第44話 ゆとりある日々を送る
渋谷ダンジョン攻略配信から一ヶ月が経過した。
俺はジェスター社所属のダンチューバーとして、充実した日々を過ごしていた。
週四日勤務のうち一日は実際にダンジョンに潜って配信を行う。そして、残りの三日は報告書類の作成や、動画編集作業、探索方針の打ち合わせなどデスクワークが中心だ。
最近はメディアの出演依頼が一気に増えてきて、そのスケジュール管理に追われている。
正直仕事は忙しいし残業だってある。
仕事が終わるとその日はもうクタクタだ。
だけど、前職とはまったく異なる爽やかな充実感がある。
ブラックカラー時代は、アサト前社長をはじめとした理不尽の塊のような上司に振り回されながら、途方もない量の業務に忙殺されていた。
仕事に対して自分の意見など言う機会は皆無で、万事全てが
手柄は上司にかっさらわれて、ミスは体よく押しつけられる。
そんな理不尽を乗り越えて手元に残るのは、生きていくだけで精一杯のささやかな給料だ。
辞めた今だから思えることだが、なんで俺はあんなブラックな環境で、文句の一つも言わずに仕事をしていたんだろう。
株式会社ブラックカラーにそれだけの価値があったんだろうか?
あの頃の俺はこう思っていたに違いない。
社会は、仕事は優しくない。
厳しいのが基本。
これくらいで泣き言を言ってどうする。
皆、歯を食いしばって頑張ってるんだ。
ここで通用しなきゃ、どこにいっても通用しない。
辞めてどうするんだ? 中途半端なヤツに転職なんてできない。
無職になって明日からどうやって生きていく?
母さんの面倒は?
忘れるな。お前の肩には家族の人生も掛かってるんだ。
どうせ本当に死ぬわけじゃあるまいし。
だったら死ぬ気で働け!
ははっ、我ながら狂ってた。
大変だけど、仕事が楽しいとすら感じるのだ。
きっと働きに対して十分な報酬が与えられているということが前提にあるのだろうけれど、それと同じくらいに周りの人たちの存在が大きいと思う。
リンネさんをはじめとした、尊敬できる職場の同僚たち。
厳しくも優しく、部下の意見を尊重しながら、確かなビジョンを持って組織の舵取りを行うヨル社長。
俺たちのことを応援してくれる視聴者たち。
皆に支えられているから、少しでも俺も皆を支えたいと思う。
皆に求められているから、全力を尽くしたいと思う。
だから働ける。働きたいと思う。
ジェスターに転職できてよかった。
俺は心の底からそう思っていた。
***
今日は金曜日だ。
定時を迎えた俺は仕事を切り上げ、会社を後にする。
そのまま真っ直ぐ向かったのは社宅から最寄りのスーパーマーケットだ。
買い物かごを片手に、店の敷居をまたぐ。
まず向かったのはアルコールコーナー。
陳列棚に所せましと並ぶアルコール飲料の中から、俺はロング缶のビールを選び取る。
(ふっふっふっ……昔は発泡酒一択だったけれど、今の俺は一味違うんだぜ)
心の中でほくそ笑みながら、ビール缶を数本かごに入れる。
そして、野菜コーナーを経由して精肉コーナーの前に立った。
(ほう、オーストラリア産牛肉が安いじゃないか……けど、せっかくだから国産にしよう。いっそ思い切って和牛にしちゃうのも……いや、さすがにお高いか)
吟味の結果、国産の肩ロース肉に決定。
このように、ここ最近の俺は買い物のときに商品の値段をあまり気にしなくなった。
お惣菜は半額シールを待たなくなったし。
肉類は基本的に外国産が選択肢から消えた。
ご褒美のアイスはスーパーカップからハーゲンダッツにランクアップ。
「お会計は4,200円になります。ポイントカードはお持ちですか~?」
「あ、忘れました……」
「発行一週間以内にレシート持ってきてもらえればポイント付けられますので」
「わかりました」
ふっ、店員さん。
昔の俺なら当日中に再来店して、ポイントを死守しただろう。
だけど、今の俺はポイントの付けそびれくらいで、いちいち動じないのさ。
買い物を終えて店を出た後、イヤホンを装着してお気に入りのプレイリストを聴きながら、鼻歌まじりに家路を急ぐ。
音楽だって有料サブスクに加入しているから、曲を選択して聴き放題だぜ。
なんというゆとりある生活だろう。
なんという満たされた毎日だろう。
お金に振り回されない生活って素晴らしい。
できるならばこんな穏やかな日々が、いつまでも続いてほしいものだ。
***
自宅に帰ってきた俺は、スーツの上着を脱いでからキッチンの前に立つ。
買ってきた食材をキッチンに並べて夕食の支度の開始だ。
今日の食材は、牛肉、白菜、長ネギ、しいたけ、春菊、豆腐にしらたき……それらを甘辛い割下で煮た後、卵に絡めて美味しくいただく予定だ。
つまり今晩はすき焼きなのだ!
俺は腕まくりをして料理に取り掛かる。
料理を始めてしばらく立つと、鍋の中の割り下と具材たちがいい感じで馴染んでいった。
「よしよし、うまそうだな」
俺はコンロの火を止めて、ダイニングテーブルに設置したカセットコンロの上に鍋を移動する。
それから箸や取り皿を並べたところで、ちょうど玄関のチャイムが鳴った。
「お、来た来た……」
俺は来客を迎えるために玄関に移動してドアを開けた。
「こんばんはー! クロウさん!」
「お疲れ様です、リンネさん」
扉の前に立っていたのは満面の笑みを浮かべたリンネさんだった。
俺は彼女を自分の部屋へと招き入れる。
楽しいアフター5の始まりだった。
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