第14話 偽装夫婦の始まり 2

 そして式の前日の夜遅く、ルイがアルスターにやってきた。ルイが普段暮らしているグレンバーとドワーズ家の領地であるアルスターは、鉄道でおよそ四時間の距離である。聞けばルイは普通に仕事を終えてからアルスターに来たようだ。長居をするつもりがないという意思表示なのか、手には旅行鞄ともうひとつ、柔らかそうな布の包みを持っている。預かってみるとそれは礼服だった。


「話があるの」


 ジョスランとは違いルイは前もって到着時間を知らせてきていたので、セシアは深夜に近い時間にもかかわらずドレス姿のままで出迎えた。一方のルイはシャツにベストにスラックスという非常にラフな姿である。


「……まあ、そういうことなら寝室は同じにするのが自然だろうな」


 結婚前なので今日はまだ客間に宿泊のルイに軽食を届けるついでにジョスランとのやり取りを話すと、ルイがため息混じりに頷く。ルイ自身が嫌がっているようにも、セシアの騒ぎっぷりに呆れているようにも取れる仕草だった。

 そういうのはやめてほしい。自分の無知さが浮き彫りになって、みじめになるから。


「あなたはいいかもしれないけれど、私はいやよ……あなたと、同じ部屋なんて」


 セシアはやや投げやりに言った。


「それなら追悼式までは別室にする、でいいだろ。心情的に新婚生活を楽しむ気にはなれないと言えばそれで説明がつくと思うが? 大騒ぎするほどのことでもないし、そういうことは決定事項として俺に伝えてくれたらいい」

「私の一存で決めてもいいわけ? これから起こる、いろいろなことを?」


 言外に「面倒くさい」と言われ、セシアはむっとしながら言い返した。

 そりゃ、任務以外のことはしない期待するなとは言われていたけれど……偽装夫婦であることがバレないようにするのも、任務のはずだが。


「私に関わりたくないのはわかるけれど、そういう態度だとどんどん……意思疎通が図れなくて大きな失敗につながると思うわよ。少なくとも、話し合いができる関係でなくては……いざという時に『夫婦のふり』なんてできないと思うんだけれど」


 情報や気持ちのすり合わせなしに「恋愛結婚の夫婦」なんて演じ切れるわけがない。舞台役者のように「ステージの上でだけ夫婦を演じればよい」というものではないのだから。

 イヴェールの捜査の方はともかく、意図的にジョスランへの相続の妨害をしている、ということは知られたくない。明るみに出たら、誰からどんな糾弾を受けるかわかったものではない。セシアだって自分の身がかわいい。


 セシアの言い分に、はあ、と一つ溜息をついてルイがセシアに向き直る。

 面倒くさがっているのがありありとわかる。

 ……正直、イラッとするのだが。こっちだって別に、ルイと結婚したくてするわけではない。時間がないせいで考えが及ばなかったが、こんなに相性が悪いのならイヴェールに別人をお願いするんだった。しかしトーマに紹介した手前、もう配役を入れ替えるわけにはいかない。


「さっきの話だが、追悼式まで別室で問題ないと思う」

「……追悼式までなの?」


 追悼式は来週だ。一週間しかないではないか。


「さっきの話だと、あんたの叔父上は俺たちが偽装結婚だという証拠をつかんで、相続人の立場から引きずり下ろしたいんだろう? 口ぶりから察するに、叔父上は粘着気質だと思うから、追悼式後まで別室にしておくのはあまり好ましくないと思うがな」

「……どうすればいいの」

「俺は別に、長椅子でも眠れる。なんなら床でも。戦場では地面の上で寝ることも珍しくなかった。それに比べたら、敵襲を受けないうえに虫がはい回らない場所というだけで御の字だ」

「戦争に行ったことがあるの?」


 意外な言葉に、セシアは驚いた。


「軍人だからな」


 特に感慨もなく、ルイが言葉を返してくる。


「……あなたは貴族の生まれなんでしょ? なにか、まるで……」


 この人が参加したのは時期的にリーズ半島での戦争に違いない。けれど彼の体験談は、貧困院で保護していた平民出身の戦傷兵と同じではないか。ルイは上流階級の人間だから、兵士たちに指示を与える側である。……同じ経験をしているとは思わなかった……。


「つくづく箱入りのお嬢様だね」


 ルイの呆れた口調にかちんとくる。

 軍隊の知識について軍人と貴族の娘の知識レベルを比較するなんて、ナンセンスにもほどがあるというものだ。


「侯爵家の一人娘が、軍隊の内部や戦場の様子を詳しく知っているほうが問題ではなくて? 私の人生のどこに、接点があるというのよ。知らないことはそんなに悪いことなのしら? 逆に聞くけれど、あなたは世の中のすべてを知っているの? 私をばかにできるほど。たとえば、ドレス用のコルセットがどれだけ苦しいとか、ヒールのある靴を長くはいていると足が痛んでしかたがないとか、髪を結い上げるのにどれだけの忍耐が必要とか」


「わかった、わかった。知らないことは悪いことじゃない。知ろうとする努力は大切だ、その点あんたは大変な努力家と言える」


 一気にまくしたてるセシアに対し、ルイが両手を上げて降参のポーズをとる。ルイに非を認めさせたのに、どうにもばかにされている印象が拭えない。


「また『あんた』って言う! 私はその呼び方は好きじゃないのよ!」

「悪かった。セシア嬢だな、セシア嬢。まあとにかく、俺はどこでも眠れるから気にするな。俺はこの家の客人じゃないから、もてなしは不要。招かれざる客であり、任務で居座っているだけだ。そして明日から俺とセシア嬢はラブラブカップルの設定で振る舞えばいいんだろう?」

「そう、そのことなんだけれど、あなたのその態度、なんとかならないのかしら」


 少しも友好的じゃない態度。そんな人とラブラブカップルなんて演じられるわけがない。


「ルイ、あなたがイヴェール少佐に命令されて、いやいや、しぶしぶ、うんざりしながら、私の伴侶役を引き受けたのはわかるわ。でもそれがありありと透けて見える態度をされると、私の気分もよくないの」

「……前にも言ったが、あんたに女としての魅力を感じないので難し……」

「殴るわよ」


 セシアがガコ、と持ってきた茶器を手に取ったのを見て、


「善処する」


 ルイが答える。


 セシアはヤレヤレと内心で溜息をつくと、茶器を置いてルイの部屋をあとにした。見た目は悪くないが態度が悪い。そして自分たちの相性もよくない。ルイの言葉にはいちいちセシアをからかうような、ばかにするような気配がにじんでいる。それはもうそのまま、彼がセシアをどう思っているかの表れだろう。見た目がクロードを想起させるのもよくない。この二つが相まって、セシアの心を必要以上にざわざわとさせるのだ。


 この男が相棒で自分はやっていけるのだろうか?


 ――不安しかないわ。


   ***


 その翌日。


 叔父夫妻ともルイとも別行動で、セシアは教会に向かった。花嫁姿は教会でお披露目するまで、花婿には見せないしきたりがあるらしい。


 祖父の死去から三週間しか過ぎてないことから、もともと盛大な挙式をするつもりはなかった。なんならもう司祭の前での宣誓だけで済ませたかったのだが、ジョスランの手前、そうもいかないのがつらい。


 リンがきちんと保管してくれていたので、花嫁衣装にはシミも虫食いもない。母の喪服を着た時に、サイズも合うことは確認している。母のクローゼットがそのまま残してあってよかった。


 その亡き母に代わりに、リンがベールをかぶせてくれ、トーマが父親代わりに教会の通路をエスコートして祭壇の前に立つルイにセシアを引き渡す。

 今日のルイは一般的な礼服姿だ。

 体格のいいルイは軍服が非常に似合っていたが、礼服もなかなか決まっている。セシアが本物の花嫁なら――まあ本物の花嫁なんだけれど――かっこよさに見惚れたところだけど。

 

 ――その鋭い眼差しがなければ……。


 睨みつけられているんだな、これが。

 ふと、「もしかして自分はルイの親の仇だったりするのかも」などとセシアは思った。

 ルイには初対面から嫌われているというか、関わりたくない気配がぷんぷん漂っていたが、それは面倒な任務を与えられて気が進まないからだと思っていた。しかしトーマに対してニコニコと好青年を演じて見せた姿を見る限り、ルイは間違いなくプロフェッショナル。

 それなら、一緒に組むセシアに対しても内心はともかく、プロとして理性的な態度で接するのではないかと思う。

 それをしないのは、それができないくらいの何かがある……気がする。


 知らないうちに誰かを傷つけている可能性はある。

 セシアは侯爵家の娘。権利を振りかざす側にいるから。

 それは自覚している。


 ――だとしても、私にはどうしようもないけれど。


 それにしても、結婚しない未来を選ぶことしか考えていなかったから、自分が花嫁姿で教会に立つことになるとは思ってもみなかった。しかも隣にいるのは、セシアのことをなんとも思っていない男。それでも、造作はいいので祭壇の上からセシアを待つルイの姿はかっこいい。そこに立つのが「本物の夫」だったら、どんなに素敵だっただろう。

 でもこれは便宜上の結婚で、本物の絆を結ぶ相手ではない。


 セシア側の参列者は、リン、トーマ、シモン、そして叔父夫妻。ルイ側は、両親設定の夫婦に妹役の娘が一人、参列してくれた。

 赤の他人だと前もって知らされていなければ、実の家族だと信じたに違いない。ルイは両親役の二人や妹役の娘と実に仲良さそうに会話をしていたから。


 一方、ジョスランの視線はどこまでも憎々しげだ。


 司祭の前で宣誓をし、宣誓書にサインを入れる。

 指輪交換の時に差し出された指輪は、ルイが用意したものだ。わずか一週間で用意したのだからきっと既製品に違いない。それでも指輪には蒼玉があしらわれていた。ルイの瞳の色だ。結婚指輪に限らず、男性は愛する女性に自分の瞳の色のアクセサリーやドレスを贈る習慣がある。自分だけを見てとも、自分の所有物だという意志表示だとも言われている。ルイが青色の宝石が付いた指輪を選んだのは、結婚指輪なら瞳にちなんだ色の石がついていてもおかしくない、ということからだろうが、セシアには念の入れ過ぎに思えた。誰も指輪の石の色なんて見ないだろうに。まして短期間で終わる可能性が高い偽装結婚なのに。


 ルイがセシアの手を取り、ゆっくりと指輪をはめる。

 不思議なくらいぴったりだった。セシアの細い指先に、細めのリングはよく似合う。

 セシアも指輪を手に取り、ルイの左手の薬指にゆっくりと通した。


 本来なら、永遠の愛を誓いあう夫婦のための神聖な儀式なのに、自分たちはいろんなものを騙すためにこの儀式に臨んでいる。これは、冒涜ではないだろうか。……いいえ、これは祖父の無念を晴らすために必要なこと。チクチクする胸を痛みを、セシアはあえて無視する。


「では誓いのキスを」


 司祭が言う。


 ――えっ、キス? そんなものが必要なの?


 思わず声を上げそうになったが、動揺しているとは思われたくない。セシアは上がる心拍数を無視し、がんばって冷静であろうとした。

 唇へのキスなんて、誰ともしたことがない。

 それは好きな人とするものだから。


 ――大丈夫よ。普通にしていればいいのよ。


 ルイがベールを上げる。青い瞳と目が合う。

 彼の青い瞳はいけない。どうしてもクロードを思い出してしまう。胸の奥の傷が疼く。

 セシアは目のやり場に困って、目を閉じる。さっさと誓いのキスが終わってしまえ、と願いながら。そうはいっても、ルイが顔を近づける気配には心臓が飛び出しそうなほど緊張してしまった。


 願い通り、触れてきた唇はすぐに離れていった。

 これでおしまいね、と目を開けると、再びルイの真っ青な目と視線がぶつかる。

 急にいたたまれなくなって、セシアは目を逸らした。


 ――今のはキスのうちに入らないわ。だってこれは『任務』なんだから……。


 そう思うのだけれど、心拍数は上がったままだ。それにしても憎たらしいほど、ルイは平然としている。動揺しているのは自分だけのようで、それもなんだか腹が立つ。

 そうか、この人はきっと今までに何度もこういう経験があるのだろう。『任務』として何度も女性と付き合ったことが……。


 ――キスよりも先まで?


「二人が夫婦となったことをここに証明する。末永く幸あれ」


 司祭の型どおりの言葉を聞きながら、セシアはさすがに飛躍してしまった考えを頭から締め出した。結婚式に思いを馳せるようなことではない。……心の奥にズン、と重い衝撃が走ったのを無視して、セシアはルイに対し「幸せな花嫁」らしく微笑んでみせた。ルイもルイでニコニコしているが、作り笑いの可能性が高いので実際は何を考えているのかはわからない。


「おじい様だけでなく、お父様もお母様もきっと、お喜びでしょう」


 参列した関係者からの祝いの言葉を聞きながら教会の外に出る。本当のことを知らないトーマやリンが感涙にむせんでいる。

 最後に二人で教会の鐘を鳴らす紐を引っ張って、結婚式は終了だ。

 鳴り響く鐘の音のあまりのむなしさに、セシアは泣きたくなった。

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