月と魔法とあまつちの大樹

あおぞらいちか

第1話   希望の光



 「ポンポーン」携帯の通知音とともに表示された画面に一ノ宮カノンは固まった。   首元のヘアバンドを引っ張り上げ、ぱっつん前髪を後ろに流して乱れた長い髪をまとめる。

 カノンはもう一度、速報ニュースの文章を食い入るように読む。”若者に絶大な人気のインフルエンサーサクラ、自殺”(えっ本当?)


 カノンは慌てて階段を駆け下り居間のドアを開く。ママはいつも通りソファーでTVを見ていた。

「ママ、サクラが自殺したって」

「・・・そうらしいわねー」

 サラリとした返事だったが、不自然な間があった。

「どうして?」

 カノンは自分の声が擦れていることに気がつく。

 ママはカノンの表情を見るとTVのリモコンを取り、ディズニーメドレーへ切り替えた。

「どうしてなんて、本人にしか分からないわよ。いくら考えても分からない事は考えないで、取り敢えず、もう寝なさい」

 居間に流れる陽気な”アンダー・ザ・シー”の曲と、取り合う気のないママに腹立たしさを感じたが、カノンの心のモヤモヤは小さくなっていた。


 

 高校3年生になるカノンは、二重で切れ長の目と整った唇で、文武ともに要領よくこなしていたため大人びた印象を周囲に与えていた。

 生徒達の元気な声が響く廊下を過ぎ教室に入ると「カノーン。信じられないよー」と、瞼を腫らした心香(ココ)がカノンに走り寄ってくる。

 心香のサクラ好きは周知の事実で、来月のイベントも楽しみにしていたのだ。七美(ナミ)はカノンと顔を見合わせると仕方が無いよねと言うように眉尻を下げ、ココの頭を撫でた。

 「華やかな人生に見えても本当はわからない」「子供も小さいのにどうして」「結局人生なんてそんなもの」今朝の報道番組でも教室でもカノンの耳に入ってくる噂話はだいたい同じだった。


 始業のチャイムが鳴ると教室のドアを勢いよく開け、担任の先生が背筋を伸ばし胸を張りながら、真っ直ぐに教壇に立つ。

「おはようございます」

「おはようございます」

「今日は1限目を急遽、特別ホームルームにする」

 周囲がざわつく中、先生はプリントを配り話し出した。


「お前達、これを見ろ。昨年、内閣府が公表したアンケート結果だ」

今時、問題となりそうな言葉遣いを堂々と使う担任の先生は、少し変わり者だとカノンは思っていた。けれど、カノンはこの先生が好きだった。クラスのみんなもそう思っているのが感じられた。とりわけ男子生徒からの信頼が厚く、休み時間には囲まれ賑わっている。

 カノンは手元に回ってきたA4の用紙に目を通す。



――あなたは、自分の将来について、どのように思っていますか――

――将来への不安――   

とても不安      中学生24.0% 高校生34.0% 

やや不安       中学生51.8% 高校生48.0% 


――今、あなたが悩んでいることはありますか――

成績、受験      中学生60.6% 高校生60.4%

将来のこと      中学生48.0% 高校生63.8%


――仕事に関する価値観――

A お金よりも、やりがいの感じられる仕事 中学生64.1% 高校生61.9%

B やりがいよりも、お金をもらえる仕事  中学生33.7% 高校生35.4%


「82.9%の高校生が将来に不安を感じている。現在の悩みの6割は成績や将来についてだ」

 みんな口を閉ざし始めた。沈黙がここにいる誰にとっても他人事の話ではないと、物語っていた。

「お前達は仕事に何を望むか。やりがいをとってもいい。お金をとってもいい。両方とってもいい。大事なのは自分が望む生き方をすることだ」

 先生は黒板に何かを書き出した。

「「望む生き方、それは何か?」」

 大きく書かれた文字を掌で押さえ、先生は生徒達を見る。


――学校で一番楽しいことはなんですか――

友達と話したり、一緒に何かしたりすること  中学生72.2% 高校生75.4%

部活動                   中学生20.4% 高校生17.5%


「多くの人が、誰かと何かをすることや、何かに打ち込むことは楽しいと感じている。次だ」


――社会のために役立つことをしたいですか――

「そう思う」「どちらかといえば、そう思う」 15 歳~19 歳(88.6%)9割近い


「そして、皆、誰かの役に立ちたいと感じている」

「次のプリントを開け」


――あなたの安心できる場所に関して――

“家庭“が “安心できる場所になっている”(88.0%)

“学校”が “安心できる場所になっている”(49.9%)

“職場”が“安心できる場所になっている”(41.0%)


自分の親(保護者)から愛されていると思う”(91.8%)


「両親や育ててくれている人は、お前達の理解者だな。大多数の家庭が子供に愛情を注いでいる。そして、素晴らしい事に、9割近くもの子供がしっかりそれを感じることができている」

 心を確かめるように生徒1人1人の目を見て先生は言葉を続けた。

「1割不幸な状況があるのも事実だろう。しかし、それでも、それぞれが進まなくてはいけない。次の項目だ」


 先生は、社会的影響力の強いインフルエンサーサクラの不幸のニュースを目にし、夜通し調べて、このプリントを準備したのだとカノンは察した。



――自分の将来について明るい希望を持っているか――

「そう思う」「どちらかといえば、そう思う」 15 歳~19 歳(76.6%)8割近い



「お前達には希望がある」

 静まりかえった教室で先生は教壇に両手をつくと、穏やかに話し出した。

「みんな、サクラさんのニュースを聞いたな」

  心香が鼻を啜っている。大好きで、SNSのフォローはもちろんのこと、メイクや服装も真似していた。

「どんな世間の暗い出来事にも飲まれるな。自分の中の光を見失うな。サクラさんにはたくさんの楽しい時間をいただいたことだろう。近藤。感謝して送り出してあげられるか?」

 心香は名前を呼ばれ、何度も頷いている。


「黙祷」


 先生の声にみんな目を閉じ祈った。


「学校でも、社会に出ても、安心できる理解者をつくれ。何かに打ち込んだり、誰かと何かをすることが楽しいなら、それをしろ」


「何か抱えていて、誰にも言えないようなら俺に言え。以上、1限目はこれで終了だ」

 先生は、革靴を鳴らしながら教室を後にした。


                

 カノンはいつものように茶道部で活動した後、七美と心香と下校していた。

「先生、自分の事に集中しろって励ましてくれたんだよね」

 心香が鞄を抱きかかえるように歩きながら言った。

「あの暑苦しい話し方だけは、なんとかして欲しいわ。まあ、反省していたようだし、許してあげるけど」

 七美は肩に掛かった、ロングウェ-ブの髪を手で払い胸ポケットのグロスを唇に塗っている。

 帰り際での先生の様子を思い出しカノンは微笑んだ。


「「まあ、あれだ、人と話をする時はしっかり丁寧語を使うように」」なんて、ばつが悪そうに言い出したから、また男子生徒に囲まれていた。

「理解者ってどういう人の事だと思う?」

「そーねー。ママは理解者だし。心香もカノンも私にとって理解者よ」

「私も、私も!七美もカノンも理解者」


 カノンは二人の会話を聞きながら、初めて理解者という言葉を考えた。

 携帯で理解者の定義を検索しカノンは声を出して読んだ。

「理解者とは”その人の考えや理念を正しく把握し、賛意を表明する人。心の内を理解してくれる人”って辞典にはあるけど・・・」

「そうだよね。私もそうなんだと思うけど・・・」

 心香が首を傾げて何かを考えている。

昨夜のママや先生の言動から、落ち込み続けずに元気になれたとカノンは感じていた。

「きっと理解者って心を軽くしてくれる人じゃない?」

「そー!それそれ!」

 七美と心香はしっくりしたと言うように笑顔を見せた。

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