自分をすすきのの女と言う女(3)完

 喫茶店の鏡の前で、ゆきはふと立ち止まる。

 かつて「綺麗だよ」と言い聞かせていた鏡。

 今そこに映っているのは、しわの刻まれた顔と、少し背の丸くなった自分。


 だが、ゆきはそれを見て、そっと微笑んだ。


「年輪はね、隠すもんじゃない。夜を生き抜いた証。女の勲章さ」


 私は何も言わず、ただゆっくりとカウンターのカップを片づけた。

 言葉を返すのが惜しいような、そんな時間だった。


 ・・・


 帰り際、ゆきは入口で足を止めた。


「ねぇ、あんた。どうして“幻”なんて名前をつけたの?」


 私は笑って、照明を少しだけ落としながら答えた。


「“純喫茶”じゃお酒が出せないんです。だから頭に“不”をつけたんです。

 “あわよくば不純と思わせたい”――そんな下心もありましたけど」


 ゆきは、くすくすと笑った。


「で、“幻”は?」


「もともと、こんな店は空想の中のものでした。頭の中にしかなかった。

 でも……今、こうして現実に存在してる。誰かの記憶と、声と、物語が、ここに集まってくれるおかげで」


 ゆきは頷き、そして言った。


「じゃあ、あたしも“幻”の一部ってことだね。悪くないじゃない」


 ・・・


 外には、季節外れの粉雪が舞い始めていた。


「また来るよ、“幻”さん」


 そう言って、ゆきは扉を開け、音もなく夜の街に消えていった。

 その背中は小さく見えたが、どこまでもしゃんとしていた。



 幻―――それは消えそうで、確かにそこにあったもの。

 そして今夜も、「不・純喫茶 幻」は、小さな灯をともしている。


 語られなかった物語の続きを、静かに待ちながら。


 さて、次はどんな出会いがあるかな




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る