⑤
明日、死ぬかもしれないと思って生きなさい。
それが、おばあちゃんの口癖だった。
「明日、今会った人と、二度と会えなくなってしまうかもしれない。今日、ベッドの中で眠りについたら、もう自分は目を覚まさないかもしれない。そう考えたら、自分の振る舞い方も変わってくる。その人に、どうやって接しようとか、自分自身に、どう向き合おうかとかが、ね」
「でも、おばあちゃん。おばあちゃんのおうち、ベッドじゃなくて、お布団だよ?」
「あんまり細かいこと、気にするんじゃないよ、ほむら」
そう言っておばあちゃんは、公園のベンチに座る私の頭を優しくなでた。
おばあちゃんの言っていることは、当時小学三年生だった私には、ほとんど理解できなかった。ただ、ずっと眠ったままになってしまったらどうしよう、と、少しだけ怖くなった。
それもわかっていると言うように、おばあちゃんは少し笑って、もう一度私の頭を撫でる。
「何、変に怖がる必要はないよ。ただ、ちゃんと向き合いなさい、って言っているだけさ。自分自身にも、自分以外にもね」
「おばあちゃんは、お仕事でも、そうしてるの?」
「ああ、そうさ。馬鹿な子も、頭のいい子も、普通の子も、運動が苦手な子も、得意な子も、私の教え子には全力で向き合ってるよ。必要があれば全力でぶつかるし、見守る時は全力で距離を取るさ」
その言葉に、私は不思議そうに首をかしげた。
「手助け、してあげないの?」
「手を貸さなくても、人を助ける方法だってあるんだよ、ほむら。さぁ、休憩はもういいだろう。逆上がりの練習に戻ろうか」
そう促されて、私はおばあちゃんと一緒に、鉄棒の前まで移動する。
にぎり棒を逆手に握って、私は勢いをつけて地面を蹴った。私の足は、時計の二時辺りまで上がった所で失速。そのまま重力に引きずられて、地面へと戻ってくる。足裏が強かに地面にぶつかり、僅かに砂が舞う。
同じような失敗を二回、三回と繰り返す私を、おばあちゃんはただ腕を組んで見守っていた。
「おばあちゃん、一回、回るの手伝ってよ」
「言ったろ? 手を貸さない助け方もあるのさ。私が手を貸さなくても、ちゃんと逆上がり出来るようになるよ、ほむら」
……そう言われても、出来ないものは、出来ないもんっ!
頬を膨らませ、おばあちゃんを睨む。でもおばあちゃんはそんな私を見て、笑みを濃くするだけだった。
私は今度は口を尖らせて、おばあちゃんに抗議する。
「だったら、おばあちゃんが手を貸さなくてその人が死んじゃったら、おばあちゃんは手を貸さなかったこと、後悔しないの?」
「馬鹿だね、ほむら。するに決まってるだろ」
そう言ったおばあちゃんの口調は、まるで太陽は東から昇って西に沈む道理を説くような、当たり前の事をわざわざ言わせるなというニュアンスが含まれていた。
その事に、私はとても驚いた。
「え! おばあちゃん、後悔するってわかってるのに、手を貸さないの?」
「手を貸さない方がいい、って自分で思ってるのに手を貸したら、それも後悔するだろうに」
そう言った後、おばあちゃんはこちらに近づいてきた。そしてにぎり棒を逆手に握ると、くるっと綺麗な逆上がりを決める。
「重要なのは、納得だよ、ほむら。明日、死ぬかもしれないと思って選んだ選択なら、後悔するだろうが、納得せざるを得ないだろう? そういう覚悟で選んだのなら、自分の中に、それ以上の選択なんてないのさ」
「でも、明日死んじゃうかもしれないんだよ?」
「私も、ほむらもね」
よっ、と言って、おばあちゃんはにぎり棒に腰を下ろす。更に背中から倒れるように体を傾けると、綺麗な円を描いて、一回転した。
「ほむら。あんたがもし明日死ぬんなら、私は私が出来るだけの全てをあんたにしてやりたいと思ってるよ。逆に明日、私が死ぬんだとしても、私はあんたにしてやれることの全てをしてやるさ」
「その上で、おばあちゃんは私に手を貸さないって選んだの?」
「そうさ」
「……なら、仕方がないね」
そう言うと、私はまた鉄棒との格闘を開始した。そんな私を見て、おばあちゃんは満足げに頷いている。
「あんたもだいぶ、私の授業のやり方がわかってきたみたいだね」
「……公園なのに、授業?」
「私が教えたいと思ったのなら、どこでだって授業は出来るよ。業(わざ)を授けるって書くぐらいだからね」
「だったら、もう少しちゃんと逆上がり、教えて欲しいんだけど」
「何度も言ってるだろ? ギュッと握って、ダッと蹴って、シュパって回るんだよ」
「……全然わからないよ、おばあちゃん」
「いいから、ほら、やってごらん。ちゃんと見ててあげるから」
そう言われ、私はまた、勢いよく地面を蹴った。
それから三回失敗して、四回目のチャレンジで、私は逆上がりが出来るようになった。
明日、死ぬかもしれないと思って生きなさい。
それを言ったおばあちゃんが、本当にいなくなってしまうかもしれない。
私も、明日死んでしまうかもしれない。
それなのに、何もしないなんて、私にはやっぱり出来ない。納得できない。
……もっと、おばあちゃんと話したいよ。
おばあちゃんは、学校ではどんな風に全力で生徒たちにぶつかっていたんだろう? どんな事を考えながら、隠した手帳に思い出を綴ったのだろう?
それを読めば、おばあちゃんが居なくても、おばあちゃんの事を、もっと理解できるかもしれない。
……でも、私はそれを、おばあちゃんの口から聞きたいよ。
その願いは、ひょっとしたら叶わないかもしれない。入院しているおばあちゃんが、もう目を覚まさないかもしれない。
……でも、それなら余計に、私にはおばあちゃんの手帳が必要なのよ。
桜と一緒に、私は旧校舎を探し回った。地上階は、もう探してないところはないと断言できる。
しかし、未だ手帳は見つかっていない。
ならば地下教室を探るしかないと、準備を始めていた所で、ついに時間切れになってしまった。
明日、旧校舎の解体工事が始まるのだ。
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