第12話 境界の番人


 仮に夜明けが僕の終わりだとして。

 その夜明けはあまりにも近く。

 残り夜明けまでおよそ四時間まで迫っていた。


 深夜零時を回り、しばらく経った頃。

「ここ、か」

 高校の裏手にある神社、その社殿の裏。真っ暗なそこに、しかし僕らは不可視の光を感じ取っていた。

「うん。確かにここであってるにゃ。あの時よりゲートの気配はより濃くなってる……多分、いっぱいいろんな精霊が通ったから、安定してきたのにゃ。でも、人間が通ったら」

 一気に不安定になる。戻れなくなるかもしれない。そう言いたかったのだろう。しかし。

「大丈夫。なんとかなる。……なんとかしなきゃいけない」

 僕は言い切った。光を見つめながら。覚悟を決めて。

「そっか。……頑張ってね、侑くん」

 一緒に見送りに来た氷見さんの言葉に、僕はこくりと首を縦に振って。

「じゃあ、行って――」

「ちょっと待って!」

 その氷見さんに僕は腕をつかまれた。

 つんのめる僕に「わ、わっ」と慌てる氷見さん。僕は身体の半分を喪失してるらしいのだから、もう少し優しくしてくれてもいいだろう――という愚痴はさておいて。

 どうにか持ち直した僕に、氷見さんは真剣な目で。

「これだけは約束して」

 口にした。


「――必ず、生きて戻ってきてね」


 こくりと頷いた僕。

 そのときの氷見さんの微笑みは、僕を生かすには十分すぎるほど、暗闇の中で眩しく輝いて見えた。

 唾をのんで、息を吸い込んで、吐き出して。

「……行ってくるよ」

 力を抜き気味に告げ、不可視の光を直視する。

 静かに微笑んで手を振る彼女を横目に――。

「行くにゃ」

「うん。せーの――」

 ――僕らは、見えない光に飛び込んだ。


 ――瞬間、脳が揺らいだ。

「っ――!」

 お前はどうして生きている。

 胃の内容物が喉を焼いて口に押し寄せて……吐瀉物と化して、無い地面に零れ落ちた。

 お前はなぜ生きる。

 その命でどう生きる。

 生存の意義とはなんだ。

 身体がひび割れたような激痛。呻き声。

 指先が土くれのように少し崩れた。

 ぽたぽたと垂れる血液に、僕は思わず悲鳴を上げ――。

「落ち着くにゃっ!」

 うるかの声がした。

 ――どこ、だ。

「あたしはすぐそばにいるにゃ! 見えてないかもだけど……」

 聞こえる耳を澄ましてよく聞くと、彼女の声は確かにすぐ近くから聞こえた。

「……『境界の番人』、通してにゃ。早く、鈴を取り返さなきゃ――」

 境界の番人。たぶん、ゲートの守護者みたいなものなのだろう。

 その声は、脳内に直接響く。

[何故だ。何故通さねばならぬ]

「鈴がなきゃ、こいつの命が危ないにゃ! だから」

[これを生かす意味は果たしてあるのか]

 押し黙るうるか。

 そのプレッシャーは次いで僕に向けられる。

[――問おう。お前はどうして生きている]

 ひっ、と息が詰まった。

[お前はなぜ生きる。仮に生き永らえたとして、その命でどう生きる。生存する意義とはなんだ]

「……」

 何も言えなくなる僕に、境界の番人はなおも[何故、何故]と問う。

 そして、やがて痺れを切らしたのか。

[答えられぬのならば、死ぬがいい]

 そう、告げてきた。

 今度は首が締まりだした。

 呼吸困難になって顔が歪む。呻き声すら出なくなる。

[ヒトはどうして生に執着する。生きたところでその命で何もなさないのであれば、要らぬであろう。そんな命など]

 重くのしかかったその言葉。

 ――僕はなにをしたいんだ。

 鈴を手に入れて生き残ったとして、その後はどうする?

「そこまでにしてにゃ」

 うるかの声。低く、唸るような声。

「このひとは、あたしの大切な人。だから、傷つけようとするなら、いくら番人でも――」

 許さない。そう言おうとしたのだろう。

[一介の精霊に何ができる]

 吐き捨てた番人。緩む首。ぐらりとおぼつかない足元。ゲホゲホとむせる僕。

 その手を誰かが優しく握った。

 ここにはうるかしかいない。が。

 僕の脳内を、様々なひとの幻影が駆け巡った。

 ――僕は一人じゃないんだった。

 深呼吸して、僕は言い放つ。

「……僕は、それでも生きたい」

[何故だ。何故そう言う]


「僕を待ってる人がいるから。……生きてほしいと願う人がいるから」


 少なくとも一人、いや二人。僕を必要としている。

 だから僕は生きる。報いるために、生きなきゃいけない。

[……これ以上の問答は意味をなさないようだ]

 プレッシャーが少し和らいだような感覚がした。

[愚者よ。これ以上足止めするわけではないが――一つ、忠告しよう]

 そうして、目に見えない番人は告げる。

[――あの鈴は危険だ。それを手にして生存するならば、相応の覚悟をせよ]

 もしかしたら、その覚悟を、番人は試したかったのかもしれない。

 深呼吸して。


 世界は明転した。

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