第四章

 僕、布引 昇(ぬのびき のぼる)は優雅に微笑んだ。

 旧校舎の周りに集まった人達の視線が、僕に集中する。人々の注目を一身に集めるのは、中々に気持ちがいいものだ。

 ……特に、生まれた時から日が当たりづらい事が決まっているなら、なおさらこういう事には飢えるものだね。

 つなぎを着た職人たちを眺め、大男の近くにいる雨晦明学園の生徒たち三人を一瞥する。彼らは一様に、僕の登場に驚き、慌てているように見えた。特に、大藤さんの狼狽の仕方は激しかった。純真無垢。あまりにも反応が素直すぎて、そこに可愛さすら感じる。

 ……でも、やっぱりお前だけは、いつも通りか。

 この場でただ一人、顔色を少しも変えることなく、黒珊瑚の様な瞳で僕を見据える帝一へ、一瞬強い視線を浴びせかけた。

 僕の敵意には気づいているはずなのに、その秀麗な目も眉も、僅かばかりも動かさない。

 まるで僕の存在などどうでもいいと言わんばかりのその態度に、内から湧き上がってくる苛立ちを隠そうと、更に笑みを濃くして彼らに近づき始めた。その後ろを、何名かの生徒が付いてくる。

「さっきも言った通り、旧校舎の解体工事は続行する。それに変更はないよ」

「どうして、布引先輩がここに? いえ、何で布引先輩がそんな事決める権利があるんですか?」

「良い質問だね、大藤さん。その二つの質問には、一つの回答で答えよう。僕が、今回旧校舎の解体工事を行う、責任者だからさ」

「そんな……」

 大藤さんは、まるで幽霊に出会ったとでも言わんばかりの表情を浮かべる。

 ……まぁ、旧校舎に出る幽霊なんて、本当にいないんだけどね。

 そう思っている僕に向かって、ふむ、と帝一は静かに言った。

「昇は、布引家の次男だったか」

 その言葉に、帝一の隣に控えていた女子生徒、帝一の従者でもある、古戦さんが同意する。

「その通りでございます、帝一様。不知火家の分家、布引家は、建築業を主に生業とされておられます」

「……へぇ。不知火家の本家中の本家、あの不知火帝一にまで名前を覚えてもらえているなんて、光栄だね」

 思いっきり皮肉を込めてそう返すが、帝一は、ふむ、と小さく頷いただけだった。全く手応えのない彼の反応に、思わず舌打ちをしてしまう。

 そんな僕に向かって、熊のような大男が話しかけてきた。

「でも、昇さん。待ってくださいよ。オレたち、この現場がそんないわくつきの所だなんて、聞いてませんよ」

「言う必要もないだろう? この現場は、元々いわくなんてなにもないんだから」

「でも、幽霊を見たって!」

「そうですよ、ここの現場はヤバいですって!」

「せめて、お祓いだけでもしてから工事を進めましょうよ、昇さん!」

 騒ぎ始めた職人たちを黙らせるように、僕は大きく手を叩いた。そして、この場を誰が仕切っているのかわからせるために、大きく手を広げながら、言葉を作っていく。

「さっきも言っただろ? 幽霊なんて、いない。ただの、見間違いだ」

 一語一語区切るように言ったその言葉に、職人たちが黙り込む。その様子を、帝一はただ黙って、じっと僕の方を見つめて聞いていた。

 ……これでわかっただろ? 帝一。お前はここで、お役御免だ。そしてこれから不知火家で落ちこぼれ扱いされているお前を、再起不能なまでに貶めてやる!

 暗い笑みを隠すように、僕は朗らかに微笑んだ。

「でも、皆の不安もわかる。だから工事中、不審なことが起こっていないかチェックするために、生徒会に記録を撮ってもらうように頼んでいるんだ」

 そう言うと、僕の後ろに控えていた生徒たちが、刈り上げた髪に日焼けをした男子生徒が、眼鏡をかけた三編みの女子生徒が、金髪のツインテールを揺らす女子生徒が、ドラム缶のような体型の背の低い男子生徒が、ビデオカメラやスマホを持って、散り散りに旧校舎の方へ駆け出して行った。

 その様子を、ある者は不思議そうに、ある者は奇異の視線で、大藤さんは困惑げに、古戦さんは目を見開いて、そして帝一は少しだけ目を細めて、生徒会のメンバーが走っていくのを見送っている。

 僕はそれを見て、満足そうに頷くと、皆に響き渡るように、声を張り上げた。

「さぁ! これで何があっても、すぐに原因の特定が出来るぞ! 僕らは、プロとして僕らの仕事をやろうじゃないかっ!」

 追い立てるように大柄の男の背中を叩くと、彼は渋々と行った様子で足を動かし始めた。一度誰かが動き始めれば、後は芋づる式で、他の職人たちも重い足を引きずるように動かして、作業へと戻っていく。

 僕も現場の責任者として、その人の渦に飲まれるように歩みを進めていると、背中から声がかけられた。

「布引先輩っ!」

 悲痛なその叫び声に、一瞬だけ、僕は足を止める。その僕の背中に、大藤さんは疑問を投げつけてきた。

「旧校舎を壊す立場の先輩が、どうして私を手助けするような事を言ってくれたんですか?」

 その問いに僕は答えることなく、歩みを再開した。帝一たちを振り返ることなく、僕は歩き続けていく。その僕の足音を、動き始めた職人たちの喧騒と、建築機械たちの駆動音がかき消していった。

 歩みを進める僕の脇を、ある職人が防音シートと防災シートを両手に持ち、ある職人は鉄パイプと鉄筋、それに結束線を肩に担いで、旧校舎に向かって歩いていく。職人が動き回るための足場と、騒音被害や粉塵の飛沫被害の防止等のための養生を設置するのだ。

 ……それが終わったら、まずは校舎内の残留物の撤去からですね。

 机や椅子は既に運び出されているが、黒板等は、まだ残っている。他にも蛍光灯には水銀が利用されていたり、蛍光灯の安定器にはポリ塩化ビフェニエル化合物が含有していたりする。破損すると周囲に飛散し、人体に影響を及ぼす恐れがあるため、取り外しは人の手で慎重に行う必要があるのだ。

 ……今日で、解体までの大筋の目処はつけておきたいのですが。

 工事の段取りを考え始めた、直後――

 

「うわぁぁぁあああっ!」

 

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