第6話 竹千代と守役の爺

 信長の命令で30人ほどの農民たちがバケツや樽のようなものをもってきた。

 沼の大きさは30人が手をつないで一周で囲える程度だ。深さもかなりあるだろう。

 その沼から農民たちが一斉に水をすくい始める。


 3時間ほどたった頃、沼の水面は開始時から10センチほど下がっていた。現代に比べるとさすがに効率は悪いが、この人数でバケツで組みだしているにしては効率良い方だと言えるだろう。

 しかし信長は待つのに飽きてきたようでさっきから少しイライラしているように見える。というか命令したんだからお前もやれよ!と思うが自分の主人にそんなことが言える訳もなく俺と犬千代はただ黙々と水を掻き出す。竹千代は信長と一緒に眺めている。


「犬千代、信長様はともかく竹千代もやらないのですか?」

「まあさすがにやらせられないよ。一応、岡崎城主様の嫡子だし。いつも若殿に連れまわされてる方がおかしいんだよ」

「岡崎城主の嫡子?」


 ふとその単語が気になって聞いてみた。


「え?ああ、言ってなかったっけ?竹千代は三河国(現在の愛知県東部)の額田群ぬかたぐんを治める岡崎城主・松平弘忠の息子なんだ。簡単に言えば人質だね。ここも結構複雑なんだけど信長様の父親でここ尾張下四郡の支配者の信秀様と駿河(現在の静岡県東部)の今川義元で三河をめぐって争っていてね。松平弘忠が今川義元に助けを求めたんだけど、今川義元は人質として竹千代を求めたんだ。でも竹千代は駿河に向かう途中、家臣の裏切りにあってここ尾張に連れてこられたってわけさ」


 すっげえ複雑。簡単に言うと人質行くときに裏切られてここにいるってことね。壮絶な人生送ってんな。俺と同い年なのに。

 あと今川義元って桶狭間の戦いで負けた奴だよな?そんな強いイメージなかったけど犬千代の口ぶりからしてかなり強敵っぽい感じだ。


「ちなみに千代松もやんなくてもいい身分だと思うよ?」

「え?なんで?」

「千代松の御父上の坂井大膳氏ももうほぼ清洲城主みたいなもんだからね」

「そうなんですか?清洲城主は織田信友と聞いてますが?」

「実質の権力は君の御父上や織田三位殿が握っている。織田信友には権力なんてほぼないんだよ。だからこんな泥だらけになる仕事はしなくてもいいんだよ?」 


 そうなのか。かなりえらいとは言っていたがそこまでとは。


「でもまあ、信長様にはやれと言われましたし、やりますよ。それにこういうのは嫌いじゃないですし」

「そうか。まあそれもいいさ」



「え?ちょ?信長様!?」


 犬千代と話していると後ろから慌てたような竹千代の声が。振り返るとそこにはふんどし一丁となり、よく鍛えられた筋肉を見せる信長とそれ慌てて止める竹千代の声が。犬千代と目を合わせ、すぐにそっちに向かう。


「若殿!何をなさるのですか?」

「くみ出すのが遅いから俺がとっとと沼に潜って大蛇とやらを仕留めてこようと思ってな!!」


 信長が手に持っている短刀を見せて豪快に笑う。


「そんな!?無茶なさらないでください!!御身に何かっては!!」

「心配するな、犬千代。大蛇などおらん。それを確かめるだけだ」


 そういって信長は短刀を口にくわえ、沼に向けて走り出す。


「あっ!?若!! おい誰か!若殿を止めろ!!」


 犬千代はそう叫ぶがもう間に合わない。

 信長は大きな水しぶきを上げ、沼に潜っていった。

 犬千代は顔面蒼白だ。これで信長に何かあったときに処刑されるのは犬千代だからな。あ、俺もかな?

 だが俺や犬千代には信長の無事を祈ることしかできなかった。

 体感で5分(実際は2分経っていないだろう)経った時に沼から水泡が出てきた。そしてその直後、沼から水草やらなんやらが体に張り付いた信長が出てきた。

 犬千代とほっと胸をなでおろす。


「いかがでしたか?」


 信長に聞いてみると


「おらん。隅々まで探したが大蛇などはおらんかったわ」


 竹千代が信長に手ぬぐいを差し出す。信長はそれで頭を拭きながらさらに言う。


「やはり大蛇なぞおらんかったではないか。こんなのは迷信だ」


 農民たちはその言葉と様子を聞いて様々な反応だ。

 子どもが大蛇がいないことに驚いていたり、老人がたたりを恐れていたり。

 そんな時、後ろから怒った老人の声が聞こえた。


「信長さまぁぁぁ!!何をなされておるのですかぁぁ!!」


 信長はその老人を見ると「やべっ!?見つかった!」という顔をしたが観念したのか軽い感じに返事をする。


「おう、爺。そんなに走ると腰に障るぞ」

「まだそんな年ではありませぬ!信長様は何をされておられたのですか!そんな恰好で!」


 信長の格好はふんどしに身体じゅうに水草だ。そうも言いたくなるだろう。

 っていうかあの老人は誰だ?犬千代に聞いてみると


「彼は平手政秀。織田家の家老で若の守役だ。言わば若の育ての親みたいな感じだね」


 と教えてくれた。まあ高校までの教科書では出てこなかったので知らない。


「まったく!信長様は自分の身に何かあったらどうされるのですか!!」

「あんまり怒るな爺。大蛇なんていないということを証明してやりたかっただけだ。それに俺は無事なのだから何の問題もないであろう」

「それは結果論というのです!!」

「結果論の何が悪い。結果的に俺が生きてここにいる。それで何も問題ないっであろう」


 平手政秀が黙り込む。


「ほら、爺、犬千代、竹千代、千代松。帰るぞ!!」

「はい!若」

「うん」

「はい!」

「ん?千代松?誰ですか?」

「そこの犬千代の隣にいるやつだ。この前家来にした!!」

「はぁぁぁ!?また勝手に!というかよく見たら坂井大膳の一人息子ではありませぬか!?」

「は、はい。そうです。坂井千代松と申します」

「は、はい。これはご丁寧に。信長様の父・信秀様の家老をしております。平手政秀です。って信長様!!坂井大膳の方は大丈夫なのでしょうな!?」

「ああ、問題ねえ。息子をよろしくお願いしますと言われたわ。それよりこいつはすごいぞ。なんと火縄銃を改造してみせた。あの橋本一巴も驚く銃を作ってみせたぞ!

わずか6歳でだ!!」

「な、なんと!?そういえばこの前家と工房を用意しろと言われたのも…」

「ああ、こいつに与えた」

「なんと!?坂井大膳の息子ならもっといい屋敷でも…」

「あ、僕はあれで大丈夫です」

「坂井大膳の息子なのに慎ましい!?」


 おい、どこで驚いてんだ。っていうか十分良い1LDKの部屋だったけど。


「とにかく今度私が坂井大膳の所にあいさつに行ってきます」

「苦労かけるな!爺!!」

「本当ですよ!!」


 この爺さんも大変だな。

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