第2話 乗り越えるべき山

「なあ、キャンプしようぜ。」

学期末テストの最終日、最終科目の試験が終了すると仲村聡史なかむらさとしは話し掛けてきた。

「・・・お前、追試とか大丈夫なのかよ。」

机の上にある筆記用具を片付けながら神崎翔かんざきしょうが応える。

昨日までは『最悪だー最悪だ~』と呪文のようにつぶやいていた聡史を思い返していた。

「当然だ。追試も補修もないはずだ・・・きっと・・・多分な。」

「あ、そう。」

根拠はないが、普段の聡史の成績を考えれば事実なのだろうと思う。

「翔のほうこそ大丈夫なんだろうな。」

「多分な。で、どこに行きたいんだよ。」

一度出したタブレットと筆箱を一緒に鞄へ仕舞いながら聞いた。


槍穂岳やりほだけ


悪寒が走った。左肩がうずく。『何だ』と思ったが肩の異変とは別に問いかける。

「なんでまた・・・」

「いやな、昨日現実逃避中にググってみたんだけど、初級から上級者まで楽しめるハイキングコースに槍穂岳が出て来て、登山口までのバスもあってな、整備されたコースを歩くと風呂とかあるロッジや小さな集落に神社なんかもあるしキャンプ場なんかも幾つかあって炊事場や店とかもあるらしいし、三日も歩けば楽勝で山中湖まで行けるみたいなんだよ。去年は結局何もしなかったから高校生活を充実するためにも二泊か三泊くらいでハイキング行こうぜ。」

『現実逃避するなよ』心に強く刻み、口を開く。

「二泊か三泊って、上級者の登山ルート行く気なのかよ。俺らド素人だぞ。そもそもキャンプ目的ではなくなっているし、もはやそれはハイキングでさえない。バリバリの登山だ。主旨がずれているぞ。それに、槍穂岳は・・・」

「ん?」聡史がいぶかしんだ。

「・・・まあいいや、家族に相談してみる。俺が山に入ることをひどく嫌っているのはお前も知っているよな。中等部の夏季林間学校の八ヶ岳研修も俺は不参加だったろ。あれは家族の反対は勿論だけど、何故かは分からないけど学校側も最初から俺は除外だったんだよ。だから無理かもしれないけどな・・・それと、お前の情報、順番とか微妙に間違っているぞ。それにお前の頭の中にロッジ使う気あるだろ。それってキャンプじゃないよな。」

「え、翔って槍穂岳詳しいの?まあ、資金や道具の問題もあるしな。一泊位はロッジ使おうぜキャンプ場がある事は間違いないからさ、いろいろ冒険しようぜ。そういえば中学の時の部活も合宿は海が多かったよな。今は高原合宿とかやってるらしいぜ。どっちがいいかは分からないけど伝統的に海合宿って訳でもなかったしな。まさかあれもお前に学校側が忖度してた訳じゃないだろ。まあいいや、ダメだったらバイト見つけて海にでも行こうぜ。海キャンプもありだ。」

『普通、夏は海だろ』思いながらも、大学の附属校とはいえ来年の夏は進路に係わる。確かに今年は何かを心に残したいとは思った。

「とにかく、家族に相談してからだよ。丁度明日は日曜日だしな。出来るだけ説得してみるよ。月曜日から球技大会だし、週開けてから結果を報告するからさ・・・」

『槍穂岳か・・・』良い機会かもしれないと思い始めた。

今まで通りなら家族の反対は十分に予想出来る。

翔にはこれから乗り越えなければ成らない山は幾つもあった。


終礼が終わり廊下に出ると幼馴染の森澤美鈴もりさわみすずがやって来て、爽やかな笑顔で「どうだった?」と聞いて来た。「お前こそどうなんだよ。」と言う聡史を完全に無視して翔の横に速足で割り込んで歩いて行く。

「うん。多分大丈夫だと思うよ。」

翔の返事に身体を捻って顔を上げ「だよね。」と言って美鈴は笑っていた。

階段を降り正面玄関に向かうと、生徒事務局前の廊下で教師と談笑している上級生達と遭遇して会釈する。

横を通り過ぎる時だった。その中の一人、女生徒が首を傾げて微笑んでいるように見え翔は軽く頭を下げて下駄箱に向った。


思っていた通り家族は大反対だった。


その日の夜。

夕飯を終え居間でくつろいでいるところ、聡史からの提案で夏休みにキャンプで山に行きたいと伝えた瞬間注目され、行き先は『槍穂岳』と告げたところで空気が一気に変わる。

母親は翔を見詰めたまま黙ってしまったが、姉の反応は翔にとっては予想を遥かに超えるものだった。

「絶対だめ!山はだめ!槍穂岳なんて絶対だめよ!」

姉のしずくは普段からは考えられないくらい早口に『だめ』を連呼した。

もはや反対を通り越して拒絶の域に達している。

やはり山は、しかも『槍穂岳』は鬼門のようだ。

静かに聞いていた母親も反対の意思は固いようではあるが、何かを思い詰め顎を上げて大きくゆっくりと深呼吸をしてから、もう一度翔を見詰めて伯父の意見を聞いてみようと提案してきた。

伯父とは母の実兄で、西丹沢にある黎明寺(れいめいじ)の住職を務めている弓削(ゆげ)英俊(ひでとし)の事であり、法名を『宗麟そうりん』という。母の実家でもある代々の寺を守っていた。

先代住職の祖父は三年前に他界したが祖母は健在で妻の妙子たえこと、長男で跡継ぎとして修業中の英幸ひでゆき、雫と同い年の次男で現在は海外に留学中の俊之としゆきがいる。

母は暫くの間、鞄から取り出したスマホを眺めて思案していたが、小さく息を吸うと兄へ連絡を入れる。

窓の外からは雨音が聞こえて来た。予報通り降り始めた雨は次第に強くなって行く。

母と伯父は世間話を交えながらも本題に入ったようで、少し声のトーンが変わったが意外にも回答は早かった。

「いろいろと話す事があるから、取り敢えず寺に来いって。」

母親は通話を終えると翔と雫に向って静かに言った。

『寺も山の中じゃないか』言いかけたが従う事にした。

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