第4話 魔法使いさん、お名前を聞かせて
魔法使いさんの館に泊めて貰えることになったその夜。
私と馬車を運転してくれていた御者の二人は、お夕飯をご馳走になり、その後それぞれに部屋を貸して貰って休むことになった——————のだけど…、すっかり嫁になるつもりで覚悟を決めていた私は、今のところ相手にはその気がなくて何とか説得しなくちゃいけなくなったことだとか、"魔法使い"さんが想像していたような"大悪人"では全然なかったこととか…、色んなショックや衝撃が強過ぎて半ば興奮状態になってしまっていたらしく、ちっとも寝付けずにいた。
家を出たのはまだ薄暗い早朝と言う長距離の移動だったし、肉体的にも精神的にもだいぶ疲れているはずなのに目が冴え切っているのだ。
部屋の大きな窓を開いて、少し肌寒いくらいの夜風に当たりながら、月明かりが照らす静かな夜の森をぼんやり眺める。
こうしていると、先ほどまでの喧騒が嘘みたいに感じる。
(思ったよりもずっと優しくていい人のようだけれど、どうしたら私と結婚してくれるだろう…)
風で揺れる長い髪を片手で軽く押さえながら、ぼんやりとそのことを考える。相手がどんな人物でも構わないとは思っていたけれど、さすがに嫁入りの件を知らなかったとは思わなかった。彼にも実際に言ったように、魔法使いさんが私を気に入らなかったとしても、小間使いや奴隷のような存在…あるいはそれこそ魔法の実験動物みたいなものとしてなら受け入れてくれるかも知れないなんて考えていたんだ。
だけど、あの魔法使いさんはそう言った風に私を扱う気もないみたいだし…。
(このままじゃ明日には家に帰ることになっちゃうし…。もう少しちゃんとお話しが出来ないかな…)
どうしよう…と外を眺めていると、館の庭に黒い人影が歩いているのが見えた。
「!」
(—————あのもじゃもじゃ頭のシルエットは、……魔法使いさん!!!)
そう、背が高く、もじゃもじゃ頭のその人影は魔法使いさんだ。
話が出来るチャンスだと思った私は、部屋をそっと抜け出し、階段を駆け下りて、外を目指した。
彼が何をしているのかはわからないけれど、私には残された時間も、手段を選んでいる時間もないんだ。
「魔法使いさん!」
「わぁっ!?」
庭に出て、彼が歩いて行った方向へ向かうと、何かの前に屈んでいる彼の姿を見つけた。
私がつい声をかけてしまうと、その背中がビクっと大きく跳ね上がって、驚いたような表情で振り返った。
「…メ、メーデルさん…、どうしてここに…」
「ごめんなさい。どうしても眠れなくて…。窓から外を見ていたら、貴方のことが見えたから……」
「…そ、そうだったんですか……」
「…えっと、魔法使いさんは何をしていたんですか?」
「…………お、俺は…その…花を…」
「花?」
言い難そうにしどろもどの様子の魔法使いさんが先ほどまで見ていた場所へと視線を向けると、そこは何やら花壇のようだった。
そして、そこには月明かりを浴びてきらきらと輝く、まるでオーロラのような色をした花びらを持つ神秘的な花が咲いている!
「わぁ…、綺麗!!」
こんな美しい花、私は当然見たことがなかった。思わず感激の声を上げてしまう。
「すごい…!こんなお花初めて見ました…!魔法のお花なんですか?」
「……あ、いや…えっと、別に俺が手を加えた訳じゃないんだけど、もともと少量の魔力を持った植物で…。月の光に反応してこんな風に光るんだ。それで、もうすぐ咲くはずだったから、見に来たんだけど…」
「花壇で育てていたってことは、お花…お好きなんですか?」
後になって考えてみれば、魔法の研究や実験で使うのかもって考えるのが普通だったのかも知れないけど、その時は、純粋にお花が好きで育てているものだと思い込んでいて、私はついそんな風に聞いてしまった。
魔法使いさんは一瞬だけきょとんとしたような様子の後、少しだけ口元を緩めて、微笑んだように見えた。
「え…」
私が彼の笑みに少しだけびっくりしている間にも、彼は言葉を続ける。
「…うん。この花はね、もともと俺の爺ちゃんが育てていたものなんだ。婆ちゃんが好きだった花なんだって」
「…!…凄く、ロマンチックですね…!」
「うん。口数も少なくて、全然笑ったりもしない不愛想な爺ちゃんだったのに、婆ちゃんには花を育ててやったりしてたのが、子供の頃は凄く不思議だったんだけどね」
「……」
それだけお婆様を愛していたんだろうと思うと、会ったこともないお爺様にまで素敵な方だったんだろうなって思いを馳せてしまう。そして、そんなお爺様の想いを今でも育て続けている魔法使いさんと言う人に対しても。
「このお花、なんてお名前なんですか?」
「月の涙、ムーンドロップって言うんだ」
「ふふ。可愛い名前ですね」
「はい。爺ちゃんの仏頂面を思い出すと似合わな過ぎてちょっと笑っちゃうんですけどね」
魔法使いさんの言葉と雰囲気が、凄く柔らかく感じて、私まで表情が綻んでしまっているのがわかった。魔法使いさんは今は一人で暮らしているようだから、お爺様やお婆様はもう亡くなってしまっているのかも知れないけれど、それでも…彼が二人をとても大事に思っていることも伝わって来て、凄く親近感が沸いた。
そして、私はまだ彼に大事なことを聞いていないと言うことを思い出したのだ。
「あの、お名前を教えては貰えませんか?」
「?」
私の言葉に、魔法使いさんは首をこてりと傾ける。
「えっと、ムーンドロップ…」
「…いえ、あの、そうじゃなくって、貴方の名前、です」
「あ」
もじゃもじゃの前髪に隠れていた彼の瞳が、髪の隙間から一瞬だけ見えた。
「……ね。魔法使いさん、お名前を聞かせて?」
私は彼から目を逸らさない様にじっと見つめながら、彼の答えを待った。
彼はしばらく逡巡していたけれど、やがて意を決したように口を開く。
「……ゴーシュ、です」
もじもじと恥じらうような彼の様子が何とも微笑ましくて、私の顔はまた無意識に綻んでしまっていたようだった。
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