第74話 潜入任務と甲斐の虎

 翌日のまだ空が暗い時間に俺は上杉軍の陣がある妻女山を下り、川中島に向かって進軍中の武田軍を目指した。

 暗い山道を走る俺も脳内に思い浮かぶのは昨日の祈の様子だ。俺が昨日、武田方に潜入する任務について話したときは珍しく祈が少し怒っていた。


「なんでわざわざご主人様が行かなくてはならないのですか。これは政虎様と武田軍の戦でしょう?」

「ま、まあそうなんだけど。依頼されちゃったし……」

「依頼なら断ればよかったではないですか。ご主人様が危険を冒さなくてはならない理由がありません」

「はい、その通りです」

「ご主人様は言いましたよね? 見るだけだから、と。潜入捜査なんてほぼ参戦しているようなものじゃないですか」

「おっしゃる通りです」

「ですがもう引き受けてしまったものは仕方ありません。なので私から言うことはひとつ。無事に、帰ってきてくださいね」

「もちろんだ。約束する!」


 本当に祈には毎度心配ばかりかけて申し訳ない気持ちでいっぱいだ。俺戦に出たら手柄も上げてるけど毎度ボロボロになって帰ってくるんだもんな。まあ今回は戦うわけでもないし大丈夫だろう。

 軒猿の副隊長だという男に武田軍まで案内してもらい、ついに武田軍を発見する。


「大助様、見えました。あれが武田の陣営です」

「ご苦労、お前はこの辺に待機。軍が動いたらバレないように追跡しろ。情報がつかめたらこっちから連絡する」

「了解です。どうか、お気をつけて」


 伝達役の副隊長に指示を出し、俺は武田軍に潜入を開始する。具体的な方法としては周囲を警戒している兵士を一人殺してそいつの装着している鎧などをまとい、武田軍の兵士になりすます。昼間は兵士から、夜間は忍びっぽく敵将の所に潜入して情報を探るか。


 武田の陣は今まで見たどの軍よりもきっちり整備されていた。えーと俺が変装している兵の所属は……武田信繁隊、第3部隊、歩兵6番、ヘ組。マジで細かい。こんなに細かいといくら変装がうまくてもバレる可能性が高いな。同じ組の中だったら会話も多いだろうしそういう所でボロを出しそうだ。軍の規律もちゃんとしているようで織田軍のように喧嘩の声なども聞こえない。


「お、あの軍は強そうだな」

 

 俺が見つけたのは部隊の全員が赤い甲冑で統一されたいわゆる赤備えの騎馬隊。武田で赤備えって言うと山形昌影かな? 


「おい貴様、ここで何をしている? 所属はどこだ?」


 そんなことを考えていると後ろから声をかけられる。見ると身分の高そうな隻眼の将が。慌てて頭を下げ、事情(ウソ)を説明する。


「信繁隊所属の歩兵です。陣が広くて迷ってしまって」

「そうか、この陣は広いからな。信繫様の隊は向こうだ」

「ありがとうございます」

「明日には川中島につく。もうすでに川中島には上杉軍が布陣しているようだ。戦への準備を怠るなよ」

「は!!」


 元気に返事をし、教えてもらった方向に向かう。昼間の調査はここまでかな。もう出発するみたいだし。隊に合流しよう。


 俺の合流した歩兵6番ヘ組というのは5人の部隊だった。そしてどうやら俺(の変装している人)がその長らしい。しかも隊の4人にはとても慕われてるらしくすごい話かけてくる。この人の人柄を知らない俺としては「お、おう」「それな」と適当な相槌を打つことしかできん。


「組長、もうそろそろ出るみたいですよ」

「おう、じゃあ俺らもいつでも出れるようにしておけ」

「あれ? 組長、一人称変わってません? 昨日まで”オイラ”だったじゃないすか!」

「そうっすよ組長! 何かあったんですか!?」

「そーだそーだ!」

「……失、恋?」

「あー、いやえっとその~」

 

 ”オイラ”!? こいつこの見た目で一人称オイラなの!? わかるかよそんなの!! こいつのセンスに疑問を抱きながらもひとまずここはそれに合わせるしかない。


「こ、こんな短期間で、お、オイラが失恋なんてするわけないだろ? ここ戦場だし」

「あれ? 語尾も変わってません?」

「そっすよ!! いつもはなんたら”だべ”じゃないっすか!!」

「そーだそーだ!」

「……や、やっぱり、し、失、恋?」


 ”だべ”!? こいつこの見た目で(以下略)。


「だから、お、オイラがこんな短期間で失恋なんてするわけない、だ、だべ?」


 あってんのかコレ?


「そうそう! それでこそいつもの組長っすよ!」

「そーだそーだ!」

「……平常、運転」


 あってた。


「じゃ、じゃあそろそろいく、べ?」

「了解です!」

「はいっす! 組長!」

「そーだそーだ!」

「……しゅ、出、陣」


 そーだそーだしか喋らないモブすぎるモブがいるが突っ込んでボロを出すのも嫌なのでスルーすることにした。


 俺たちは予定通り翌日に川中島に到着した。武田軍は川中島に到着すると上杉軍の布陣する妻女山の千曲川を挟んだ反対側に位置する塩崎城に入った。おそらく海津城とあわせて妻女山を包囲するための布陣だろう。


 その夜、俺は武田信玄とその家臣たちの軍議に潜入した。床下から盗聴するだけの簡単なお仕事だ。床の板目の隙間から少しだが武田信玄らの顔も把握することができた。


「政虎は妻女山を包囲する構えを見せても動きませんでしたな」

「いっそ本当に妻女山を包囲したらどうじゃ? そうすればさすがの政虎も動かざるをえまい」

「そうすれば動くでしょうが囲んで兵を散らした分こちらが不利になりましょう。あまり得策とは思えません」

 

 老将の意見を若い将が否定する。そしてその発言についにこの軍の総大将武田信玄がついに言葉を発する。


「信繁の言う通りじゃ。今、変に動くことはない。政虎もしばらく動かぬだろう。我らは数日様子を見て政虎が全く動く気配がなければ我らは一旦全軍で海津城に向かう。よいな?」

「「は!!」」


 信玄の声は声量が大きいわけでも、若干低いが低すぎるわけでも、怖いことを言ったわけでもない。だが背筋にゾクッと来る何かがあった。

 家臣たちもあれだけ言い合っていたにもかかわらず信玄の言ったことには反論しない。怖くて意見が言えない、というわけでもなさそうだ。おそらく自分たちの総大将への信頼なのだろう。他にもっと良い策は探せばあるのかもしれない。だが信玄がそう言うんだから大丈夫、という武田家臣団から信玄への厚い信頼があるのだと感じさせられる一幕だった。


「上杉軍に警戒しつつも兵たちの士気は高いままにしておけ。以上だ」

「「は!!」」


 家臣たちが散っていく。だいたい信玄1人で決めちゃったけどわざわざ会議する必要あったのか? あったんだろうな。家臣たちの表情は皆やる気に満ちている。ゲームで言うとバフをかけられたみたいだ。これが戦国最強とも言われる武田信玄という大武将の風格というやつなのだろう。


 家臣たちは全員散っていき、会議場に残ったのは信玄1人。一人で何をするのかと様子をうかがっていると、信玄は何やら立てかけてあった刀を手に取った。

 なんだ? 何するつもりだ?

 信玄は刀をゆっくりと抜くと、それを床に突き立てた。俺のいる所に。


 ッ!?!? バレてた?


 床を貫通して顔スレスレに突き刺さった刃を横目に冷や汗を流しながらも俺は冷静に頭を回す。いつからバレてた? なんで、どうして、どうしよう? だが考えがまとまる前に信玄が話しかけてくる。


「上杉の間者か? よくもまあこんなところまで潜り込んだものだ。出て来い。少し話をする機会を与えてやる」

 

 話? なんなんだいきなり!? 全くわからん。


「むう、無視とはいい度胸であるな。ならば……」


 俺が混乱している間に無視だと断定され刀が再び突き立てられる。何とか避けた。


「出て来い。何、恐れることはない。ここには我一人のみであるぞ」

「……」

「この我と話せることなどそうあるまい。いや、二度とあるまいて」


 安全策を取るならここからさっさと脱出すればいい。だが間違いなく日本の英雄の1人たるこの信玄と話してみたいという気持ちが少なからず俺の中に存在する。


 床下を出て、信玄と1対1で対面する。正面に立って改めて実感する。この異彩なオーラ。威圧感。現代でも戦国最強と言われるこの男。甲斐の虎とも呼ばれるその男の圧倒的な存在感に思わず一歩後ずさり、冷や汗が垂れる。


「さあ、話をしようではないか。上杉の小童よ」

 


 



 


 

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