第45話 そして 2

 春の風が木々を揺らす。


「体調はどう?」


 テラスで縫物をしていたが、疲れて手を止めていたところに、レイモンド、の姿をしたレイチェルが訪ねてきた。馬に乗ってきたらしく、乗馬服姿だ。


「すっかり貴公子姿も板についたわね」


 セシアが微笑む。


「まあでもそろそろこの姿もおしまいかもしれない」

「……レイモンドの記憶が戻ったの?」

「戻ってはいないんだけど、だいぶ意識が実年齢に近づいてきたからね。ちょっとずつ、僕と入れ替わりながら集まりにも出てみようかという話になっている。……入れ替わるというのは、なんだかおかしいけれど」


 レイチェルが肩をすくめ、セシアの丸いおなかに目をやる。


「しばらく見ない間に、ずいぶん大きくなったね」

「もうすぐ産み月だから」

「いやあそれにしても、セシアがねえ……びっくりした」


 レイモンドがテラスに上がり、セシアの向かい側に座る。


「私もびっくりしたわ」

「本当にいろいろびっくりした。でもセシアが幸せそうでよかった。おじい様が突然亡くなって、叔父様とね……いろいろあったから」

「そうね」


 セシアは目を伏せた。




 フェルトンは軍から試験薬を盗んで悪用した軍規違反で軍に捕まり……そのあとのことは知らない。アレンもクロードも教えてくれないからだ。


 フェルトンの試験薬のことはやはり軍事機密ということで黒塗り事項になり、ジョスランは「どこかから入手した毒物」でドワーズ侯爵モーリスを殺害し、さらにその孫娘セシアを自殺に見せかけ殺害しようとしたことで逮捕、起訴され、ただいま裁判中である。弁護士を雇って抗戦の構えを見せているので、裁判は少し長引きそうだが、証拠はきっちりそろっているので、どうなることやら。ただ、ジョスランがどうなろうとドワーズ家の相続人はセシアのまま揺るがない。ジョスランは被相続人であるセシアを害しようとしたことで、相続人としての資格を失ってしまったからだ。


 そしてセシアは、軍の捜査のために「ルイ・トレヴァー」という人物と結婚したかのように見せかけてはいるが、捜査終了後、ルイ・トレヴァーと名乗っていたクロード・コーエンという人物と結婚することになった。

 書類上、ルイとの婚姻は白紙になるが、アレンは遡って同じ時期からクロードと結婚したことにしてくれた。これはセシアの妊娠にアレンが配慮してくれたものだ。

 セシアは最初からクロードと結婚していたことになる。「ルイ」と呼んでいたのは軍の捜査のためだと説明してまわれば、ジョスランの件は知られているので、親戚一同「なるほどね」と納得してくれた。


 その結果を勝ち取ったのは、カエルだったとセシアは思っている。


 クロードとの結婚は、クロードがきちんと戸籍を取ってからになるだろうと思っていた。それがいつになるかはわからないが、時間がかかるかもしれないとクロードから説明を受けていたものの、秋になって妊娠していることがわかり、悠長なことは言っていられなくなった。

 妊娠の報告そのものはクロードも喜んでくれたけれど、アレンがセシアの「夫を返して」という要求を飲んでくれるかどうかはわからない、と彼は言った。

 アレンという人は、親切心だけで行動する人物ではないらしい。


 ――まあ、王子様だものね。


 さてどうするか。

 どうするこもうするも、アレンに要求を飲んでもらうしかない。


 そこでセシアはアレンからもぎとった書面とアルスターの森で捕まえた立派なカエルを二匹持って、グレンバーの東方軍司令部に乗り込んだ。いきなりアレンに会えるとは思わなかったので、まずはイヴェールをカエルで脅そうと思ったのだ。自分がアレンに直接訴えるより、イヴェールを通したほうが分がいいはず。そう思ったのだが、しかしまさかイヴェール少佐がアレン殿下だとは思わなかった。

 気安い口調で出てきたイヴェールに「アレン殿下を出して」と言い、カエルを突き付けてしまったではないか。

 まあ、そのおかげで要求はすぐに通った。

 王都でのクロードとフランクの会話から相当カエルが嫌いらしいことはうかがえていたが、イヴェール、ことアレンがそこまでカエル嫌いだとは思わなかった……。


 ちなみに、アレンの別荘は司令部の目と鼻の先にある。セシアが乗り込んだ当時、クロードは別荘で謹慎中だったのだが、司令部に呼び出された。

 そこでカエルを手にアレンに迫るセシアを見るなり大爆笑してくれたのは、いい思い出だ。


「……おまえ、笑うんだな」


 カエルに怯えて涙目になっているアレンがしみじみと呟き、


「というわけで黒、いやクロードに戸籍を作ってやってくれ。侯爵夫人に釣り合うやつだ」


 と命じられた部下の、ひきつった顔は脳裏に焼き付いている。

 アレンの無茶振りは有名らしい。

 持参したカエルはアレンにプレゼントしてきた。ぴょんぴょんはねるカエルに恐慌に陥ったアレンを、その場にいた全員が生ぬるい目で見守ったのは言うまでもない。

 あとで聞いたところによると、このカエルは青によって捕獲され外に逃がされたのだが、カエルが跳びまわった周辺をアレンがせっせと消毒する姿が見られたそうである。




 そしてクロードは「クロード・コーエン」という名前を与えられた。コーエンというのはもちろんアレンがでっち上げでつけてきたもので、バルティカ王国でよく見かける姓のひとつだ。ただ、名前はでっちあげでも十九歳から国軍に入隊し、リーズ半島でいくつもの戦果を挙げたことから少尉に昇進、というのは事実。

 できる限り真実に近づけた戸籍を用意してくれたアレンには、まあ、感謝している。


 カエル持参で司令部に乗り込んだ帰り、セシアはアレンの別荘に寄った。

 久しぶりに会うアレクシアは記憶の中にある通り美しく、とても三十近い息子がいるとは思えなかった。セシアのことも覚えていて、クロードと結婚すると言うと大変驚き、心配もしてくれたが、心から祝福してくれたのでほっとした。


 使用人はいるものの、別荘に一人で暮らしているというのでアルスターに誘ったのだが、アレクシアは首を振り、もうしばらくは慣れた別荘で静かに暮らしたいと告げてきた。

 遠くはないから、春になったらアルスターを訪問する。でも今は一人にしてほしい。アレクシアはそう約束してくれた。

 別荘の帰り道でクロードの父親のことを聞き、目玉が飛び出るほど驚いたセシアだが、アレクシアがしばらく一人でいたい、と言った気持ちもなんとなくわかった。

 彼女には時間が必要なのだ。心を整理する時間が。

 それでもきっと、春風が吹く頃には自分たちのもとを訪れてくれるだろう。


 次はアルスターでの報告だ。ルイ・トレヴァーことクロード・コーエンがかつてこの屋敷にいたあのクロードだと知ったリンは驚き、「なんて立派になって!」と泣いて喜んでくれた。さらにアレクシアが無事だと知り、「再婚していないのなら、ここに連れていらっしゃい! そのほうがルイーズ様もお喜びになりますよ!」とまで言ってくれた。

 かつての使用人の息子が侯爵家の一人娘と結婚する、ということにトーマは複雑そうな顔をしたが、身を挺してセシアを助けた姿を見ているので反対はしてこなかった。


 クロードはけがをしていることもあり、その年いっぱいで軍を辞めることにしてくれたが、残務がいろいろあって年内はグレンバーとアルスターを行き来して過ごした。

 セシアはセシアでヴェルマン伯爵と工場誘致の話を進めたり、主寝室の模様替えをしたり、秋から冬にかけては意外に忙しかった。


 そして冬。雪がちらつき始める頃、クロードがアルスターにやってきた。

 おなかに赤ちゃんがいるせいで甘い時間が過ごせないのは残念だな……と思ったが、屋敷の中にクロードの広い背中を見つけると、心の中に安堵が広がる。傷のことがあるため早い段階から一人で生きていくことを決めていたけれど、クロードがいてくれるほうが心強い。

 生きている限りずっと、一緒に、この地を見守り続ける。

 それが自分たちの役割。


 それにしても、と思う。

 子どもは無理かもしれないと思っていたのに、そうではなかったなんて、嬉しい誤算だ。ただ無事に生めるかどうかはわからないので、まだ少し怖くはあるものの、長らくセシアを悩ませてきた傷口の疼きは、これだけ赤ちゃんが大きくなっても不思議と落ち着いている。


「あ、クロードだ」


 テラスから庭園を眺めていたレイチェルが呟く。

 身重のセシアに代わり、今はクロードが当主の代わりにあちこちに引っ張り出されている。

 多くの人が銀色の髪の毛の当主代行に驚いたが、戦争の影響が大きかったアルスターの地ではクロードの、司令官付き国軍少尉だったという経歴には一目置いてくれたので助かる。

 犠牲も多かったが、イオニアを滅ぼした大帝国の侵攻を食い止めた東方軍は高く評価されているのだ。特にクロードはその司令官のそばにいた人物である。


「……なんだろ、ものすごい勢いでこっちに歩いてくるな……。僕がセシアと一緒にいると睨むよねえ、彼」

「そう……かしら?」


 レイチェルの指摘に首をひねる。どうだっただろうか。


「ねえセシア、もしかして僕の正体について、クロードに教えてない?」

「だって、誰にも言わない約束でしょ?」

「まあ、ね……」


 セシアの言葉にレイチェルが頷く。そうこうしているうちにクロードがすぐそこまで近づいてきた。

 確かに、レイチェルを睨んでいる気がする。


「ま、おもしろいからこのまま黙っていようかあー。いつまで騙されると思う? 彼」


 レイチェルがにぱっとセシアに向かって笑ってみせた。


「もう、人が悪いんだから」


 セシアは呆れた。

 フッと、セシアの視界が陰る。


「うちの妻に、何か用か?」


 目を上げるとすぐ横にクロードが立っており、イスに座ったままでいるセシアの肩を抱き寄せてきた。

 レイチェルがそんなクロードとセシアの姿に、声をあげて笑う。

 セシアはそっと、自分の肩に置かれたクロードの手に自分の手を重ねた。反対側の手をおなかに置く。もぞもぞと、おなかの中で赤ちゃんが動いた。


 春の風が木々を揺らす。

 大丈夫。

 私はもう、一人じゃない。

 だから迷子にもならない。


   ***


つたない話でしたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

もしこのお話がお気に召しましたら、評価をいただけますと作者が喜びます! (⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”

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