第31話 新しく出会う


 特務秘書課の執務室は社長室と同じフロアに設けられている。

 オフィスデスクが寄せ集められたメインスペースと、そこに隣接した小さな書庫、更に廊下を挟んで反対側に用意された会議室の三つに分かれている感じだ。


 その会議室にて、本日午後1時から会議が始まる……はずだったのだが。


「ユカリはまだ来ていないのか……」


 テーブルの上に両肘をつきその手を口元で組んだヨル社長は、俺とリンネさんの顔を順番に眺めてからため息混じりに呟いた。


 そんな社長の前に設置されたPC端末から音声が流れてくる。それは犀川さんの声だった。


『ヨル社長。研究室でユカリさんを確保しました。"研究で丸二日寝ていない。社長に人間の心がちょっとでも残っているなら今はただそっと寝かせてくれ"とおっしゃっていますがいかが致しましょうか』

 

「問答無用。引き連れてきてくれ」


『ほほっ、承知いたしました』


 それからややあって会議室のドアが開かれた。

 

 ドアの向こうから犀川さんと、彼に首根っこをネコみたいに掴まれた白衣姿の女性が入ってくる。

 犀川さんがテキパキとした所作で押し込むように彼女を席に座らせると、白衣姿のその女性はテーブルに突っ伏したままボソボソと非難の声をあげた。


「ううぅう……これが会社のために滅私奉公、技術開発に勤しむ研究者にすることかよぉ。横暴だパワハラだ労基案件だ。労働基準法さんボクを助けてくださぁい」

 

「やかましい。今日の会議は全員参加だと事前にアナウンスしていたはず。研究熱心なのは大変結構だが他の業務をないがしろにしていい理由にはならない。そもそも丸二日も寝ていないというのが論外だ。体調管理は社会人の基本だぞユカリよ」


 社長のその言葉に反論するかのように、ユカリと呼ばれた彼女は頭を上げる。

 

 二日寝ていないという言葉を裏付けるように顔色があまりよろしくない。

 髪はボサボサで、白衣はヨレヨレ。

 度の強そうな丸メガネの奥の目元にはクマがクッキリと浮かび上がっている。


「だってぇ……D2スーツの性能実験でいい感じの数値が得られたんですよう。きいてください社長。現在リンネちゃんに支給してる試作品13号と比較して19%も魔素耐性性能が上昇してですねぇ……もう少しで人類の悲願である魔素濃度60%以上の空間での探索も現実に……」


 途端に饒舌になった彼女をヨル社長は「わかったわかった」とたしなめる。


「その件は報告書でゆっくり聞くことにしよう。ユカリよ、キミはクロウとは初対面だったろう? まずは自己紹介をしたらどうだ?」

「ふぇ? クロー?」


 ユカリさんはキョトンとして、周囲を見回す。

 その視線が俺に向けられた時、「あぁ」と彼女は軽く手を打った。


「ククリーマンの皆守クロウ! そだそだ、うちに配属だったんだっけぇ~」

「あ、はい。このたび特務秘書課に配属になりました。よろしくお願いします」


 俺が挨拶をすると、返事代わりにユカリさんは席を立ってコチラに近寄ってきた。

 そのまま吐息がかかるくらいの距離まで彼女の顔が急接近してくる。

 メガネの奥の三白眼がジッと俺の顔を観察するように見つめてきた。

 

「じぃー……」

「あの……な、何か?」


 ぺたり。

 彼女のひんやりとした手が唐突に俺の頬に触れた。


「ひゃッ!?」

「いやねぇ……キミがイレギュラーと戦った動画をボクも見たんだけどさぁ、あんなトンデモなエネルギーがこの身体のどこに隠れているのか不思議でならない……研究対象として実に興味深い存在だよキミは……」


 ユカリさんはそう言ってニィと笑みを浮かべる。

 彼女の指先が、まるで蛇のようにヌメりと絡みついて、俺の身体のアチコチをまさぐってきた。


「ちょっ、ちょっとストップ! くすぐったいっす!」

「フムフム……筋肉の付き方は悪くないが常人のソレを大きく逸脱しているワケじゃない。ということはやはりスキルが身体能力を補強してるのか? ただデータではキミのスキルは純粋に視力だけを強化するモノだし、ふーむ……」


 ぺたぺた。ぴとぴと。さわさわ。

 

「ど、どこ触ってんですか!?」

「うーむやはり触診だけでは限界があるな。クロウ氏、ひとつお願いなんだけどね、是非とも一度キミの生体情報をボクにサンプリングさせてくれないか?」

「せ、生体情報のサンプリング……?」

「ああ、わかりやすく言うとだね、キミの精し……」


 ゴツンッ! 「あいだッ!」


 ユカリさんが何かを言いかけたところで、彼女の脳天に分厚いファイルの角が突き刺さる。

 彼女の後ろには顔を真っ赤にしてワナワナと震えるリンネさんの姿があった。


「いい加減にしてくださいっ! ユカリさん! セクハラです!」

「い、痛いじゃないかリンネ氏……何もそんなモノで殴らなくても……セクハラって一体何が……」

「知りません! 知りません! とにかくクロウさんから離れてくださいッ! 今すぐに!」

「ふーむ何を怒っているんだいキミは」

「怒ってなんかいませんッ!!」

「わ、わかったよ。大人しくするから怒らないでおくれ」


 ユカリさんは頭をさすりながら、俺から離れて自席に戻っていく。

 俺はホッと息をついてから、改めて彼女に自己紹介をした。

 

「えっと、皆守クロウです。よろしくお願いします」

「うん。ボクの名前は藤間ユカリだ。この課では主にダンジョン探索に関する技術サポートを担当している。気軽にユカリと呼んでおくれよ」


 俺とユカリさんが挨拶を交わしたところでヨル社長が口を開く。


「さて顔合わせも終わり、これでやっと特務秘書課の全員が揃ったわけだ。リンネ、クロウ、ユカリ――さっそく本日の会議を始めることにしよう」

 



 



 

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