第6話 悪循環のスパイラル
結局、身体の関係になることはあっても、それ以上の深い仲になることはなかった。
今から思えば、
「それでよかったんだ」
と感じる。
このまま、ズルズルとSMの世界に入って、SMの世界にどっぷり浸かってしまうところまで行ってしまうと、後戻りできないか、行き着いたところで、危険が現実となって、相手をひどい目に遭わせてしまいかねないと思うとゾッとするのだった。
やはり、SMプレイというような行為は、自分にはできるものではない。どんどん深みにはまってしまうと、怖いくせに、後戻りができなくなり、気が付けば、吊り橋の途中まで行っていて、先に進むも、戻ることも恐ろしくてできなくなるだろう。
それでも思うことは、間違いない、
「来た道をも採りたい」
と感じることだ。
ここまで来ていても、元に戻ればリセットできる。しかし、一度先まで行ってしまうと、元に戻るには、同じ道を通らなければいけない。もう一度恐ろしい思いをすることを考えれば、前に戻るかしないという思いに至るのも仕方がないことだろう。
「前にも後ろにも行けない時は、戻ることしか考えていない」
と思うのだった。
ただ、それは、逆に、
「百里の道は九十九里を半ばとす」
という言葉で考えれば、元に戻ることはできそうだ。
きっと、端の上で困った時は、この言葉を思い出して、来た道を戻ろうとするだろう。
だが、、肝心なことを忘れている。
「途中から引き返した時点で、戻るのも言っているのと同じで、九十九里まで来て、まだなかばだと思うのではないか」
と思うのであった。
確かに、それを思うと、元に戻るのも同じ危険がある。その時点で、端が大きく揺れるのではないかと思うと、恐ろしくて、九十九里の地点にはとどまってはいけないということに気づくのだった。
そして考えるのは、
「なんで、最初に渡ろうと思ったのだろう? そんなことを思わなければ、苦しむことも、何もなかったのに」
と感じた。
そして思うこととして、
「こんなに行ったり来たりしていると、果たしてどちらが出発点だったのかということが分からなくなってしまうのではないだろうか?」
という思いであった。
つまりは、この吊り橋自体が、SMという世界であり、最初からできもしないのに、踏み出してしまったことに対して、後から後悔しても始まらないということではないのだろうか。
それを思うと、吊り橋の正体が何なのか、見えてくるような気がした。
しょせん、この場合の吊り橋というのは、自分の恐怖から来た妄想が作り出した、虚空の世界なのではないだろうか。
虚空の世界は夢の世界であり、覚えていない夢の内容を、こうやって、急に思い出すことがあるというのは、
「何かの辻褄合わせではないか?」
と感じるようになったのだ。
吊り橋というものの恐怖は、実際に渡ったことはないのに、恐怖として感じているのは、前世化何かの記憶が残っていて、遺伝しているのではないかと思えるのだった。
恐怖に至るには、何が問題なのかと考えると、
「自分で自分を、信頼もできないくせに、怖いことに挑戦しようという行為が、いかにも無謀であるということを分かっていないからではないだろうか?」
と感じるのだった。
「SMプレイ以外にも踏み込んではいけないものがある」
と思うのだが、きっといつも吊り橋が見えていることであろう。
大学時代には、そんなことを繰り返していて、恋愛に関しては、まったくうまくいかなかったという経験しかなかった。
「普通の恋愛をしようと思えばできたかも知れない」
とも感じたが、果たしてその思いは間違いのないものなのかということが自分でも分からなかった。
なぜそう思ったのかというと、
「普通の恋愛という言葉の、普通という意味がよく分からない」
という感情であった。
何しろそれまで、自分のことを、
「Sなんだ」
と思い込んできたからなのだが、それが、思い込みであり、ただ女性に慕われたいという気持ちが、SMにおける信頼関係のようなものを自分で気付けるというのが思い込みだったのだ。
信頼関係がどういうものなのか分からず、漠然と慕われたいという思いが募っていたことが、自分をSだと思い込ませた理由なのかも知れない。
そのうちに、就職活動をするようになり、結構自分なりに自信もあったのだが、目指していた一流企業は、すべてがダメで、少しランクを落としたくらいのところも、全滅だった。
受験であれば、滑り止めという言葉を使ってもいいくらいの会社に、かろうじて入社できたのだが、地元でも中級といわれるくらいの金融関係の会社だった。
地元のマンモス私立大学がほとんどのその会社。まさか国立を出た彰浩が入社してくるなどとは思っていなかっただろう。
上司もさぞかし扱いにくいと思っただろうが、その思いは外れてはいなかった。彰浩は会社に入ってから、まわりの人を自分でも気づかないうちに、偏見の目で見ていたのだ。
まわりの人は、それくらいのことは最初から分かっていた。分かっていて、
「できた人なら、偏見の目で見たりはしないよな」
と思っていたのだが、やはり偏見の目で見てきたので、彰浩に対してn視線は、かなり冷たいものだった。
しかも、相手は派閥だと考えれば、大派閥で、こちらは、少数派というよりも、ただの単独でしかないので、太刀打ちできるはずもない。
会社では干されてしまった。自分では、
「どうして干されなければいけないんだろう?」
と思っていたが、理由がないわけではないだろう。
それを、まわりからのただのやっかみだと思ってしまうと、もう、まわりを偏見以外で見ることはできなくなってしまう。
「俺は国立大学を出ているんだぞ。下々のお前たちとは違うんだ」
と思っていたが、それこそまさしくSのようではないか。
だが、自分はSではないということが分かっているので、いくらそう感じたとしても、しょせんは、
「負け犬の遠吠え」
でしかないだろう。
自分が Sではないと分かっているにも関わらず、Sとして振る舞わなければいけないと思ったことで、そこに大きな溝が生まれ、交わることがないいつもの平行線を描いてしまうのだった。
今回は、ある程度分かっていて、それに抗うことができない自分の苦しい立場を自分で分かっているところが難しいところだろう。
分かっているだけに、逆らうことができない辛さ、もう少し自分がSではないと感じた時に、教訓として学び取っておけば、このようなことはなかったのかも知れない。
上司から受ける仕打ちは、皆パワハラに思え、しかも見方は誰もいない。黙っているだけで、心の底では、
「ざまあみろ」
と言っているのだ。
そんな状態を、中学の頃の苛めのようだと思っていたのが誰であろう、その時に苛められていたというのは、彰浩だったのだ。
どうして苛められていたのか、自分では分かっているつもりだったが、その時の気持ちを忘れてしまっていた。いや、覚えているのは、苛められたことであって、どうして苛められていたのかということの根本を思い出せなかったのは。
「あの時と今とでは、大人と子供の違いもあるので、仕方のないことだ。それに自分はその時のことは克服しているのだ」
と感じているからだと思うのだった。
就職してから三年目くらいになって、仕事にも慣れてきた。最初の頃は、同僚も先輩も、皆蔑んだような目で見ていた。
「国立大学まで出ているくせに、オタオタしているのを見ていると、見苦しい」
とでも言いたげであった。
どこの大学を出ていようとも、分からないものは分からない。初めて携わる仕事というのはそういうものではないか。まわりの人は必要以上に学歴に過敏になっているのか、どうしても上から目線というのがぬぐえなかった。
目力によるパワハラに、さすがに疲れ果てていたが、それでも何とか耐えていると、馴染めるようになってきたのだ。
それでも、自分でも感覚がマヒするほどになっていて、何がきついのか分からないくらいになってしまっていた。それは、結構精神的にやられているということであるが、まわりから見てどのように写ったのだろう?
本人は、半分ラリっているかのように感じたのだが、ラリっていると言っても中毒状態ではなく、どちらかというと夢遊病のような感じであった。
中毒状態であれば、誰も近寄ることもないだろうが、夢遊病であれば、さすがにまわりも少し気になってしまうようだった。
「責任問題になったら大変だ」
ということで、上司が今度はおべんちゃらを使うようになっていて、完全に立場は逆転していた。
これが、もし、最初から分かってこのような行動をとっているのだとすれば、彰浩も相当なものであるが、そんなことはなかった。真剣に、自分が今何をしているのか分かっておらず、そのせいもあってか、会社の人間も、分け隔てなく応対するようになり、やっと、入社時の元気を取り戻した。
気が付けば、立場は逆転しているではないか。
入社同時のまわりの目線が怖かったことを思えば、何とも情けない人たちだ。
そう思うと、大学時代にSではないかと思った気持ちがよみがえってきた。
女性に関してはSではなかったが、自分に対してへりくだってくる相手に対して、Sになるというのは、今までになかったことだった。
今までにへりくだられたりしたことなどなかったのだから、当然のことであるが、元々は頭がよく、要領よくできる素質を持っているのだから、あっという間にまわりに追いついたわけだ。
「一歩間違えれば、会社を辞めなければいけない立場だっただろうに、よく持ちこたえたものだな。あと数日我慢していれば、入院なんてことになっていたかも知れないな」
とも思った。
どうせなら入院して、パワハラ上司を辞めさせるくらいの思いもあったのだが、へりくだるのだから、こっちとしても、やりやすい。下手に別の上司に入ってこられて、また同じことを繰り返したのなら、今度こそ、退職を余儀なくされる。
それどころか、退職だけではすまずに、
「社会人として再起不能になり、病院送りにでもなったら、目も当てられないよな」
と感じるのだった。
上司も同僚も、すっかり、彰浩の
「奴隷」
と化していた。
元々仕事はできるはずなので、一つを教えると。十をこなすのだから、先輩も舌を巻くとはこのことだ。
「何でなんだ?」
と思うだろうが、別に、
「能ある鷹は爪隠す」
ということわざのようなことはなかった。
精神状態が少し違っただけで、ここまで仕事をこなせるのだから、まさに上司としても、人は見かけによらないと感じたことだろう。
それとも、自分も入社の時に、先輩に苛められたのだろうか? それが新人の通らなければいけない道だとすれば、何ともこのコンプライアンスの厳しい時代で、まるで昭和のようなやり方は、情けないと言っても過言ではないだろう。
会社の仕事に慣れてくると、まわりも次第に見えるようになる。
「でも、もう三年も経っているんだな?」
まわりを見る余裕もなかったが、今見ていると、
「後輩いびりだけではなく、会社のシステムにしても、仕事のやり方にしても、実に旧態依然たる状態で、
「よくこれで会社が持ってきたな?」
と感じるほどだった。
会社からの苛めがなくなると、彰浩は次第に会社のやり方に対してモノ申すようになってきた。
その内容は決して間違っているものではない。最初こそ、自分の上司から、あまりいいようには言われてこなかったが、その上の部長から、
「何だ、彼の言っていることは正しいことを言っているわけだろう? しかも、それを今まで一度も試したこともない。それは、誰も思いつかなかったからだ。そんな無能な連中よりも、まだ三年目で、ここまでの発想が生まれ、それを実行しようという試みるやる気がある社員の目を積むとは、課長としてどうなんだろうね?」
と、部下を無能呼ばわりしておいて、言い方はそこまでひどいものではなかった。
怒っているのは間違いないが、その怒りを抑えて行っているのだから、それを察することができなければ、本当に課長失格であろう。従うしかなかった。
そして、半年ほどで、それなりの成果を挙げ、発案者の彰浩はもちろん、課長も部長から褒められ、昇給も結構あったという。
この期に及んでやっと課長も彰浩の実力を認めるようになった。
「君のおかげで、この会社は、一本筋の通った会社になった。部長も読悦びで、私は嬉しいよ」
と、手放しに喜んでいた。
その言葉に嘘はないようで、今までのような、苛めはまったくなくなっていた。
それどころか、事あるごとに彰浩に相談するようになり、すっかり信者のようになってしまった。
さすがに他の部下をそれを見て、ドン引きしているようだったが、彰浩はそれでよかった。
会社のためとはいえ、最終的には自分が気分よく仕事ができるようになればそれでいいからだった。
会社ではすっかり余裕ができたことで、それまで苛めがあったことで、最初から持つべきだった自信が、三年も待たされる結果になったことは少し不本意であったが、それでもよかった。一度苛めのような目に遭っていると、その後の余裕はかなりの確率で自分に沁みつくことになるだろう。それがよかったのだ。
会社のことはそれでいいとして、社会人になってから、小説もなかなか書ける気にもなれなかったし、彼女というのも、作れる余裕はなかった。
そういう意味での三年間というのは、実に長いもので、無為な時間だったのではないかと思えてならない。
会社でうまくいくようになると、精神的にかなり落ち着いてきた。見えてなかったものが見えるようになり、下手をすれば、
「虚空を見ているような感覚になった」
と思うほどに、身体が宙に浮いていて、
「こんなに、まわりには大人の女性がいたんだ」
と思って、街を歩いていても眩しいくらいだった。
だが、そんな眩しい女性たちに、今の彰浩は興味を持つことはなかった。
大人の女性に対して声を掛けるということは、今までの自分からは考えられないもので、「軽くあしらわれてしまうようだ」
と感じたのだ。
本人はそのつもりはなくとも、自分でシュミレーションしてみると、どうしても会社での苛めが思い出されて、女性から嘲笑を受けている感覚になってしまうと、どうしていいのか分からなくなり、気持ちも身体も硬直してしまいそうになるのを、想像してしまうのだった。
「SMの関係すら、自分で受け入れようとまで思っていたはずなのにな」
と感じたのは、自分が社会人になって、それまでとは視野が狭く感じられたからだろう。
社会人になって、それまで見えていなかったものが見えるようになると、勝手に自分の中で限界を設けてしまい、視野を広くしなければならないのに、うちに籠ってしまうのだった。
それも、会社の改革のように内部のことであればいいのだろうが、営業的なことで、外部に向けてのことは、さっぱりの気がしていた。一度部長から、
「君のその発想を、内販だけにではなく、営業として外部にも発信できるアイデアが出てくれば嬉しいんだけどな」
と言われていたが、
「はい、がんばってみますが、私の中では、内部には強いけど、外部に対しては少し難しいかも知れないんです。何かの発想をするとしても、たぶん経験してのことでないと難しいのではないかと思うからです」
と、彰浩はいったが、これを言って一瞬、
「しまった」
と感じた。
こんなことを言ってしまうと、
「君は次の人事異動で、営業に行ってもらおうかね?」
と言い出しかねないと思ったからだ。
だが、その様子はなかった。部長としても、いろいろ考えたのだろう。
「せっかく内部の助言には成果を出せるだけの社員なので、それを営業にまわして、もしそれで潰れてしまうようなことがあれば、会社にとっても大きな損失だ」
と考えたに違いない。
結局、営業に関しては、、営業で入ってきた人から、彰浩のような社員の出現を待つしかないということに落ち着いたのだろうと感じたのだ。
そのおかげで、仕事は苦労なく進んでいた。
彰浩が、そろそろ二十代後半に差し掛かってくると、まわりでは、結婚する人も増えてきた。
会社の同僚や、後輩にまで先を越されると、少し焦る気分にもなっていたが、実際に好きになれそうな女性がいないことで、
「いくら焦ってみても、どうしようもない」
と感じるに至ったのだ。
それは自分が、女性というのを、淡白な目で見るようになったからではないかと感じたからだった。
自分から見て、大人の女にみえる人は、どこか着飾ったり、メイクによって、
「化けて」
みたりという、そんなあざとさに、癖癖していたと言ってもいいかも知れない。
「そうだ、別に表にばかり目を向ける必要なんかないんだ」
と、感じさせられた。
それは、家に帰ってから家には年頃の女性がいるではないか。
最近特に大人っぽさを感じられるようになり、ついこの間まで、
「まだまだ子供だ」
と思っていた妹が、そのうちに、少女という雰囲気になり、そのうちに身体の発育に目がいくと、ドキッとしてしまう自分がいたのだ。
年齢としては、十四歳になっていた。
根霊的には思春期の頃であろう。しかも、
「女の子というのは、男性と違って、発育が早い」
と言われていることから、初潮と小学四年生くらいで迎える子もたくさんいるという。
それに、現行法での結婚できる年齢というのは、
「男子が十八歳、女子が十六歳から(少しして法改正あり)」
と言われているのは、発育がそれだけ早いからではないだろうか。
ただ、それに精神が備わっているかどうかというのは別問題で、初潮を迎えると、女性は子供を作ることができる身体になったということで、身体はその時から大人になったと言ってもいいだろう。
次第に、胸も膨らんでいき、身体のラインも滑らかになっていき。そのふくよかさは、男性を魅了するだけのフェロモンを醸し出していると言っても過言ではないだろう。
そう思うと、すでに十四歳になったいちかは、
「妹というよりも、成熟した一人の大人の女」
という目で見てしまう。
制服も実に眩しい。
「いちかほど、制服の似合う女子中学生はいない」
と思っていたが、それを、
「兄バカであってほぢい」
と何度思ったことか、決してそれだけではないことは、自分でも分かっていたのだ。
「お兄ちゃんは、彼女いないの?」
と、小学生の頃までにはなかった、あざとさが垣間見えるようになってきた。
「小悪魔」
というのは、この時のいちかのことではないかと、彰浩は感じていた。
「お兄ちゃんをからかうものではない」
と、まるで眩しいものを見てしまった時のように、反射的に目をそらそうとした彰浩に対して、いちかはいかにも、
「私には分かっているよ」
と言わんばかりに、妖艶な笑みを浮かべてくるので、思わず身体が反応してしまうのを禁じえなかった。
だが、いちかは男性の本性を知らない。
特に彰浩という男が、どれほど誘惑に弱いかということをまったく知らないと言っても過言ではない。
そもそも、その頃はまだ、男性というものを実際に意識したことはなかった。もちろん、思春期に突入しているわけだから、男性というものがどういうものか、本能で分かっているが、それが個々の人間ともなると、想像もつかなくなっているのだった。
その理由には、二人の間の年が離れすぎているからだった。二、三歳の差であれば、本当に兄妹という意識があって、男性として見ることはないだろう。しかし、十二歳も離れていると、もはやおじさんと言ってもいいくらいではないか。
まわりで、自分の担任に憧れている友達お結構いたが、いちかはそんなことはなかった。
「あれくらいの年の男性は、家に帰ればいるんだからね」
と言いたかったのだろう。
もちろん、彰浩のことである。
それでも、最近までは会社での苛めからか精神的に余裕もなく、妹から見ていても、痛々しい姿しか見えていなかったので、下手に距離を詰めるようなことはしなかった。
下手に触ってやけどでもすれば、もう二度と本能的に近づくことはないだろう。
それは、いくら兄が立ち直ったとしてものことであった。
「お兄ちゃんは、どうしてしまったのだろう?」
という思いで、いちかが見ているのを感じた。
本当は心配してくれているというのが分かっているので、余計に気を遣ってしまい、しかもそれで妹は、
「お兄ちゃんのことよりも、そんな人がそばにいることで精神的にきつくなっている自分が嫌なのよ」
と感じるようになり、お互いに悪循環のスパイラルを形成しているようだった。
そんな状態だったのだが、やっと兄が余裕のない生活から解放され、それまでとは見違えるように顔色がよくなったのを見て、心底、
「よかった」
と思った。
その時にはすでに、自分のことだけではなく、兄に対しての気持ちの表れであるという、「大人の余裕」
を感じさせるようになったのだった。
いちかは、心も身体も、完全に大人になっているようだった。
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