雨納芦異聞録
波と海を見たな
懲戒処分
やあ。
君も僕の話を聴きに来てくれたのかい。
嬉しいね。
退屈だったんだ。
だってみんなすぐにかえってしまうからね。
ああ、君は長く居てくれてもいいんだよ。
話したいことは山ほどあるからさ。
遠慮しないで、ほら。
急いでる?時間がない?
せっかちだなあ。何でここに来る人たちはみんなそうなんだろう。
わかったわかった。なら早速始めようか。
君は雨納芦市役所は知ってる?そりゃそうか。この街に住んでたら誰しも一度は何かの手続きでお世話になってるよね。
彼らは地方公務員だから、民間企業と比べて強い身分保証があるんだ。経営が苦しいからって上司の意思でリストラをされなかったりね。
不公平だと思うかい?でも公務員の立場が不安定だと、相対的にサービスの提供を受ける市民の立場も不安定になっちゃうから仕方ないよね。
だから役所の職員は人材の流動化も少なくて、社会不適合者やグレーゾーンの職員が溜まっていくのが常なんだ。
採用されるには一次試験で一般教養、二次試験では面接と小論文が課せられて、突破するのはそれなりに狭き門だ。公務員予備校なんてものがあるくらいだからね。だから、入職した時点ではみんな優秀かもしれない。
給料は決して夢のある額ではないけれど、不況だろうとボーナスはきちんと貰えるし、入ってからは過酷な出世競争ともほとんど無縁。それでいて真面目に働いてもそうでなくとも給料は等しく年功序列で上がっていく。そうなると不真面目になる職員が出てくるのも納得だ。
そうは言っても、公務員にだって懲戒処分はある。公務員の地位を貶めたり、市民の安全を妨げたりした者を守るのは本末転倒だからね。
国家公務員法や雨納芦市条例できちんと定めがあってね。軽い方から訓告、減給、停職、免職、溶解の五つさ。
ああ、わかるよ。最後のが気になるんだろ?
まあ慌てないでよ。順を追って説明するからさ。君にもそれくらいの時間はあるだろう?
訓告は…まあ厳重注意みたいなものだね。
固いことを言えば、規律違反の責任を確認し、将来を戒めるってところかな。
例えば40Km超のスピード違反とか、軽いパワハラをしたりとかね。実際は一回やったくらいじゃ厳重注意で終わることが多いんだけど、その程度でのことでも訓告になる可能性があるってこと。
おっと。今のは失言だった。公務員は「全体の奉仕者」として、民間の労働者以上に職務に精励しないといけないんだった。その程度なんて言ったら公務員さんに怒られちゃうね。失敬失敬。
さて。次は減給か。こんな調子だけどちゃんと最後まで話すから安心してよ。
おっと焦らない焦らない。物事には順序ってものがある。最初から話のオチを読んでしまったらつまらないだろう?焦る君の気持ちはわかるけど、今はまだ我慢だ。
減給は一年以下の期間、給料月額の1/5以下相当額を減給するものだ。
具体的には勤務時間中にスマホやパソコンを私的利用したり、酒によって運転して物損事故を起こしたりとかかな。情報に取り憑かれた今の社会では、スマホやパソコンは開けばついクセで関係ない情報を見てしまいがちだから、うっかり減給されちゃう職員もいそうだよね。
あれ、どうしたのさっきから。落ち着かないね。上ばかり気にしてるけど何かあった?
ならいいんだけど。古い建物だから天井に染みがついてるのは仕方ないよ。
よし、時間もなさそうだからどんどんいこうか。
停職は一年以下の期間、職務に従事させず、給与も支給しないというものだ。この辺りからかなり厳しい処分になってくるね。
例としては虚偽の申告で不正に特別休暇を取得したとか、上司からの適切な事務処理の指示を無視してやったように虚偽の報告書を作成したとかね。
ズル休みはもってのほかだけど、公務員は法律で上司の職務上の命令に従わないといけないって定められてる。それを破ることは法律違反だから、そりゃあ重い処分になるのも当然だね。
どれだけ嫌いな上司でも、仕事で命令をされたら納得していなくても従わなきゃいけないってのは大変だね。勿論、仕事と関係のない命令や、明らかに適性を欠く命令なら応じる必要はないけどね。
さあ。どんどんいくよ。お次は免職だ。ようやく終わりが見えてきたね。
ん?よく見たら君、汗が凄いね。顔もそんなに歪んでたかな。
ああ、そうかそうか。ごめんね、この部屋に冷房はついてないんだ。窓もないしね。僕はすごく寒がりだからその方が落ち着くんだけど、君には暑すぎるかな。
あはは。話を聴きながらホットヨガをするのは斬新だ。捻りすぎて怪我しないようにね。
免職は公務員関係からの排除で、いわゆる首切りだね。ただ、身分保証のある公務員の首を切るんだから、その理由は相当なものでないといけないよ。
それは無断欠勤の連続であったり、飲酒運転で事故を起こして、しかもそれを隠蔽したりとか、特に悪質な場合だね。
ここまでくると、免職されて然るべきって感じだよね。現実には免職までいく職員は中々いないけど、何回言っても聞かない市民に悪影響を及ぼすような職員はさようならってことだ。
でも、考えようによっては別にいいよね。辞めさせられただけでまだ次があるんだから。
さて。いよいよお待ちかねの溶解だ。あは、待ちきれないって感じだね。待ちすぎて来た時より随分痩せてみえるよ。
それはそうと、さっきからそんなに体を捻って大丈夫かい?体全体が雑巾を絞ったみたいになってるけど。そうか。そうだよね。でも仕方ないよ。
溶解はさ、言うなれば免人…人間からの排除ってことになるね。
理由は簡単さ。触れてしまったから。カサイサマにね。
おや、今少し揺れたかな?それとも君の痙攣のせい?
ともかく続けようか。神琉の森のすぐ側にあるお寺を知ってるかな。そう、軽寺。よく知ってるね。
あそこで許可証を貰った人でないと入れないんだ。神琉の森にはね。何でって、あそこは溜まり場だから。小さい頃に学校で習わなかった?
溶解処分になった職員はさ、森に連れて行かれて…。どうなるんだろうね。
いやいや、仕方ないよ。何せ誰も入れないんだから。帰ってもこないし。許可業者にだって守秘義務があるしね。まあ、少なくとも人間ではなくなるんだろうさ。
でも、怖いもの見たさなのか調子に乗っちゃうのか、毎年立ち入るものが後を経たない。ダメだよね。勇気と無謀を履き違えて。
ふぅ。なんだか随分蒸してきたね。ふたり並んで狭い密室で話してるから仕方ないんだけどさ。
僕は心地よいんだけど、君には辛いかもね。もう君の流す液体で泳げそうだよ。
そうそう、この間なんで収集運搬許可業者が立ち入ってえらいことになったみたいだよ。担当部署の心中をお察しするね。
え?許可業者だからいいだろって?
それがそうでもない。奥に祠があってね。それには触れちゃいけないんだ。
そこには頭の欠けたお地蔵様が祀られていてね。いや、欠けたんじゃないか。なんて言ったらいいかな。崩れた…。違うな。溶けた。いや、爆発した。
ん?触ったら?
どうなると思う?
さあ。触れて帰ってきた人はいないからね。
話が違うじゃないかって?ははっ。そんなことないよ。
ほら、自分の体を見てごらん。それだけあちこち捻じ曲がっても意識はあるし話せるのが凄いよね。
うん、そうだよ。カサイサマからは絶対に逃げられない。どうしたらいいってそんなの。
触る方が悪いよね。
あれだけ言われたのにさ。
あれ、急に体を捩ってどうしたの。あついあついって。さっきから上にはなにもないよ。それはただの染みだって。ちょっとちょっと。こっちに来られても僕にはどうしようも…。
ぼんっ。
うおっ。いきなり煙が…。凄いな、部屋の中で雨が降ってるみたいだ。おぉぃ。そっちは大丈夫かい?なんだって?雨音が激しくてよくわからないな。
…ああ、やっと見えた。凄かったね。もう部屋中がどろどろだ。
おや。その君の姿…。頭がそっくりだ。見えてるのかな。聴こえてるかな。そっか。流石にもう。
君もかえるんだね。
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