ファントミーム・オーヴァーレイ

葛猫サユ

第一章

フィアリング・ラフ


     ◆


 その名前に、『大いなる』なんて言葉を使うことを怒る人たちがいる。

 もっともだ。

 死傷者約一二〇〇名。行方不明者は一万人以上で、その全員が七年後に推定死亡者と認定されて、都市機能を完全に崩壊させた大爆発を、どう解釈しても礼賛できる要素なんてない。

 普通ならば。

 じゃあどうしてこんなものを敬うかと聞かれれば、人の死にまつわるもので最も突発的で、悲劇的に見えるのが事故死だからだろうと、後の私は考える。

 病死にも急性はあるけれど、事故死はもっと対外的で、責任の所在がはっきりしている。自他の過失。陰謀論。事故には責任が付きもので、責任を負うものを攻撃できる――少なくとも、そう被害者が錯覚することで、安寧を作り出す――ことで、自身に秘めた故人を弔うことができる。ここで言う被害者とは、事故にあった当人ではなく、その知人や縁者。もっと広い範囲で言うなら、事故の顛末を知った第三者にまで及ぶ。

 だからこそ、責任追及で弔うことのできない事故死というのは、地獄のような悲惨さを生み出す。天罰、青天の霹靂。そうとしか言いようのない有様を、これからどう弔うのかを考えたとき、人は理不尽に対して怒ることをやめてしまい、ならばせめて故人と引き換えに得たものへ目を向けようとするのも、その規模と神秘性が礼賛を呼ぶのも、しかたのないことなのかもしれない。

 グレイテストバン。

 その日、のちのそう呼ばれる悲惨な死が、一二畳の客間のすみっこで起こっていた。

 ドローンカメラが都市上空を映している。画面には水彩画のようなぼやけた色調が霧の役割を担っており、色の洪水からもがくように伸びた高層ビルの上層だけを映している。しかしそれも、ひとたびくぐもった爆発音が響くとゆっくりと傾き、けぶる波に消えて行く。しびれを切らしたドローンが霧へ飛び込むと、その先にはあいかわらず鮮やかな極彩色に紛れて煌めく炎の揺らめきが静かに踊っていた。

 悲鳴も、怒号もない。政府が異常を感知してからまだ四、五時間も経っていない災害の現場で、響くのは熱の余波で吹き飛ばされたガソリン車の爆発だけ。

 余波。そう、この地獄の光景でさえ、被災地周辺の市街の映像に過ぎないのだから驚きだ。

 災害事故。異常気象ならまだ責めようもあったのだけれど、テレビに映るそれは、誰も理解できないまま唐突に、彼らの日常を破壊しつくす静謐な空間の前で、五歳になったばかりの私は、膝を抱えたまま釘付けになっていた。

 そんな折に、おい、と声を掛けられる。

 おい、住職が着いたから、集まれって。声変わりの終えた低い声の男の子にうん、と生返事で答えて立ち上がると、引き戸越しの廊下から袈裟姿のお坊さんの背中が見えた。

 その日は両親の三回忌で、私は憂鬱な気分だった。

 両親を思い出すからではなく、両親を思い出せないから。

 そういえば、と、客間のテレビを点けっぱなしだったことに気付き、再び画面を振り返る。ドローンカメラからの代わり映えのない中継はいつの間にか切り替わっていおり、今は近郊の駅構内に避難している被災者の様子を遠目で映していた。

 駅構内は静寂な街中とは裏腹に視界を遮る霧が晴れていて、大勢の人間がどよめきの中にあった。その人たちは、駅に来たはいいもののそこから行き先を見失い、ある人は遠くの親戚に連絡していたり、またある人は途方に暮れて、自衛隊が支給している毛布に身を包みながら壁を背に座り込んでいる。

 カメラは後者に興味を示し、一人の女性にズームアップしていた。

 妖怪映画に出てくるがしゃどくろを思わせる表情。

 そんな第一印象とカメラ越しに目が合い、身震いが起こる。

 女性はカメラに顔を向けたまま、自分がテレビに晒されていることをなんとも思っていないようにただこちらを見つめていた。目と口を開き、瞳と歯を揺らしている様を映しながら、リポーターが彼女の様子を言葉巧みに表現していた。

 被災者の恐怖の表情からは、現場の悲惨さが伺えます。いったい何が起こっているのでしょうか。

 恐怖? リポーターの言葉が、私にはとても的外れに思えた。

 私には、この女性の表情が、恐怖よりも混乱と困惑を見せているように思えたからだ。

 何故? どうして? いったい何が起こったのかわからないまま、ただ自分の命が脅かされるという本能的な危機感が、彼女を駅構内へと逃げ出させたのだろう。

 当時の私にそんなことを感じ取れるほどの情緒は育っていない。ただなんとなく、画面の向こうにいる女の人がひどく可哀想に思えて、それがあの時の私と一致しているはずなのに、どうしてこうも私の震えが止まらないんだろうと、見入っていた。

 目を見開いているのはなぜだろう。膝を抱えて蹲っているのはなぜだろう。

 私は画面を指さして男の子にたずねた。

 ねぇ、あの人たちと私、どっちが可哀想なんだろう?

 しらねぇ、と男の子はにべにもない態度で答える。

 あっちのほうがいっぱい死んでるんだから、あっちなんじゃねぇの。

 その言葉に、私の心から、ストンと何かが落ちた。欠落ではなく、むしろまるでかさぶたが剥がれ落ちて、つるつるの地肌が現れたような気持ちのいい感覚だった。

 ああ、そうか。私に起きていることは、とても単純なことなのだ。

 テレビの向こうで起きた不幸に比べれば、私には頼れる親戚もいて、遊んでくれる従兄もいて、暖かい家がある。

 あの偉大な破壊の前に、こんな些末な不幸で、悩む必要などないのだ。

 ふいに体の力が抜け、緊張をほぐすために大きく伸ばす。伸びきったのと同じタイミングでカメラが国会中継に代わり、私はリモコンを手に取って電源を切った。

 お坊さんの背中を追い祭壇前に正座する頃には、私の心がすでに軽やかになっていた。

 木魚の間抜けな音が響く。

 頬が、自然と持ち上がっていたのを、今でも覚えている。

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