第7話 ヤク中

 まもなく開発が成功すると言われるようになると、この薬をいかに売り出そうかということで、会議になった。

 その中で問題になったのは、

「消費期限の問題」

 であった。

 不老不死と言ってはいるが、それは、継続あってのことであって、定期的に薬を飲み続けることで、人間の身体に、不老不死の要素となる力が備わってくる」

 ということであった。

 その定期的な期間というものを、消費期限としたならば、どれくらいの感覚で摂取が必要なのかということである。

 それは、まるでワクチンの効果がどれだけ効いているかということで、一般的にいえば、半年くらいがいいところではないだろうか。

 だが、半年に一度だと、薬を作る経費を考えると、少し長すぎる。赤字になってしまうのだった。

 だからと言って、定価をあげるわけにはいかない。今の値段でも購入者の懐ギリギリというところであろう。

 非公認のクスリなので、保険が利くわけもなく、国から補助金が出るわけでもない。

 そもそも、国がこの研究を依頼してきたくせに、

「これを上級刻印に限るとはいえ、この普及はまだ時期尚早だ」

 と言われていた。

 臨床試験の結果に関しても、資料としては乏しいし、いかに需要があったとしても、この話が世間に漏れると、社会問題になりかねないからだった。

 もし、研究員以外の誰かが使用する場合は、公開も辞さないくらいの覚悟がなければいけないだろう。

 コウモリの研究は、その賛否両論が出た時、いかにまとめるかという意味でも研究されたことであり、その研究結果もいまだ中途半端な状態なので、時期尚早というのも、そのあたりの考えから来ているものなのだろう。

 コウモリの研究が行われる中で、見えてきたのは、吊り橋の上での緊張感を感じた時のことだった。

 風が吹く中で、吊り橋の中央に置いてけぼりにされてしまった場合、どのような精神状態になるというのだろう?

 前に進むべきか、後退するべきか? 悩みどころである。

 断崖絶壁の谷に掛かっている吊り橋は、風によって、グラグラ揺れている。足元がおぼつかず、必死になって、前と後ろを交互に見るだろう。

 それは、

「前に進む方が近いか、後ろに下がる方が近いか?」

 ということを考えるからである。

 しかし、冷静に考えれば、答えは決まっている。後ろに下がるべきだと思うからだ。

 なぜかといえば、もし先に進んで、向こう側に着けたとして、最期にはもう一度、同じところを通って、戻ってこなければならないのだ。

「同じ恐怖を二度も感じられるというのか?」

 一度であれば、何とか覚悟を決めたとしても、二度目はそうはいかない。

 そう思うと、もう一度戻る勇気はないと思い、通ってきた道を、何とか戻れないものか? と考えることだろう。

 だが、そんな簡単な理屈なのに、まだ前に進もうと考えている。

「ひょっとすると、向こうに抜けたら、ここを通らずに帰れるところがあるのではないか?」

 と思うからで、それが実に甘い考えであることは最初から分かっていた。

 なぜなら、恐怖の中で、冷静な判断ができないことは分かっている。

 真上から下を覗くことがどれほどの恐怖か分かっているので、決して下を見ようとはしない。

 しかし、下を見なければ、判断ができないと思えば、怖くても見なければいけないという思いに至り、

「死ぬも生きるも、覚悟は必要だ」

 というものである。

 コウモリの研究というのも、そういう覚悟を固めるために、下を見る勇気を得るのと同じ感覚だった。コウモリに卑怯なイメージを感じてしまうと、覚悟ができるような気がする。理不尽さが、不公平さを上回るかどうかの発想であった。

 コウモリというのは、いい意味と悪い意味とが複雑に絡んでいるような気がする。消費期限を狭めることは、資金面での問題を解決させることになるが、そのせいで病気が治らないということであれば、それはあまりにも理不尽であり、本末転倒もいいところであろう。

 そのため、今回の研究で求められたこととして、

「再生能力」

 というものがあった。

 つまり。人間の中にある自浄効果であったり、傷ついた時に、身体を元に戻そうとする人間本来が持っている本能のようなものをいかに引き出すかというのが、この研究のテーマでもあった。

「特効薬というのは、薬自体が病気を治すというよりも、人間の中に存在している力を引き出すものだ」

 と言った方がいいだろう。

 そもそも、人間というものは、薬を身体の中に持っていることが多い。それが病気を治す薬である場合もあれば、逆に毒であることもある。殺人事件の中のトリックの中で、毒殺の場合など、

「毒物が発見されずに、自然死で片づけられる」

 ということから、完全犯罪に至ることもないとは言えないだろう。

 確かに変死であれば、司法解剖に回されるが、解剖しても、身体から毒物が発見されないのだ。

 それはなぜかというと、

「最初から体内にあるものであれば、摂取しても発見されることはない」

 というものである。

 カリウムなどがその一つになるのだろうが、解剖しても、本当に分からないものなのだろうか?

 ただ、最近の科学も発達してきているだろうから、以前のような完全犯罪を形成しにくくなっているかも知れないが、そのあたりは、警察の方のトップシークレットになっているだろうから、ハッキリとしたことは分からない。

 どちらにしても、人間が経口薬として摂取するものであれば、完全犯罪に近づくことはできるだろう。

 注射によるものであれば、針の痕が残るので、すぐに分かるというものだ。

 最初に調べるであろう、腕の静脈や手のひらであれば、すぐに発見されやすいのだが、それ以外の場所として、足首のくるぶしの当たりも調べたりするようだ。

「麻薬患者が、すぐに発見されないように、そこに打つらしいからね」

 と、鑑識としては常識なのであろう。

 薬としても、人間の身体の中にあるものを促進することによって、それが病気の進行を遅らせたり、治療に役立つこともあったり、実際の薬が、それらの体内にある物質を活性化させて、薬とするということがあるというのも事実だった。

「身体の中にあるものには、病気を治癒するもの、そして、病気の治癒のために、体内を活性化させるもの、さらには、毒薬として自分の身体を痛めつけるものと、いいこと悪いこと両面がある。しかも、毒になるものは、即効性のものもあれば、徐々に身体を蝕むものもある。後者であれば、それこそ、死因を特定できないようなものということになるのではないだろうか?」

 と考えられる。

 これも、コウモリの発想のように、同じようなことであっても、見え方によって、いかにでも解釈できるというもので、人間の体内にあるものは、まさにその考えなのだろう。

 うまく機能すれば、完全治癒も夢ではないが、一歩間違えると、その人を一気に殺しかねない恐ろしい毒薬になってしまうかも知れない。

「現在、薬として使われているものも、元々開発された時は、爆弾だった」

 というものも少なくない。

 有名なもので、ピクリン酸であったり、、トルエンなどがそうであろうが、もっとも馴染みのあるものとしては、

「ニトログリセリン」

 ではないだろうか。

 ニトログリセリンというと、皆さんは何を想像するだろう。一般の人であれば、

「ちょっとした進藤でも大爆発を起こす爆薬だ」

 と思うことであろうが、心臓病を患っている人からすれば、

「心臓発作が起こった時の特効薬」

 というイメージを持つことだろう。

 心臓発作のような病気は本当に苦しいものだという。二とrグリセリンは、本当にその人にとっての、命綱なのである。

 一口にクスリと言っても、病気を治すものだけではない。前述のトルエンなどは、麻薬である。

 つまり、服用する薬物として、身体のためになったり、病気を治したり、進行を遅らせるものだけではなく、

「最初は身体の機能を活性化させ、労働意欲などの欲を掻き立てることのできるものなのだが、服用を続けると、慢性化してしまって、身体の健康を蝕むという悪影響を及ぼしてしまう」

 ということになりかねない。

 それは麻薬というもので、服用すると、最初は身体が活性化して、いい効果しかないが、継続すると、今度は薬から離れられなくなる。

 なぜなら、身体が薬を欲するようになり、我慢していると、身体の震えや、発汗作用、さらにひどくなってくると、幻聴、幻覚が見えてくるようになるという、いわゆる、

「禁断症状」

 となって、身体だけではなく、精神をも蝕んでいくという、恐ろしい薬になるのだ。

 その意表例が、

「覚醒剤」

 であり。啓発のための警察が製作したCMなどでは、

「覚醒剤やめますか? それとも、人間やめますか?」

 などという、恐ろしいフレーズがあったりする。

 覚醒剤というと、代表的な暴力団の資金源として、昔から言われていることである。刑事ドラマなどでよく扱われていて、昔の刑事ドラマでは、禁断症状の場面を写し、身体から覚せい剤を抜くという衝撃的な場面を描いたシーンがあったのを、子供の頃に見た気がした。

 今ではなかなかそんなシーンを放送するのは難しいのかも知れないが、啓発という意味では、本当は知るべきことなのだろう。

 ただ、人間として、他人が苦しんでいる姿を見るというのは、

「見るに堪えない」

 という言葉があるように、結構きついものがあるだろう。

 この研究所では、

「禁断症状のない麻薬」

 の製造を提案した人がいた。

 しかし、それはすぐに却下されたのだが、その理由としては、

「麻薬というものは、禁断症状が悪いというものではないんだ。むしろ禁断症状があることで、麻薬は身体に悪いということが証明されているのであって、その禁断症状を取ってしまうと、あっという間に蔓延しかねない。利用者がどんどん増えて、麻薬をまるで滋養強壮のように使ってしまうと、誰もが手を出すようになる、そうなると、需要が増えることで、麻薬の価格は下落していき、下手をすれば、普通の主婦が薬を買うかのような感覚で購入できてしまう。考えてみればタバコだってそうではないか。今でこそ、タバコを吸う意図は肩身が狭い思いをしているが、昭和の頃までは、どこでもタバコが吸えたんだ。事務所であったり、電車の中だったり、病院だって吸えたんだからな。同じ常習性のあるタバコでもそうだったんだから、麻薬だって禁断症状がなくなれば、その恐ろしさが見えてこなくなる。それが恐ろしいんだ」

 と、言われた。

「なるほど、かつての中国でのアヘン中毒の映像などを見れば、確かにその通りですね。禁断症状というよりも、アヘンを吸引することで、目にクマができてしまって、思考能力がなくなってしまう。恍惚の表情で、完全に廃人になっているような感じですたよね」

 というと、

「そうなんだ。そもそもアヘンというのは、中国で貿易を始めたイギリスが、インドなどの紅茶と、中国の毛織物などとの貿易で、なかなか儲からないからという理由で、

「アヘンという麻薬を蔓延させることで、アヘンによる貿易で、荒稼ぎしよう」

 というところから始まっている。

 アヘンが蔓延し始めた中国本土では、中毒者や廃人寸前の人が街に溢れ、治安や統制が取れなくなってしまっていた。

 しかも、アヘンにより、イギリスが潤い、中国経済が疲弊していく。

 イギリスだって、アヘンの恐ろしさは十分に分かっているはずで、だからこそ、アヘンが儲かるということを分かっていたのだ。

 常習性があり、継続すると、中毒になり、廃人になりかねない。そんなことは常識だったに違いない。

 今でいえば、モルヒネのように、鎮痛剤としてやむおえず使用しているのなら仕方がないが、

「貿易で利益を上げるため」

 という理由での蔓延は、売りつけられた中国からすれば、

「侵略行為も甚だしい」

 と言ってもいいだろう。

 ここまでくれば、もう貿易と言えるののではない。相手が飼わなければいけないような状況に強制的に持ち込んだうえ、中毒という患者を作り出すものを売りつけているということに罪はないのだろうか?

 しかも、中国がアヘンの使用を禁止すると、イギリスとの間で戦争が起こった。

 イギリス相手に負けた中国は、不平等条約を結ばされ、後れを取ったフランスは、インドシナの権益を狙って、清仏戦争を起こす。

 さらに、ロシア、ドイツ、日本が中国の権益を狙って、

「遅れまじ」

 とばかりに、進出してくる。

 まさか中国も日本に負けるとは思っていなかっただろう。

 しかし、実際にやってみると、日清戦争では、

「日本軍の圧勝」

 だったのだ。

 明治政府成立以降、最初の大国を相手にした対外戦争だった。ただ、これは時代の問題があったのかも知れない。

 すでに、列強に食い物にされてしまっている清国であり、さらに、西太后による、

「国家予算の無駄遣い」

 が、清国軍の首を絞めたのだ。

 つまりは、富国強兵、殖産興業のスローガンで、軍備を拡張してきた日本に対して、老朽化した兵器しかなく、まともに運用することができない清国軍に勝ち目があるはずもなかった。

「眠れる獅子」

 と言われた中国:清国では、滅亡への坂道を、一気に転がり落ちていくことになるのだった。

 最終的な滅亡としては、

「義和団の乱」

 であろうか。

「扶清滅洋」という、

「清国を扶(たす)けて、欧米列強を滅しよう」

 という意味のスローガンで立ち上がった、義和団に載せられる恰好で、西太后は何と、欧米列強に宣戦布告をしたのである。

 どう考えても自殺悔いだ。

 日本を含めた八か国に対し、一気に宣戦布告をすれば、当然、各国軍が列挙して、派兵されてうることだろう。

 その場だけは何とか持ちこたえたとしても、誰が考えても、食い荒らされた清国、しかも、日本にすら負けてしまい、国は貧困にあえぎ、兵器すらまともにない状態での宣戦布告は自殺行為と言っておいいだろう、

 あっという間に北京は占領され、賠償金や、さらに不利な講和条約を結ぶことで、ここに至って、清国は持ちこたえられなくなってしまったのだ。

 辛亥革命によって清国は滅んだが、イギリスによるアヘンの蔓延が大きかったと言えるだろう。

 清国が滅んだ中国でも、アヘンは蔓延していた。

 満州国でも同じことで、満州国皇帝である溥儀の正室である、苑容皇后も、最期はアヘン中毒になり、精神障害になっていたということである。

 もっとも、満洲国の財政は、アヘン貿易によるところが大きかったということで、関東軍の罪はかなり重たいであろう。

 しかも満洲の広大な大地は、アヘンの元であるケシの実の栽培に適した土地だったと言えるのではないだろうか。

 日本では、アヘンが流行することはなかったが、麻薬は、戦後の動乱期、ヤクザなどの資金源として使われた。

 当時は、ヘロインなどという麻薬が闇市で売られていたという話も聞いたことがあったのだが、とにかく、治安が最悪だった時代なので、それも仕方のなかったのではないだろうか。

 そのうちに、占領軍により規制されるようになったが、ヤクザとしては、せっかくの資金源を、そう簡単に諦めるわけもなかった。

 そんな麻薬であるが、ヘロインなどは、当時、栄養が致命的に行き届いていなかったために、滋養強壮ということで重宝されていたようだ、

 庶民に簡単に手に入るものではなかっただろうが、何しろ闇市の時代、闇ブローカーが扱う分には、いくらでも、ヘロインを自由にできるという輩も現れるくらいで、新円の改革などがあり、お金が紙くずのごとくになった時、うまく立ち回った人間が、巨万の富を得ることになる。

 そんな彼らが暴力団という形で、組織を作るようになると、組織が麻薬を一手に握るようになる。

 しかも、終戦から五年後に起こった朝鮮戦争で、兵器特需が生まれ、そのどさくさで大きくなった組織も少なくないだろう。

 強くなる組織は限りなく大きくなり、滅んでいくところはひとたまりもない。戦後の混乱はそんな時代だったのだろう。

 そんな時代の教訓を、いまだに大切にしている組織もある、何と言っても、一番苦しい時代を乗り切ったノウハウは、今の時代に繋がるものがある。

 見た絵は裕福な世の中になったが、貧富の差はかなり激しくなっていて、しかも、そんな時代に追い打ちをかけるかのような、世界的な伝染病の流行という時代もあった。

 流行は収まったが、経済的には世界的な大打撃である。

 これはまるで、第二次世界大戦が起こる前の、

「世界恐慌」

 に似ているではないか。

「人の命が最優先」

 ということで、

「経済活動は二の次」

 になってしまったのだ。

 もちろん、それは仕方がないことであり、何と言っても、

「死んで花実が咲くものか」

 ということである。

 もっとも、これが大日本帝国であれば、

「陛下のために、命を捧げる」

 ということが美徳だということになるのだろうが、さすがに犬死だけは避けなければいけない。

「国破れて山河在り」

 という言葉もあるが、まさにその通りである。

 人間が滅んでしまえば、その山河を、

「一体誰が守るというのか?」

 ということになるのである。

 まさに、人間の滅亡は、どこをどう取っても、支離滅裂な話であり、

「最悪、天皇だけが生き残ったとして、国家が運営できるはずもない」

 ということである。

 松前が所属する開発チームには、戦後の混乱を手記にしたものが残っていて、それが開発チームの、今でもスローガンとなっているようだ。

 誰もが見てもいいように公開されてはいるが、誰が見るというのだろう。

 研究員には、そんな理屈は関係ない。自分の開発したものだけがすべてなのだ。

 そして、そのすべてと言われるような教訓を、今の人たちは、きっと、

「古臭い」

 というだろう。

 古臭いというのは、決して褒め言葉ではない。しかも、日本国が生まれ変わる時の、旧態依然たる考え方が、まだ根深く潜んでいて、闇市が蔓延っていて、食うや食わずと言った時代にも、

「日本の再軍備」

 であったり、

「天皇を中心とした政治体制の復活」

 を企図している人たちもまだたくさんいたことだろう。

 それだけに、占領軍による、民主主義というプロパガンダによって、アメリカ式のデモクラシーが植え付けられると、戦前の考え方が、

「すべて悪である」

 と言われるようになるのだった。

 そんな時代に、強くなった組織を、今の時代では、悪だと認識するだろうか?

 もう、戦後を知っている人はほとんどおらず、いても、すでに現役を引退している人が多いだろう。

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