奏汐音はすり寄るのが上手い

「今日は寄っていくのか?」


「いや、やめとく」


「じゃあ、また明日な」


「おう」


 我が家の前までやってきた立花ではあったが、佐渡晃の人気ぶりを見たせいか疲労困憊のようですごすごと住宅街に消えていった。


 まったく俺も疲れたよ。佐渡晃の人気の秘密を調べるなんて突如言い出した立花は、強制的に俺も同伴させて一時間以上サッカー部の練習を観戦したのだ。

 調べなくてもわかりきっている事だし、さっさと帰ろうと言ったのに。


 そんな立花の姿が完全に見えなくなってから我が家を振り返る。


 古い日本家屋。二階建て。風が吹けばカタカタと音がなるし、雨漏りもする。だけど、愛着のある大切な俺の家だ。

 

 その前には、工事現場に置かれているようなボロボロの立て看板が置かれていて、『なんでも屋スギウラ』とペンキで書かれているが、所々、字がが消えかけている。


「そろそろ塗り直し時かもな」


 我が家では家業を営んでいる。なんでも屋だ。

 買い物代行から、アパートの日常清掃、犬の散歩代行から蜂の巣の駆除まで、できる範囲なら何でもやるをモットーにしている地域密着の老舗。詳しくは知らないが祖父の代から続いているらしい。


 完全に日が落ちて、明かりの漏れるガラス戸をガラガラと横に滑らせて事務所内に足を踏み入れるといつもと雰囲気が違っていた。


「なんか今日はやけに豪勢だな」


 引き戸を開けて入ったすぐの所は、事務所兼リビングのような扱いになっている。


 そこに四人がけのテーブルが置かれているのだが、どうした事か、今日は色とりどりの食事が並んでいた。


 テーブル中央には二人で食べるには多すぎるサラダ。

 食欲をそそるクリーミーな香りを漂わせているのはシチューだろうか。その横には、ほうれん草のソテー。まだできたてなのか、そのどちらからも湯気が立ち上る。


 視覚的にも食欲をそそる。そのどれもが俺の好物だった。


「大和さん。ただいま。今日って何の日だっけ?」


「特に何の日って事はないよ」


 大和さんは仕事をしているのか、事務所奥の机でカタカタとキーボードを鳴らす。


「だったらなんなの?この豪華なメニューは?」


 大和さんと俺は二人暮らし。男の二人暮らしなんてがさつなもんで普段はこんな料理を作ったりはしない。今日に限ってはどういう事なのだろうか?


「いいから、冷めないうちに食べちゃえよ」


「はあ。大和さんはまだ食べないんですか?」


「今の仕事が片付いたら食べるよ」


「わかりました」


 よくわからないが、大和さんはたまに張り切ってご飯を作る日がある。

 今日はたまたまその日だったのだろうと解釈して、二階の自室に上がり、手を洗い、着替えを済ませてから席についた。


「じゃあ、先に頂きます」


「ああ」


 スプーンを手にとって、シチューにスプーンを突き刺し、すくい上げる。

 丁度よいトロミでとても大和さんが作ったものとは思えなかった。


 そのまま口に運ぶと、胡椒の香りが鼻腔に広がる。


 うまい。かなりうまい!


「翔。今、食べたよな?」


「ん?はい食べましたけど」


「今だ、汐音ちゃん!」


 号令を受けて、作業をしていた大和さんの影から、一つの影が飛び出してきた。


「食べちゃったわね?」


「……奏?」


「それ、私が作ったのよ」


「ふーん。で、なんでうちに奏がいるわけ」


 奏の話は半分に、次はソテーを口に放り込んだ。

 うん。これもおいしい。


「依頼よ。依頼。なんでも屋スギウラに依頼をしにきたの」


「ふーん。どんな?」


 奏はテトテトと俺の方に歩み寄り、耳元に口を寄せた。

 吐息がかかってこそばゆい。


「佐渡晃先輩の事は知っている?」


「知ってるよ。それが?」


「佐渡先輩と私がうまくいくように、仲を取り持ってくれない?」


 なるほど。そういう事だったか。

 まったく面識のない奏が、俺を呼び出した理由はこれだったんだな。


「悪いな。そういうのはやってないんだ」


「もう料金は先払いしたんですけど?」


 奏は至近距離で左目を瞑ってウインクをしながらシチューを指差す。


「だったら、この分の料金を払うよ」


「もう大和さんにも許可貰っちゃってるけど?」


 大和さんの方に視線を向けると、サムズアップをこちらに向けた。


「依頼内容は聞いていないけど、翔の担当な!」


 普段から赤字だだの、ギリギリ経営だだの言っているのに、何考えてんだこの人は。


「ってことだから、これから宜しくね」


 言いながら舌をチロリと出して見せた。そのポーズがやたら可愛く思えた自分にも腹がたった。


「俺やらないですからね」


 そう言った後、シチューとソテーを一気にかきこんで奏を振り切って自室に向かった。


 そんな俺の後ろ姿に奏が「明日からよろしくね」なんて言っていたけど、俺は一切応じる気は無かった。


 適当に誤魔化して、無かった事にすれば良いなんて思いながらこの日はそのまま眠りについた。




 しかし______それは俺の思い上がりだった。


 翌朝、俺は犬の散歩代行の仕事の為、ほぼ日の出と同時に目を覚ました。


 重い体をベットから無理に起こして、歯磨きと洗顔を済ませて家を出る。


 ガラス戸をガラガラと開き朝日を浴びて伸びをしていると、横から声をかけられた。


「おはよう!」


 予想をしていなかった大声に、驚いて深呼吸の途中で噎せてしまった。


「だ、大丈夫?」


 声の主は誰かと視線を向けると、そこには奏汐音の姿があった。学校指定の芋ジャージを着ている。ジョギングでもしに来たのか?

 呼吸が落ち着いてから声をかけた。


「どうして奏がここにいるんだ?」


「どうしてって、これから犬の散歩に行くんでしょう?」


「それはそうだけど、それと奏がここに居る事に、なんの関係があるんだ?」


「なんの関係って、今日から私もスギウラでバイトさせてもらう事になったのよ」


「はっ?」


「大和さんから聞いてない?」


「聞いてないけど」


「そう。まあ、そういう事だからこれからよろしくね」


 言って奏はペコリと頭を下げた。


「はあ?はあー!?」


 江ノ島の静かな朝に、俺の叫び声だけが響き渡っていた。

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