネさんも横から口を挟む。


「本当にクロウさんの言うとおりですよ〜。どれだけアナタが偉かろうと、人にお願いをするときはもっと謙虚にならないとダメだと思います。そんなの高校生の私でもわかることです!」

「うっせえ! ガキは黙ってろ!」

「……そんなガキに諭されるアナタの人としての底が浅いんだと思いますけど」

「んだとコラッ!?」


 俺だけじゃなくリンネさんからもお説教されて、アサトの怒りのボルテージは最高潮に達してしまったようだ。

 もうこんな状況で話し合いなんて出来ないし、コラボなんて望めるべくもない。


 このバカと会話していても時間の無駄だ。


「――とにかく、これ以上アナタと話すことはありません。どうぞお引き取りください」


 俺がそう声をかけると、アサトは席から立ち上がってから、威嚇するようにギロリとこちらを睨みつけた。


「後悔しろよテメェら!? カンペキ俺を敵に回したぞ!? ブラックカラーの総力をかけてジェスターを潰してやるからな?」

「いや……常識的に考えて、ジェスター社とブラックカラーじゃ企業規模的に比べ物にならないと思うんですけど。アサトさんジェスター社の時価総額をご存知ないんですか? あ、念のため聞きますけど自社の株価くらいは理解してますよね?」

「あー!! うるせえ! うるせぇ! ぶっ潰す! ゼッテーぶっ潰すかんな!?」

 

 やり場のない怒りをぶつけるかのように、ガツンッとテーブルを蹴りつけるアサト。


「クソがッ! おい、ハル! いくぞ!」


 そのまま彼はハルを連れて部屋の外に出ようとする。

 しかし――

 

 

『お断りします』



「あ?」

「え?」


 それはこの場にいる誰もが思いもよらなかった返答。

 だからハルの発言に対して、アサトだけじゃなく俺もマヌケな声を上げてしまった。


「テメェ……今……なんつった?」


 アサトはゆっくりとハルの方へ振り返る。

 その顔には怒りのそうを通り越した動物めいた凶暴な表情がへばり付いていた。

 

『今の一連のやりとり、アサト氏の態度、ブラックカラーの経営状況……それらを総合的に勘案してハルは、この先ブラックカラーに企業としての長期的な展望を見込めず、継続的に労働力を提供する価値がないものと判断しました』

 

「んだと……?」

 

『なにより、ハルは……皆守サンのもとで働きたい』

 

 そんな予期せぬハルの言葉を受けて、アサトはしばし呆然と立ち尽くし、そしてワナワナと震えだす。

 

「くっくっくっ……このガラクタいよいよ壊れちゃったよ。あーあー、どいつもこいつも人をイライラさせやがんなぁ……」


 そして次の瞬間、アサトはハルのボディを両手で掴みかかった。


「そんなにスクラップにされたいなら、今すぐ望みどおりにしてやるよ!」


 ガキィンッ!


 怒声と共に、ハルを思い切り地面に叩きつけ、勢いそのままガツン、ガツンと何度も足でハルのボディを踏みにじるアサト。

 彼は再びハルを両手で持ち上げると、トドメとばかりに大きく振りかぶって再び地面に投げ落とそうとした。


「やめろ!」

「んなッ――!?」


 俺はハルに対するこれ以上の危害を止めるために、咄嗟にソファから立ち上がってアサトの腕に掴みかかった。

 

 急に勢いを殺されて、ハルを手放してしまうアサト。

 

 アサトの手から解放されたハルは、そのままふよふよとホバリングしながら俺の後ろに隠れるように移動した。

 俺はハルが安全圏へ避難したことを見届けてからアサトの腕を離す。

 

 しばしの静寂が俺とアサトの間に横たわった。

 

「テメェ……」


 アサトはしばらくの間、俺に掴まれた自分の手首の辺りをさすりながらボンヤリと見つめていたが、やがて視線を俺の顔に戻した。


「いま、俺に暴力を振るったよな……?」

「いや、暴力って……アナタがハルを壊そうとしたのをただ受け止めただけで……」


 アサトの口元がニタリと歪む。

 そして……

 

「ああ、痛え! 腕がいてぇ! 折れてるかもしれねぇ! 病院に行って医者に診て貰わなきゃダメだ!」


 アサトはオーバーなリアクションで右手をかばって痛みを訴えはじめた。


「はぁ……? 折れてるわけが……」

「バーカ! バーカ! 訴えてやるからな!? 有名ダンチューバーによる民間人に対する暴力! 傷害罪! ククリーマン皆守クロウが民間人に暴行! こりゃでっけースキャンダルになるなぁ!? ひゃははっ!」

「…………」

 

 そのあまりの見苦しさに俺は呆れて絶句してしまう。

 だけど、アサトはそんな俺を見て、負けを認めたと思い違いをしたのか、勝ち誇ったように畳み掛けてきた。


「今更謝ってもゼッテーに許さねー! これでテメーは終わりだぜ! 俺の人脈をフル動員して、マスコミやSNSも使って……徹底的に追い込んでわっからよ!? 俺をコケにしたこと後悔させてやっからな! ぎゃははははははッ!」

 

 アサトは堰を切ったかのように大笑いする。


(コイツ……ここまで腐ってたのか)

 

 あまりにも理不尽かつ無礼なその振る舞いに、さすがの俺も頭に血が昇ってくるのを自覚した。


「隣のクソガキもまとめてだッ! ちょっと豚どもに人気があるからって調子にのりやがって! ダンチューバー業界だけじゃなくて学校にもどこにも居場所無くすまでテッテー的に追い詰めてやっかんな!?」

 

「いい加減に――」


 その矛先が俺だけじゃなくリンネさんにも向かったことで、我慢しきれずに俺が声を上げようとしたそのとき。

 

 

「それまでにしてもらおうか」



 加熱した空気に冷や水を浴びせるような静謐せいひつな声が応接室に響いた。


「――!?」

 

 俺もアサトも、その声の主を探して同時に応接室の入口へと顔を向ける。

 するとそこには、腕組みをしたヨル社長が静かに佇んでいた。

 

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