第2話 進行の早い病気
不老不死というものを、実際に作ろうと、計画をしていたところも結構あるのではないだろうか。もちろん、高額な費用が掛かるし、競争相手がいれば、情報が漏れないようにしないといけないということもあるので、中には国家ぐるみのところもあったかも知れない。
かのお国あたりは、怪しいものだが、果たしてどうなのか、気になるところではあるが、しかし、そんな薬を作るとしても、それを実用化するのは難しいだろう。
何しろ、そんなクスリは誰もが欲しいと思うだろうが、何と言っても高額であることは間違いない。一般庶民に手が出せるものでもないだろう。
それと、もう一つには、
「臨床実験ができるか?」
という問題である。
何といっても、物は、不老不死である。
不老に関しては見た目や健康状態の検査である程度分かるだろう。筋肉の年齢であったり、骨の年齢、臓器の年齢も推定できるだけの科学力があるので、検証は十分にできるはずだ。
しかし、不死に関しては、本当にできるだろうか?
不死ということは、
「絶対に死なない」
ということである。
一体、いくつまで生きれば、不死と言えるのか? 永遠でなければいけないというのか?
ということを考えていけば、百歳まで生きたということで、
「完成しました」
ということにしてしまい、その翌年に死んでしまったというと、目も当てられない。
「では、二百歳まで生きなければいけないのか?」
ということになると、今度は、その薬を開発している人が死んでしまう。
それこそ浦島太郎のように、臨床実験が叶った時には、もう知っている人は誰もいないということになるだろう。
そんな実験を誰が引き受けるというのだろう?
考えてみれば、昔から新薬や医学の発展において、最初に人体実験された人は、本当に勇気が行ったことだろう。
帝国主義などであれば、捕虜を使って、何とか実験を行うということが、非公式に行われていたことだろう。
もちろん、陸戦協定で、そんなことは、捕虜の虐待ということで、許されていないのは当然のことだが、世が世なら、そんなことは関係ないと言った時代が本当に存在したのである。
また、毒のある食べ物なども、世の中にはたくさんある。そういう意味で、
「最初にフグを食べた人は勇気が行っただろうな?」」
と言われている。
ふぐに限らず、危ない食物はたくさんある。彼らの犠牲のもとに、今の食生活が成り立っていると言っても過言ではないだろう。
しかし、不老不死のクスリでもう一つ気になるのは、
「果たして、そんな薬を作って、果たして売れるのだろうか?」
という問題であった。
高価だから売れないというのも一つの理由であるが、冷静に考えれば、
「そんなものを使ってまで、長生きしたくない」
ということになるだろう。
今までにも話しているが、
「まわりの知っている人が皆死んでいく中で、自分だけ生き残って、ずっと生き続けなければいけない」
ということに何の意味があるというのだろう?
妻も死んで、子供も死んでいく。孫も、その子たちも……。
だが、自分が死ぬことはできないのだ。
「そういえば、不老不死の薬を飲んでいれば、不死身なのだろうか?」
という考えもあった。
確かに病気に罹らないとか、寿命が来ないとかいうのはあるだろうが、事故であったり、事件に巻き込まれたりすれば、普通に死ぬことになるだろう。
車に轢かれたり、ピストルで撃たれたりすれば、どんな強靭な人間であっても死んでしまうことだろう。
それこそ、鋼の肉体。サーボーグのようなものでもなければ、外部からの圧力には負けてしまうに違いない。
「不老不死のクスリが、強靭な肉体を作ってくれるのか?」
ということになると、
「それはできません。強靭な肉体が欲しいのであれば、サイボーグになるしかないです。ただし、臓器は人間の臓器に類似していなければ、この薬は効きません。あくまでも、人間の不老不死に対してのものですから」
ということになるだろう。
そうなると、中途半端である。
いつどこで事故に遭うか分からない。まあ、そうなってしまうと、運命だと思って諦めるしかないと思うのだが、まわりの親しい人が死んでしまって、自分だけが生き残るという孤独という地獄と背中合わせであるということを了承して生きているのに、いきなり、あっけなく死んでしまうというのは、どうにも納得できないだろう。
さて、今度は、開発者側、いや、開発を依頼した側から考えてみよう。
彼らは、これらの薬を開発すれば、誰に使うというのか、まず考えられるのは、
「誰かに売る」
というものである。
たぶん、このような薬は極秘に開発され、完成しても、国家に申請したとしても、承認を受けることは難しいだろう。
「こんな臨床試験もまともにできていないものを、公に販売を許可できるわけはない」
と言われるのが関の山だ。
となると、カネを持っている人で、不老不死を願っている人に、密かに売るしかないだろう。
ただ、これらの薬は、基本が、
「不死」
なのである。
もし、
「一回飲めば、死ぬまで活きられる」
などというややこしいことを言われたとすれば、これは、難しい問題を孕んでいることになる。
なぜなら、
「不老不死などという薬が出てくれば、他の薬が売れなくなる」
というものであった。
だから、公にたくさんの人に売れないというのもそういう理屈からも考えられる。
「だったら、定期的に呑み続けるタイプのものにすればいいじゃないか」
ということになるのだが、果たして需要に対して供給が追い付いてくるかということが問題になってくるに違いない。
どこの世界にも、裏の世界というものが存在し、そこの組織の首領などは、こういう薬があれば、手を出すかも知れない。
組織としては、首領の存在が大きなものであるとするならば、
「今死なれては困る」
と誰もが思っているだろう。
暗殺まではどうしようもないが、病気や寿命などで死ぬのは理不尽だと思っている組織としては、この際だから、このような薬を使い、少しでも。首領の力を鼓舞できる期間を長くしたいと思うことだろう。
確かに不老不死のクスリであれば、一回飲めば死なないというわけではなく、定期的に飲むタイプであるなら、
「これ以上、生き続けたくはない」
と思った人間に対して、
「安楽死」
ができるような薬も一緒に開発すればいいだろう。
不老不死に比べれば、簡単なものではないだろうか。
不老不死自体が無認可のクスリなのだから、安楽死も別に問題ない。それはあくまでも、
「自殺」
と同じだからである。
自殺する人が安楽死を選んだというだけで、誰かに手を下すのを委託したのであれば問題だが、自ら命を断ったのであれば、何ら問題はないはずだ。
あるとすれば、倫理的な問題というだけだろう。
さすgあに、開発されると、案の定、企画開発チームの首脳は、
「国家に申請は時期尚早」
ということで、一時期、様子を見ることにした。
その反面、裏社会にはこの薬の存在をウワサとして流し、それをほしいという組織も若干ではあるがいたのだ。
どうして若干なのかというと、国家の承認も受けていない薬だということと、高額による負担に比べて、リスクを回収できるだけの、保証がないということであった。
それでも、持病を持っている人で、いつどうなるか分からないという人などは、
「この薬を投与すれば、持病もかなりの確率で収めることができる」
ということを聞いて、飛びつく人もいた。
組織の中では完全にワンマンで、自分に何かあれば、組織はすぐに転覆してしまうと思っている人にとっては、
「救世主のような薬だ」
と言ってもいいだろう。
ただ、それでも、一般の人間に投与できるだけの精密さが、まだ不足していた。説得できるだけの研究結果が保証までにはいかないということだ。
そこで、
「ただでいい」
ということにして、サンプルを撮るためのもみたーを募集したが、最初は誰もなりたがる人はいなかった。
開発チームとしても、
「その人物は、組織の代表でなければいけない。もし何かあれば、組織も我々も同罪になって。身動きが取れなくなりますからね。組織の幹部であれば、了承済みということで、少しは違うでしょうからね」
と、話をした。
しかし、さすがに、このような危険なことに挑もうとする組織はなく、
「このプロジェクトは、先送りになってしまうな」
という話をしていた時、最近になって目立つ存在になってきた新興組織が名乗りを挙げてくれた。
「我々でよければ、協力しますよ」
と言ってくれたのだ。
彼らは、ここで魁になることで、自分たちの権威を高め、めきめきと頭角を現していこうという考えだったのだ。
もちろん、これは、最重要機密事項だった。
相手の組織も一部の人間しか知らない。モニターの家族も知らないことだった。
もし、何か急変すれば、開発チームの連中が医者となって、死亡診断書を書く。そして、それを認めてくれる病院などへの根回しもできていた。
だが、それはあくまでも最悪の場合であり、一歩間違えれば、開発が頓挫してしまうことになりかねない。絶対に成功させなければいけない、
「避けて通ることのできない道」
だったのだ。
しかも、この計画には、数年はかかる。もちろん、その間に新たな薬が開発されて、徐々にクレードアップされる可能性もあった。
もちろん、新たな薬は、新規というよりも、今の薬の投与から、こっちに切り替えたとしても、その効果は最初から飲んでいたのと変わらないようにしなければならない。そうでなければ、モニターの意味がないからだった。
実際にやってみると、思ったよりも、うまくいっていた。副反応もなければ、体調が悪くなるということもなく、すこぶる順調。それに自信をつけた開発チームは、他の組織にも並行して売り込むように手配していたのだ。
だが、これには内部からも反対意見があった。
「国家にも内緒にしていることを、何も焦って売り込まなくてもいいのではないか?」
という意見も少なからずあった。
それでも、開発が考えていたのは、相手が組織だということである。少なくとも下手なことになっても、表に出ることはなく、うまく処理をしてくれるという考えからであるが、少なくとも反政府組織と言ってもいいようなところが相手なので、一筋縄ではいかないだろう。
自分たちの保身のためには、クーデターでも起こしかねないやつらを、甘く見てはいけないのだろうが、とりあえず今はうまくいっているのが、幸いだと言ってもいいだろう。
それでも、不安は何とかなりそうで、開発も順調だった。今のところは、順風満帆というところであった。
そんな中で、開発チームの中でも密かに臨床実験が行われた。しかし、それは強制でもなければ、
「誰かやってみたい人がいれば」
という程度のものだったが、名乗りを挙げたのは、開発チームの中でも比較的自信家と言われている男だった。
彼はいつも、
「俺は研究に自分なりの自信を持っているから、自分が実験台になることくらい、何ともない」
と言っていた。
さすがに今までは実験台になるような機会もなかったが、あったとすればなっていただろうか? このあたりは難しいところで、まわりも目も、
「あいつならやりそうだ」
という人もいれば、
「さすがにあいつでもやらないだろう」
という意見に分かれていた。
賛否でいえば、ほとんどの人は、
「そんな危険なことを推奨するわけにはいかない。後遺症が残れな、社会的な問題だし、頭の後遺症ともなれば、研究を続けていくこともできなくなるだろうから、本来であれば、研究員自身が、臨床試験の治験者になるということは、普通ならありえないはずなんだけどな」
という話をするだろう。
松前は、今は三十歳にも満たない、若手の有望研究者であるが、学生時代に一度病気で死の境を彷徨ったことがあった。
医者からは、
「五分五分というところかも知れませんね。死力を尽くして頑張ってみます」
と言って、医者が手術をしてくれた。
普通の医者であれば、
「危険な手術にはあまりかかわりたくない」
と感じるのが当たり前のことだが、この時の医者は、やる気十分だった。
もちろん、松前本人も、覚悟をしていた。
しかし、手術を施してもらわなければ、日に日に悪くなっていった場合、
「手術もできないほど悪化してしまう可能性がある。手術をするならば今しかない」
という、主治医の見解と、自分の身体を考えて、松前は覚悟を決めたのだった。
その時、医者は、
「延命とまではいかないが、少しでも様子を見るだけの時間に余裕があれば、救える命も、もっとたくさんあると思うんだ」
と言っていた。
松前が命を取り留めたのは、二人の信念があってこそのことであろうが、医者のいうように、
「病気の進行を何とか抑えて、その間に、最善の道を模索できるだけの時間稼ぎができるような薬があれば、もっとたくさんの命が救えるだろうに」
という思いを持って、助けてもらった命を、
「今度は自分が医者を助ける番だ」
ということで、助けてもらった命を、今度は自分が医者を助けられるような立場になるという意思で、今の開発チームに入ったのだ。
松前としては、
「一度死んだ命だ」
というくらいの覚悟を持っていた。
そういう意味では他の研究員とは立場が違っていると思っている。他の人にどのような事情があるのか分からない。このような研究室に来るのだから、
「ただ、大学で薬学を研究したから」
というだけの理由で入ってくるような人はいないだろう。
ここの研究員になるには、幹部の面接の前に、かなり身元調査が行われるという。ここを希望した人の中には、その身元調査ではじかれたという人も少なくはなく、面接以前にせっかく書類審査は通っているにも関わらず、不合格になる人もいた。
「そういえば、ここは、書類審査までの結果はすぐに出たのに、面接までにかなりの時間がかかったな」
と松前は思っていた。
まさかその間に、身辺調査が行われ、密かにはじかれた人がいたということを松前だけではなく、ほとんどの研究員が感じていたことだろう。
特に松前が掛かった病気は、数ある病気の中でも、その正体がほとんど知られていない。ここ最近、出てきた新興の病気でもないのは分かっている。なぜなら、この病気には遺伝性が見えているからだ。
それを証明したのも、松前親子で、松前の母親も松前と同じ病気で死んでいたのだ。
母親の時は、松前よりももっと深刻で、情報が皆無であると同時に、医学も今ほど進歩しているわけではなかった。しかも、今回の松前の時のように、
「手術をできるタイミングは決まっていて、タイミングを逃すと、取り返しのつかないことになる」
というのは、母親の時から分かっていた。
つまり、
「この病気というのは、進行がものすごく早い」
というこだったのだ。
そんな病気なので、手術を行う医者も、
「手術をするなら、今しかないんだ」
と言っていた。
子供だったが、松前はその言葉をハッキリと覚えている。
「他の先生の反対を押し切って手術をしてくれるんだ」
と思ったのだが、結果としては、助けることができなかった。
しかし、手術を施してくれた先生の言う通り、
「そのまま放っておいても、死ぬだけだ」
ということに変わりはなかったようだ。
したがって、この病気は、癌などと同じで、
「不治の病」
と呼ばれていた。
しかし、時代は進んでいき、今では、
「タイミングを逃さず手術を行えば、決して助けられない病気ではない」
と言われるようになってきた。
それが、いわゆる、
「医学の発展」
によるもので、ある薬品が開発されたことで、治療法がある程度決まってきて、医者は、そのマニュアルに沿って治療すれば、助かる可能性はぐんと上がると言われるようになってきた。
その薬品を開発したのが、他ならぬ、この開発チームで、自分が助かったのも、ここのおかげであった。
だから、松前には、
「母親の無念さと、自分が助かったという感謝の気持ちとで、この研究所に骨を埋めるつもりだ」
という覚悟が持てたのだった。
このことはほとんど誰も知らない。所長には話をしていたが、研究員や所長のさらに上の人には話していない。
研究員に話をすると、急にその瞬間から、自分を見る目が変わってくるというのが嫌だった。
さらに、所長よりももっと上の人ともなると、話すらしたこともなく、一研究員には会話ができるような立場の人ではないということだ。
所長よりも上の人というと、彼らはもう科学者ではない。むしろ政治家に近いだろう。自治体や政府に対して話をする人たちであり、自分たちとは一線を画していると言ってもいいだろう。
そんな松前だからこそ、不老不死のクスリの治験者となった。
元々、一度は死んだ命だということもあるが、彼を救ったと言われる、この病気にとっては特効薬としての成果があった薬の成分が、この不老不死の治験薬にも十分に含まれているからだった。
松前は、他の研究員からは、
「彼は英雄だ」
という意見があったり、
「何をそんなに死に急いでいるんだ?」
という否定的な意見もあった。
他の研究員は、この薬の主成分である、不治の病の特効薬に疑念があったが、その効果というものをかつて身をもって証明したのが、治験者である松前であるということを皆知らないのだから無理もない。
研究者は、まだまだこの薬は発展途上であり、人体実験には、時期尚早だと考えていたのだった。
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