ヤザワナルミの生きなおし
琥珀
第1話
「クロダ、今夜何か予定ある? 」
俺がPCとにらめっこをしていた時、弾んだ声をかけてきたのは同僚のサトウだった。顔を上げると、サトウはニヤニヤしながら口を開く。
「経理の子達が飲みに行かないかって。親睦ですよクロダさん」
「親睦という名の社内合コンだろどうせ。俺はいいよ」
「えっ来てくれるのか?! 」
「行かないって言ったんだよ」
さもめんどくさそうに手を振って見せると、サトウは肩をすくめてデスクへと戻っていった。やたらと最近声をかけてくるのも、俺に気を使ってのことだろう。
合コンに興味が無いと言ったら嘘になるが、そのような話が来る度にリエのことが頭に浮かんだ。
リエはちょうど1年前、病気で亡くなった俺の彼女である。もう長くないとわかった時、リエはよく言っていた。
「よく、男の人はずるずる引きずるって言うじゃない。トウマ君の人生はこれからなんだから、絶対幸せになってね」
そんな寂しいことを言うなよ。俺がそう言うと、リエは得意げに答えた。
「あんたがうじうじしてる間に私は生まれ変わってどこぞの健康な赤ちゃんになってやるんだから」
リエは魅力的な女性だった。彼女が亡くなってから、俺は今の営業の仕事に没頭していた。勿論会社の同僚達もこの事情は知っていたし、サポートもしてくれた。つくづく職場には恵まれていると感じた。
とは言え、俺も今年で26だ。そろそろ先のことを考えた方がいいか。この仕事もいつまで続けようか。
「じゃ、お先に。お疲れさまですー」
次は来いよな、と背中に振ってきたサトウの声に、手を振って返事をした。良くも悪くもごくごく普通のサラリーマン。今日は新橋で飲んで帰る?いや、サトウ達の合コンに遭遇したら気まずいし。
外に出ると、残暑の暑さが出迎えた。この季節になると、カナカナとひぐらしが鳴いて、秋っぽいななんて思うわけだ。それで冬が来て、春が来て、夏になってどんどん歳をとって……社会人になってからの時の流れは本当にとんでもなく早くて怖くなる。
「はぁ……早く帰ろ」
いつも通り駅に向かう。まさか、それがクロダトウマの最期の言葉になるとは思ってもみなかった。
いつもの道を歩いていた時、頭上からゴゴゴと聞いた事のないとんでもなく大きな音を耳にした。
人は、生命の危機を感じた時、スローモーション化させる力があるらしい。ゆっくりも速く、鉄骨の束が俺をめがけて降ってくる。足は石のように固まり動かなかった。
ぷつ、と視界が切れた。多分、俺はそこで死んだ。
目を開ける。真っ暗闇。自分の体すら見えない。幽霊?え、これはどういう状態?急に視界が明るくなり、目の前にリエが現れた。さっきまで耳にしたひぐらしの声もする。
「カナゼミが鳴いてるよ〜もうそんな季節なのかあ」
呑気に話すリエは、病気が発覚する前のリエだった。まだ髪も胸の辺りまで長い頃だ。リエ、と声をかけようとするが声が出ない。これは夢?いや、もしかしたらリエのいる場所にやってきたのかもしれない。なら天国?
視界にノイズのようなものが走り、今更(おそらく)走馬灯が駆け巡った。
そうか、死んだんだ。
人は死ぬとこうなるんだな―急にある名前が降りてきた気がした。スっとそれは俺の頭に入り込んだ。
――ヤザワ ナルミ。
俺は目を開けた。眩しい。見覚えがある場所。ああ、病院だ。
「……あっ、あ、ナルミくん目を覚ましました!お母さん!ナルミくんが!」
看護師っぽい女性が駆け足で病室を出ていく。入れ替わりで、知らない女性が泣き顔で俺の事を覗き込む。
「ナッちゃん、良かった、良かったよお」
この人はきっと、家族。母親なんだろうな。さっきの看護師が戻ってきて、俺に向かって問う。
「自分の名前、分かる? 言えるかな? 」
「……ヤザワ ナルミです」
言い終えたところで急激な眠気に襲われた。
次に目を覚ました時には、既に2時間くらい経っていた。状況を整理するのには時間がかかったが、俺はどうやらヤザワナルミという人間らしい。しかし、クロダトウマとしての記憶もある。どういう状況だ?
看護師の話いわく、俺というかヤザワナルミは横断歩道で車に跳ねられ、今に至るという。これってまさか、映画でよく観る入れ替わってる?! ってやつか?
軽い記憶喪失として診断されたものの、分からないことが多すぎる。ガラガラと点滴を引きずりながら院内を歩き、気持ちを落ち着かせた。
トイレで鏡と対面した時は腰を抜かしそうになった。知らない少年の顔がそこにあったから。おまけにパッとしない見た目で、平々凡々な高校生だった。病室にあった生徒手帳より、自分が高校1年であること、
「そもそも都島なんて聞いたことないな」
死亡後のボーナスゲームにしてはあまりにもリアル過ぎる。せめて高校生活をやり直すなら、イケメンな自分にして欲しいものだったが。そもそもヤザワナルミは、俺として今生きている可能性もあるわけだ。俺はヤザワナルミのロックもかかっていないスマホを取り出し、おそるおそる自分の携帯番号をプッシュした。心臓がバクバクする中、発信ボタンを押してみた。
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