第11話 覚悟と誓いと


 ――半目を開く。蛍光灯のまぶしさに一瞬目を閉じて、もう一度目を開く。

「気がついた、にゃ?」

 耳朶を打つのは雨音。そして、静かな声。

 倦怠感が全身を包む。つぅ、と右頬に流れるのは、涙。

 げほっとひとつ咳をして。

「……ごめん。奪われちゃった」

 ぽつりと口にした。

 手元にもう鈴はなかった。

 あったのは、痺れた感覚と――温かさ。

「ごめんじゃないにゃ! ……わたしが、いまどれだけ悲しいか」

「鈴、奪われたから?」

「違うにゃ! それもあるけど……っ、お兄ちゃん今の状況わかってるの!?」

 怒鳴るうるか。反響。……おかしいな、彼女は僕の幻覚なのに。

 どうして鼓膜を震わせる。どうして、僕の右腕は彼女に掴まれている。

 ――僕は失念していた。


「……いまのお兄ちゃん、片腕と片目がないんだよ?」


 鈴を失ったから、うるかとの融合が解けた。彼女は、もう僕の幻覚ではなくなっていた。

 うるかと僕の身体をこねくり回して一つの身体にして、ようやく僕の魂を受け入れていた。そのつなぎの役目を果たしていたのが魔法の鈴。速い話が接着剤。

 ならば、その接着剤が消えてなくなればどうなるか。当然くっついていたものは剥がれてしまう。

 僕の身体はバラバラに砕け散って、うるかは元通り。鈴は狙われ続ける。

 とはいってもすぐに砕けてしまうわけではないらしい。けれど、うるかと融合していたのは「身体の足りない部分を補うため」。すなわち。

 左の方を見ると、肩から先がなくなっていた。

 残った右手で顔を触る。左目には眼帯がつけられていた。

「……保健室の先生曰く、必要最低限で何とか生きてる状態なんだって」

 片側しか聞こえない耳をすまして、聞こえた声は。

「氷見、さん」

 ぼんやりとした頭。少しづつ右だけの視界にも慣れ始めて。

「全部聞いたよ。その、猫の……精霊の、うるかちゃんから。大変だったね」

 他人事のように――彼女にとってはまさしく他人事なのだろうが――告げる彼女。

「……やっぱり、君だったんだ。魔法少女」

 視界の端に見えたその黒い髪に、猫耳の少女を撫でるその細い腕に、僕は。

「あのあと、どうなったの」

 聞かずにはいられなかった。

「……犬将軍さんは鈴をもって、どっかへ行った」

「魔法少女の正体……ぼくのことは?」

「学校中の話題を独占してる。……明日、教室に来たらびっくりするかもね」

「……いつから気付いてたの?」

「二週間くらい前だっけ、教室で堂々と変身してたじゃん。バレてないと思ってた?」

 いたずらに笑った氷見さん。僕は目を伏せる。

「クラスのみんなが知ってて、でも誰も言わなかったんだよ?」

 明日は大変になるね。そう彼女は笑って見せる。

 ――きっとその明日に僕がいないことを、僕とうるかだけは知っている。

 いや、氷見さんももう聞いたはずかな、と少し後になって気がついて、胸が締め付けられる。

 鈴が、僕の命を繋ぎ止めていた。本来、うるかを助けたあの日に死んでいたはずだった。それが、鈴のおかげで今日まで延ばされていたにすぎない。

 一周回って笑えてきた。

 ああ、詰んだ。人生終わりだ。あーあ、何もかも終わりだ。

 やるせなくて、むなしい。

 結局、友達なんてできなかったな。何にも変わりはしなかった。折角のロスタイム、無駄にしちゃったな。……一人きりのままだった。

 首をゆっくりと動かすと、泣いているうるかを見つけた。

 彼女にそっと手を伸ばす。――届くことはない。

 慰めることさえ、僕にはできないのか。

 鈴を取り返そうったって、この身体じゃ無理だ。

 両脚はかろうじて残っているようだが、それでもとても動かす気にはなれない。動かせたところで、犬将軍の居場所がわからない限り取り返しようがない。第一、時間がない。

 僕には、死を待つしか選択肢はなかった。

 ……もうそれでもいいや。

 いなくなったって、誰も困りやしない。誰も僕を愛さない。誰も僕を必要としない。そのはずなんだから。

 そんなやつが友達なんて……遊びたいなんて……一緒に飯食いたいなんて――生きたいだなんて、望むべきじゃなかったんだ。

 息を吐こうとして、ゲホゲホとむせる僕。

「大丈夫!?」と氷見さんは駆けよって、僕の手を取り――僕は弱々しく振り払った。

「どうして……どうして、氷見さんはこんなにも、僕を気にかける」

 節々を軋ませながら動き出す頭脳。かつて左腕があった部分に言い知れぬ違和感を抱き、思わず右手で触れながら。

「僕なんて、いてもいなくても変わらないはずなのに!」

 静かに、しかし情感を込め口にした言葉。

 氷見さんはハッとしたような顔になり、そして悲しげに笑った。

「そうなんだね。君は、そういうふうに思ってたんだ。自分のこと」

 どういうことなのだろう。僕は当たり前のことを言っただけなのに。

 誰も僕を愛さない。誰も僕を必要としない。だからこれでいい。

 ――そう、思っていた。思い込んでいた。

「君への応援も、届いてなかったんだね」

「応援……?」

 疑問。そんなものあったか?

「そう、応援。……あのとき、みんなで声を上げて、がんばれー、負けないでーって応援してたんだ」

「……誰に」

 わかり切っている。でも、確証がない。確証がほしいわけじゃない。

 ――否定してほしかったんだと思う。

「他でもない、君に」

 そう答えられた瞬間、僕は思わず叫んだ。


「嘘だ……っ!」


 肺の機能まで弱くなっているらしい。弱々しい叫びとともにゲホゲホとむせて、ひくっとしゃくりあげ。

「嘘じゃないよ」

 そんな甘言に騙されるものかと、唇を噛んだ。

「……わたしは聞いてたにゃ。彼の中から」

 目を伏せ話し出すうるか。

「この一か月半、ずっと一緒にいたからわかるにゃ。ずっとずっと、クラスのみんなから気にされてたにゃん。……まさか聞こえてなかったなんて、思わなかったにゃ」

 嘘だろうと言いたかった。冗談だろうと言いたかった。

 けど、否定したくてもできなかった。

 いつも軽々しい冗談ばかりのうるかの真剣な声音が、そうさせてくれなかった。

「話が通じないのも当然にゃ。だって聞いてないんだもの」

 ――僕は、いままで「周りから孤立させられている」と思っていた。

「君とずっと話したかった。実は一年生の頃から。偶然話せたあの日まで。……いつも逃げるんだもん。ほかの人とも、誰ともしゃべろうとしなくて」

 確かにそうだった。氷見さんの言うとおりだ。

 ようやく気付いた。気付かされた。

 僕は孤立させられてたんじゃない。


「まるで、一人でいたかったみたいに」


 ――自分から、孤立してたんだ。


 誰も僕を愛さない。誰も僕を必要としない。その反証。

 みんな――そのみんなが誰を指すのか、見当がつかないけれども――大勢が「僕」を見ていた。愛していた。……必要としていた。

「……はじめて君が挨拶してくれたあの日、何があったのってみんなびっくりしてたよ」

 過去を言い訳にして、見て見ぬふりをしていたんだ。

「いつも何考えてるかわかんないからさ」

 何も言わず、ただ殻に閉じこもってばっかりで。

「今日だって、クラスのみんなが……先生も、魔法少女を応援してた人たちまで、いろんな人に頼まれてここに来たんだよ……?」

 逃げて、逃げて、そっぽを向いて、無視して。

「……わたしも、とっても心配で……!」

 暗い信念を育てることに夢中になって、耳をふさいで目を閉じて、何も言わずに。

 ただ、負の思想の無限ループを加速させていたんだ。

 そうしてグロテスクなほどに育ち切った強い思い込みが、固まった信念が、歪み切った認知が、いままさに崩壊していく音がする。

 だから、向き合わなきゃいけない。負の思想を壊すために。誰かに愛されるために。必要とされるために。


「死なないで。生きて、帰ってきてよ! 魔法少女(ゆう)くん!」

 ――祈るような、その泣き叫びに。


 このまま、逃げたまま勝手に消えるなんて虫のいいこと――彼女が、僕を応援してくれた人たちが、許すわけがない。新しい僕が、許さない。

 誰も悲しむことのないハッピーエンド。その道筋を、ようやく見つけ出したから。

 僕は起き上がる。ずっと伏せてたベッドから。

 軋むベッド。片腕を器用に使って、どうにか床に足をつける。

「大丈夫、にゃ?」

「うん。僕はもう平気さ……っとと」

 よろめき、倒れそうになるけど、どうにか持ち直し。

「行かなきゃ」

 ぽつりと、僕はつぶやく。

「どこに?」

 氷見さんに問われる。

 すう、はあ。深呼吸して。

 覚悟をもって、宣言した。


「僕の命を、取り返しに」


「足、震えてるよ」

「……武者震いさ」

「ふふ、かっこつけてるにゃ」

「う、うるさい!」

 照れくさくなってそっぽを向いて。

 ……おかしくなって、やがて氷見さんが笑い出した。

 うるかも笑いだして、僕もついつられて笑った。

 心が、すっと軽くなった気がした。

 人と接するって、案外楽しいものなのかもしれない。

 呪いが解けていくような感覚だ。

 長く抱いてきた「どうせ誰ともまともに話せるわけがない」という学習性無気力の呪いが、ぽろぽろと崩れ壊れていく。

 不意に涙が出た。

 こらえてきたけどだめだ。溢れてくる。情緒不安定だ。

「今度はどうしたの」と優しく聞く氷見さんに、僕はただ。

「ありがとう……ごめん……ありがと……」

 わけもなく呻くように告げたのだった。


「落ち着いたにゃ?」

「うん……ぐすっ、もう、だいじょうぶ」

 軽くしゃくりあげながら、僕は深呼吸して。

「それにしても、犬将軍の居場所の算段はついてるのかにゃ?」

 ……僕は深呼吸して。

「ごめん、わかんない」

 深呼吸でごまかしながら、告げた。

「わからないのに言ってたんだ……」

 呆れる氷見さん。まあそりゃそうだよな……。

「でも、精霊世界の入り口ならちょっと心当たりがある」

「……もしかしてあそこにゃ?」

「うん。うるかもわかるはず」

 僕はこくりと頷いて、頭にある場所を口に出した。


『学校裏手の神社!』


 ――だいたい一か月くらい前だろうか。大型連休前のこと。

 その時戦ったプードルの犬人間。それが学校裏手にある小さな無人の神社、その手入れされていなさそうなボロボロの社殿の裏で、忽然と姿を消した。

「いま思い返すと、あの犬人間はきっと犬将軍の元に逃げたんだと思う。とすれば、あの神社はもしかすると――」

「犬将軍さんのところに繋がってる……ってこと!?」

 そういうことだった。氷見さんの言葉に、うるかが続ける。

「本来、精霊世界への出入り口――仮に『ゲート』と呼ぶけど、それは結構いろんなところに存在するにゃ。この町にも結構多く存在してるにゃん。けどにゃ、犬人間の国に行けそうなゲートは今までなかった」

 そう説明して、しかしうるかは淡々と、僕を見据えて告げた。

「……いけるとしたら、あそこが一番可能性が高いにゃ」

「そうか。……なら、話は早い」

 僕は首を縦に振って、告げた。

「そのゲートに飛び込む。それで、どうにかして魔法の鈴を奪い返す」

 言葉に、うるかは。

「……そんなの無茶にゃ」

 僕の目を見つめながら。

「ゲートに入ったとき、肉の器は逆に邪魔になる。精霊の世界は精神生命に都合がいいように作られている」

 僕の、なくなった腕と眼帯に包まれた目を、満身創痍で息をする僕を見ながら。

「……しかも、このボロボロな体……どうなるか、わからないにゃん」

 心配そうに、あるいは諭すように口にした。

「でも、どちらにしろ行かなきゃ死ぬから――」

 そうやって説明しようとしたのもつかの間。

「やだ!」

 うるかは、僕に抱き着いてきた。

「もう大事なひとを失いたくない!」

 少女は叫ぶ。

「鈴、なら……わたしが奪ってくるから……! それでお兄ちゃんが戻ってくるなら……なんだってできる、にゃ、わたし」

 泣きながら訴えるうるか。

「だから――」

 縋るように、囁いた。


「――いかないでよ、お兄ちゃん」


 悲痛な叫びに、胸が締め付けられる。

「でも、行く」

「なんで?」

 僕に抱き着きながらうるかは、泣きそうな声で尋ねた。

 ――深呼吸して。


「……これは、僕の試練だから」


 きっと、神様は僕を試してるんだと思う。

「僕がやらなきゃ、きっとできない気がするんだ」

 根拠のない、そんな確信だけが脳内を渦巻いていた。

「でも……でも……!」

 涙を流して、しかし言い返せないうるかに。

「……でも、一人じゃ心細いから」

 僕は目を細めた。

「一緒についてきてくれないか。僕の半身として」

 彼女のその温かい体温に、ふかふかな体毛に触れた。

 ゆっくりと撫でた彼女の頭。

 すっと呼吸音。細くなって、すぐに大きくなる瞳孔。リラックスしたかのように、息を吐いて。

「……仕方ない、にゃ」

 少女は優しく微笑んだ。

「お兄ちゃんは絶対に死なせない、にゃん!」

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