不知火帝一は妥協する
メグリくくる
序章
その時、僕は悩んでいた。
「流石、不知火家のご当主、不知火 乾一(しらぬい けんいち)様のお孫様!」
「これで不知火家は当分、安泰ですな!」
「不知火 徳丸(しらぬい とくまる)様も優秀なお子様を持たれて、さぞや鼻が高いでしょう」
「然り! 神童とは、まさに彼のための言葉なのでしょうな」
周りの大人たちが、口々に僕を称賛する。おじい様と、おとう様のお知り合いの方々だ。彼らは申し合わせたように口を三日月型にして、でもその口からは我先にと、賛辞の言葉を紡いでいく。
「あ、ありがとう、ございます」
そう言って僕は、その場を後にした。家の中を歩きながら、僕は自分の両手で頬を触る。
……上手く、笑えていたかな?
そう思うのと同時に、僕の顔はうつむいていく。僕の生まれた家は、少々、いや、かなり特殊だ。
不知火家。
日本だけでなく、世界有数の巨大財閥の一つで、政界だけでなく、経済界にも顔が利く。不知火家は、本家だけでなく、分家も多数抱える巨大なグループだ。
そう思うと、自然と自分で動かす足が速くなる。自分を褒め称えていた大人たちから、少しでも距離をとるために。
だって――
「あっ!」
「おっと」
俯いて歩いていたからか、通路の角からやってきた人影に気付かず、ぶつかりそうになる。彼はひらりと僕を交わすと、倒れそうになっていた僕の肩を支えてくれた。
「悪いな、ボウズ。ケガはねぇか?」
「は、はい。大丈夫です。僕の方こそ、考え事をしていて……」
「ん? ひょっとしてお前、乾一の孫か?」
その言葉で、僕ははっとして顔を上げる。彼は随分と、おじい様の名前を気安く口にした。ならば彼は、おじい様と親しい間柄なのだろう。そうでなければ、おじい様を呼び捨てに出来るわけがない。
果たして視線を上げると、そこには厳つい、年相応の皺が刻まれた、河童の様な顔があった。
「……お、おじい様の、お、お知り合いですか?」
「おいおい、そんなにビビるなよ。まぁ、自分でも可愛い面をしているとは思わんが、ちったぁ傷つくってもんだぜ」
そう言って、浮浪者の様な見た目をした彼は、全く傷ついている様子もなく、豪快に笑った。
「いやぁ、そうかそうか。あの乾一に、こんな可愛い孫がいたとはなぁ。ああ、紹介が遅れたな。俺は佐野 豊房(さの とよふさ)。乾一とは、まぁ、縁があってつるんでる。縁と言っても、腐ってる方だ。今日もその辺りの用事で、たまたま寄ったのよ」
「は、はぁ……」
「それで? 噂の神童様は、何を考え込んでいたんだ?」
「噂?」
「乾一の孫、特に徳丸の長男はモノが違うって、もっぱらの評判だぜ? お前さんが、そうなんじゃねぇのか?」
その通りだ。だからこそ、僕は悩んでいるのだ。
そこで改めて、僕は佐野さんの顔を見つめる。この、なんというか、普段出会うことがないような彼になら、自分の周りにいない風変わりな彼なら、自分の悩みを打ち明けてもいいのでは? と、そう思えた。
「あ、あの、ぼ、僕の話を、聞いてもらえますか?」
「もちろん。そもそも、こっちから聞いたんだしな」
そう言って笑う彼の顔は、妖怪のそれ以外には見えない。けれどもその中に微かに優しさを感じて、僕は安心する。
廊下で立ち話も何だろうという事で、僕たちは庭へ移動した。椿と水仙の綺麗な花が、目に優しい。
その花の前で、僕は佐野さんへ問いかけた。
「佐野さんは、不知火家の教育方針を、ご存じですか?」
「どの分野でも超一流たれ、だろ? そのため本家分家関係なく、子供に対しては帝王学を始め、徹底した英才教育を叩き込まれる。お前たち不知火家の子供は、常に超一流を求められる」
随分息苦しい子供時代だな、という佐野さんに、僕は苦笑いを返すしかない。
「息苦しいかはさておき、その中で特に優秀な子供が、次期当主として、不知火家を継ぐ事になっています」
そしてそれは不知火家の中の派閥争いにもつながり、誰を次期当主に推すのかで、自分の家の運命が変わってくる。
特に、現不知火家の当主であるおじい様の孫の、僕にかかる期待は大きい。
そこまで聞いて、佐野さんは納得したように、小さく頷いた。
「なるほどな。つまりお前は、それが重荷になって悩んでる、ってわけだ。常に結果を、それも最高のものを求められ続ける。それも周りの大人どもの思惑込みだもんなぁ。確かに、そりゃあ悩みも――」
「いえ、そうではないんです。むしろ、逆なんです」
「ん? 逆?」
「はい。その、あまりにも周りの人が、簡単に僕の成果に納得してくれるので。ひょっとしたら、おじい様や、おとう様の顔色を気にして、僕に甘くしてるんじゃないか、って思えて。今日だって、ある会社の純利益をたった二十パーセント上昇させただけで皆大騒ぎして……。でも、元々あの会社の経営は落ち込んでいたから、改善すべき所を改善すれば、あれぐらいの成果は誰だって出せるんです。いや、本当なら、もっと大きな成果が出せたはずなんだ! だって僕はおじい様の孫で、おとう様の息子なんだからっ!」
そう、それが、僕の悩みだ。
僕は、どんな分野でも、どんなことでも、自分の成果に、納得できない。
周りの人に神童と呼ばれようとも、満足できないのだ。
「佐野さんは、どう思いますか? おじい様の事を呼び捨てに出来る貴方なら、率直な意見を――」
「お前はまるで、椿に憧れる仙水だな」
「……え?」
「すべて最高の結果を求める完璧主義。だがその実態は、自分がもっと出来ると自惚れている、ナルシストって事だ」
佐野さんは、僕を嘲るように笑った。
「神童と煽てられて、驕ったか? 自分はもっと出来る、自分はこんなもんじゃない。お前は、そう思っている。そりゃ、永遠に自分の出す結果に満足出来んだろうさ。だからお前の悩みを解決するには、お前さんは、満足する事を覚えにゃならん。そうしなきゃ、お前は一生自惚れて苦しみ、不幸になる」
「でも、それは妥協じゃないですか!」
思わず僕は、佐野さんにそう食って掛かる。
満足するというのは、これでいいと納得する事だ。でもそれは、より最高の結果を求める、不知火家の子供としての生き方を、僕の今までの一生を、否定する事につながる。
「僕は、ずっと最高の結果を追い求めてきたんです。超一流を、いや、更にその上を目指して、だから――」
「だから、息苦しくなって、悩んでんだろうよ、お前さんは」
そう言われて、僕ははっとする。対して佐野さんは、快活に笑った。
「妥協、譲歩、大いに結構! それで幸せに生きられるんなら、譲れるもんは、譲っちまえばいいのよ。でも、どうしてもボウズが今の生き方を貫きたいってんなら、それは止めねぇよ。それもお前が決める生き方だ。好きにしな」
じゃあな、と言って、面妖な男は立ち去っていった。風が吹いて、椿と仙水が揺れる。この時僕は、小学六年生だった。
これが、僕の生き方を、人生の歩み方を決めた出会い。息苦しい生き方ではなく、満足できる幸せを求めることになった、きっかけだ。
二流上等、一流重畳。
これは超一流となる事を諦めた俺、不知火 帝一(しらぬい ていいち)が妥協に妥協を重ねる物語である。
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