ルイ・トレヴァー(本物)の帰還
大陸暦一九〇一年、冬。
木枯らしが吹くバルティカ王国の国境沿いの小さな町に到着した乗合馬車の中から、長く伸びた癖のある黒髪を無造作に後ろで束ね、無精ひげだらけの男がのっそりと降り立った。
リーズ半島戦争の終結からすでに五年。
戦争に参加してからだと実に八年もの歳月が過ぎている。
――さすがに死んだことにされてるかなぁ。
ルイはぽりぽりと頭をかきながら、町の目抜き通りを歩いていく。小さな町だが、ロレンシア帝国から送り返される捕虜たちを最初に迎え入れる町でもあるからか、それなりに活気があった。
それでも荒んだ雰囲気が漂うのは、やはり帰還兵が多いからだろうか。
とりあえず宿を取らなければ。
その前に、手持ちのロレンシア帝国の金をバルティカ王国の金に換えなければ。
「ねえおじさん、新聞はどう? 今朝の新聞だよ」
そんなことを思いながら歩いていたら、新聞を持った少年が近づいてきた。
「悪いな、坊主。この国の金を持ってない」
「ロレンシア帝国のお金でもいいよ。五十リーブル」
「意外に高いな」
「しかたないよ。レートが違うもの」
いっぱしの口をきく少年に小銭を握らせ、新聞を受け取る。
一面にざっと視線を走らせ、この国の国王が代替わりしていることを知る。現在の国王の名前はアレン。
その名前には覚えがあった。
覚えがあるなんてものではない。自分を最前線に送り込み、退路を爆破して大勢のバルティカ兵をリーズ半島に残したまま逃げおおせた、東方軍のトップだった人間だ。
――へえ、大出世じゃないか、司令官殿。
ルイは冷めた目でアレンに関する記事に目を通した。
ロレンシア帝国軍は、リーズ半島に残されたバルティカ兵士たちに投降を呼びかけた。従わなかった者がどれほどいるかはわからないが、彼らは限られた武器でゲリラ戦を続け、消耗し、死んでいったようだ。
ルイの部隊は自分たちを見捨てたアレン、そしてバルティカ王国のために戦うのはばかばかしいと早々に投降し、収容所送りになった。
そこで強制労働に従事させられた。敵国兵士なんだから命があるだけでもありがたい状態だと思って我慢した。
そして戦争が終わり、講和条約が結ばれたのだろう。収容所のバルティカ人兵士は順番に送還されていった。その順番はなかなか巡ってこず、ルイの番が来た時にはすでに戦争終結から五年が過ぎていた……というわけである。
その間ルイは、収容所がある地域の農家で農業の手伝いをしていた。戦争で人手不足になっているのは、ロレンシアも同じこと。よく敵を雇う気になったな、と言ったら、「あんたは敵じゃないだろう」という答えが返ってきた。
農業は初めてだったが、やってみると思いのほか楽しかった。
自分はこういう仕事が向いているのかもしれない。
もちろん楽しいことばかりではなかったが、気のいい仲間にも巡り合えたし、優しい娘にも出会えた。このままロレンシア帝国に残ってもいいかな、と思い始めた矢先に、送還の順番がまわってきた。
「一度、家に帰ったほうがいい。故郷に待っている人がいるんだろ?」
どうしようか思案していたルイに、雇い主が告げる。
「そこで考えて、またロレンシアに戻りたいと思えばこっちに戻ってくればいいさ。俺たちはどこへもいかないから」
雇い主はそう言うが、その横にいる娘は明らかに不満顔だった。
「もし、ルイが迎えにきてくれなかったら、私が行くから!」
ルイとしては故郷での自分の扱いを確認したらロレンシアに戻るつもりだったのが、娘はそうは思わなかったらしい。出発の朝、涙目でそう言われた。
「心配しなくても、戻ってくるよ」
どうせ実家に自分の居場所はない。
自分は次男で、しかも愛人の子。正妻の子である長男が家を継ぐことは決まっている。厄介払いとして、ルイは士官学校に放り込まれたのだ。
居場所なんてあるはずがない。
八年も音信不通にしたのだから、死んだ人間扱いされているだろう。
気になるのは故郷に残してきた母一人だけだ。父が生きていればちゃんと面倒を見てくれているはずだが、代替わりしていたらどうだろう。兄は、母をきちんと面倒みてくれているだろうか。
「これっぽっち?」
業者にて、ロレンシア帝国で貯めた金をバルティカ王国の通貨に換金してもらったところ、予想以上に少なくて驚いた。
「しかたがないさ、貨幣価値が全然違うんだから。ところで、あんたは帰還兵なんだろう? 役所に申請すれば一律でいくらか金がもらえるはずだよ」
「へえ……」
それはいいことを聞いた。
ルイの出身地は王国の北部で、ここからはずいぶん遠い。
――路銀が必要になるから助かるな。
為替レートの関係でずいぶん減ってしまったが、この国の金も手に入ったし、久しぶりに酒を飲もうか。今日くらいはいいだろう、と、受け取った金をポケットにしまい込みながら思った。
***
八年ぶりの祖国はずいぶん様変わりしていた。何より鉄道が整備され、あっという間に故郷にたどり着けたことには驚いた。
車窓から見たバルティカ王国は記憶にあるよりもずっと開発が進み、どこも賑やかになっていた。アレンの治世はうまくいっているらしい。知らんけど。
果たして自分の家族は生きているだろうか。実家は存在するだろうか。最初にたどりついた町から電報を入れはしたが、届いているかどうか確認する方法はない。
一抹の不安を抱えながらトレヴァー子爵の屋敷を訪ねてみると、おそろしく老けた父が出迎えてくれて大泣きされた。なんなんだ一体、自分はこの人にとって厄介な存在だったはずなのに、と不思議に思ったら、後継ぎになるはずだった兄が病気で他界しており、このままではトレヴァー子爵家が断絶するところだったらしい。
屋敷の中に通され、一通り話を聞いて、ルイは絶句した。
「……ということは、俺が子爵様になるということ……?」
父に確認すると、頷かれてしまった。
いや困る。
「ロレンシア帝国によくしてくれた一家がいて、そこの娘と結婚する話が出ていて……」
「それなら、その娘を連れてくればいいだろう」
「ロレンシア人だぞ? それに平民だ」
貴族は貴族同士で結婚しなければならなかったはずだ。
言外に指摘するルイに、父はゆるく首を振った。
「町を見たか? おまえが戦争に行く前に比べずいぶん様変わりしただろう。……すべて平民たちの手によるものだ。貴族が大きな顔をしていられた時代は終わろうとしている。古いやり方にこだわる必要はないだろう」
「……」
「ただ、ロレンシア人への偏見は強いだろうな。この国にはロレンシアに滅ぼされたイオニア人も多く暮らしている。偏見や悪意から、おまえはその人を守れるか? 守れないというのなら、この国で妻を探さなくてはならない」
「……」
父は、自分がこの家を継ぐ前提で話をしているが、正直、後継ぎになることを想定していなかったから、ロレンシア人の娘を妻とする覚悟よりも、まずはこの家を継ぐ覚悟がつかない。
「少し、考えさせてほしい」
「そうだな」
ルイの戸惑いを察し、父が頷く。
その後、ルイは八年ぶりに母親とも再会した。父の愛人であった母は別邸に暮らしている。
電報を受け取った父が、別邸にいる母にも連絡を入れてくれていたのだ。
ルイの無事な姿を見て母は泣き崩れた。この母を置いてロレンシア帝国に戻るのは気が引けるが、かといってロレンシア人の娘をここに連れてくるのも酷な気がする。
どうしたものだろうか。
その日は父のいる屋敷ではなく、母のいる別邸に泊まった。
久々に食べる母の料理は本当においしかった。
***
翌日、ルイは雪の降りしきる中、自分の墓を訪問した。
――まあ、戦地に行ったっきり音信不通になれば、そうだよなぁ……。
ルイは複雑な気持ちで自分の墓を見つめた。
墓はトレヴァー子爵家の墓地に作られており、きれいに手入れされていた。ルイの隣には兄の墓があった。
こちらは本物の墓だ。
雪の積もった墓石を撫で、そこに刻まれた兄の名前をなぞる。
屋敷の外で育ったルイにとって、兄のことはほとんど記憶にない。だからなんの感慨もわかないだろうと思っていたが、兄の享年が今の自分よりも若いことに気付き、ほろ苦い気持ちが胸に広がった。
世の中、死にたくて死ぬやつはいないのだ。
みんな本当は死にたくない、もっと生きたいと願いながら死んでいくことを知っている。
戦場でいやというほど、命が消えていく瞬間を見てきた。
兄の墓を見ているうちに、気持ちが定まってくる。
兄のことはよく知らない。
でも兄にはやり残したことがあるはずだ。
そのうちのひとつに家の跡継ぎがあるのは間違いない。
別に子爵になりたいわけではないが、どうしてもいやだと突っぱねる理由も見当たらない。
残るは、ロレンシアに残してきたあの娘のこと。
***
自分が結婚していた、ということを知ったのは自宅に戻って三日が過ぎたころ。
父が、息子の帰還が嬉しくてあちこちに電報を入れまくったため、それを聞きつけた士官学校時代の友人が訪ねてきて、教えてくれた。
ルイと違って中央司令部勤務になり、戦地に送られなかった友人だ。
「俺が結婚?」
「ほら」
差し出されたのは古い新聞。日付は今から五年ほどの前の、夏だ。
新聞にはルイ・トレヴァーとセシア・ヴァル・ドワーズが結婚したと載っている。ドワーズ家は侯爵位を持つ、この国でも由緒ある家柄として知られている。
「……これ、俺か? 単なる同姓同名なのでは」
「まあ、これには続きがあってさ」
友人が別の新聞を差し出す。
日付は最初の新聞の約二か月後のものだ。ルイ・トレヴァーとセシア・ヴァル・ドワーズの結婚は誤報だったと載っている。
「誤報って、おい……」
「でも変なんだよ。僕の知り合いがアルスターにいるけど、このルイ・トレヴァーという人は、トレヴァー子爵の縁者らしいという話だった。まるでおまえだろ?」
「同姓同名の別人なんじゃないか」
「トレヴァー子爵家に縁があるルイなんて、おまえくらいなもんだろ。おまえを騙る誰かが、このセシア嬢を陥れようとでもしたのかな。セシア嬢の祖父にあたるドワーズ侯爵は、この結婚の報の少し前に亡くなってるんだよ」
友人はさらに別の新聞を差し出した。全部取っていたのか、こいつは、と思いながら新聞を受け取り、誌面の片隅に小さく載っているドワーズ侯爵の訃報を確認する。
「へえ……きな臭い」
「きな臭いよな」
目を細めたルイに、友人も同意する。
脳裏にフッと、アレンの姿が浮かんで消えていった。
直感的に、男が絡んでいるような気がした。
自分の利害のためならなんでもやる男だ。
自分はあの男に利用されたのでは? アレンとドワーズ侯爵との間に何があったのかは、わからないが。
人生、それくらいずる賢く立ち回るべきなんだろう。
「調べてみるか? ツテならあるんだ」
「いや、いい。たぶん俺には関係ないことだ」
ルイはそう言って新聞をまとめて友人に返した。
「いいのか? おまえの名前を使われているんだぞ」
「同姓同名だと思う。だって、俺はずっとリーズ半島にいた」
友人は不満そうな顔をしたが、それ以上の言及は諦めたらしい。
「それで、おまえはこれからどうするんだ? 困っていることがあったら力になるよ。僕だけじゃない……生き残っている同期の連中、みんなそうだ。リーズ半島に行って、生きて帰ってきたヤツは少ない」
「……そうだなぁ」
ルイはのんびりとあごを撫でた。
「まずは……もう一度、ロレンシアに行かないと」
「は? せっかく帰れたのに、なんで?」
信じられない、という顔をする友人に、ルイは晴れやかな顔を向けた。
「忘れ物をしたから。それを持って帰ってくる」
兄の遺志……と呼べるものかどうかはわからないが、兄の心残りを解決できるのは自分しかいない。なら、あの娘ときちんと話をしなければならない。
あの娘はどう反応するだろう。
ロレンシアに残る、というのなら……しかたがない。
けれど、もしバルティカに来ると言ったら?
『ただ、ロレンシア人への偏見は強いだろうな。この国にはロレンシアに滅ぼされたイオニア人も多く暮らしている。偏見や悪意から、おまえはその人を守れるか? 守れないというのなら、この国で妻を探さなくてはならない』
父の言葉が蘇る。
まったくその通りだ。
守ってやらなくてはならない。それは一人では難しいだろう。だから協力を仰ぐ。軍隊でも、ロレンシアでも、いやというほど学んだことだ。
「帰ってきてから俺が困っていたら、助けてくれよな」
友人に言うと、頼られたのが嬉しいのか彼が笑顔になった。
「ああ、いいよ。どんなことでも力になる。あ、犯罪行為は勘弁してほしいけどな」
「約束だぞ」
笑う友人に念押しすると、彼は力強く頷いた。
トレヴァー子爵家にロレンシア人の女性が嫁いでくるのは翌年の春のことである。
【書籍化】この手を離さない 平瀬ほづみ @hodumi0125
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