第7話 小さな鈴を知らないか


 朝、教室。

 イヤホンを外し、外界と分け隔てるものがなくなった僕の耳に「おはよう!」と威勢のいい挨拶が飛び込んできて、ぼくはひゅっと息を詰まらせる。

 ……隣の席の、氷見さんだった。

 驚きに震える息とともに、僕もぎこちなく口角をあげ。

「お、は、よう、ござい、ます……」

 蚊の鳴くような声で挨拶を返した。

「あの吉水くんが挨拶した……」

「天変地異の前触れか!?」

 にわかにざわめく教室。いや、ざわめいているのはいつもか。

 ともかく、平和な朝の時間。

 ――の、はずだった。


「やあ、若い人間諸君。……小さな鈴を知らないか」


 それは突如、僕らの教室の真ん中に現れた。

「ふむ、座標を魔法力レーダーの位置にぴったり合わせたのだが……まあよい」

 凛とした低めの女声。しかし、名も知らぬクラスメイトの机の上に降り立ったその女――女らしきものは、しかし。

「……犬人間だ。マジの犬人間だ」

 誰かが呟いた。その犬人間としか呼べないような奇妙な外見のナマモノに対して。

 体は確かに女性だ。中華風の高貴そうなドレスを着た、胸も尻もたわわで一見した男性を魅了させるような身体。しかし、奇妙なのは首から上。

 ――その美しい身体の上には、ゴールデンレトリバーの美しい犬首がついていた。

 両方とも綺麗であることに変わりはないのだが、バランス感がおかしいせいでとても珍妙に見えてしまう。

 それが犬人間。

 ――魔法の鈴、すなわち僕の命を狙う、僕の敵だ。

「我は『八十七代目犬将軍』。犬人間たちの長だ。探し物さえ見つかればこれ以上危害を加えることはないと約束しよう」

 これ以上、むやみに犬人間の戦士たちを戦闘不能にするのは心苦しいのでな。犬将軍と名乗った彼女……彼女? は、冷静沈着に告げる。

 静まり返る教室。名乗り出る人間は、誰一人いない。

 だってそうだろう。肝心かなめの魔法の鈴は、僕の命を繋ぎとめているのだもの。

 静寂。緊張感。ピリピリとした空気。

 長い長い、およそ一分が過ぎた頃。

 チャイムが鳴った。

「ホームルーム始めるぞー……一体全体どういう状況だ?」

 担任の女性教師が面倒くさそうに、しかし声を低くして尋ね。

「申し訳ないな、女。一見するにこの場所をすべるものと見受けられる。どうやら、この人々の中に私の探し物を隠している者がいる様で……」

「出てってくれませんかねぇ。いまからホームルームなんで。早く出てかなきゃ、不法侵入ってことで通報しますよ?」

 犬人間、それも将軍を名乗る化け物相手に怯みもしない担任。

「いまなら見逃しますから。お縄につきたくないなら早くうちの教室から――」

 脅す担任に、しかし犬人間は不敵に笑って。

「ちょうど、私も堪忍袋の緒が切れたところだ。力ずくでも探し出し――奪い取る」

 一瞬、教室全体が眩く光って、僕は目を腕で覆って――。


「いでよ、血我割故万胴チワワコマンドー部隊!」


 目を開くと、そこには四人の男が立っていた。

 筋骨隆々の身体。半裸で筋肉を魅せつつ、しかし首は可愛らしいサングラスをかけたチワワで。

「スッゾコラァァァァァァァ!!」

「問答無用ァァァァァァ!!」

 どこかから取り出したバルカン砲を一斉に両肩に装着した。

「伏せろ!」

 男子生徒が叫んだ。

 計八門の肩バルカン。机の下に隠れる僕たち。

 隠れる一瞬を見逃さぬよう、犬将軍は宣言するのだ。


「掃射ッ!」


 瞬間、炸裂音。割れる窓。弾痕。悲鳴。

 その中で僕は――奇跡を願った。

 誰にも当たりませんように。誰も死にませんように。

 折角友達になりそうだったのに、こんなところで喪いたくはない!

[おう、了解した]

 ポケットの中にしまっていた鈴がちりんと鳴った。

 炸裂音。割れる窓。弾痕。悲鳴。

 冷える肝。詰まる息。震える体。

 震える声で、小声で唱えた。

変身ドレスアップ

 その言葉は、瞬時にして僕を魔法少女へと着替えさせる。

 長い長いバルカン掃射が終わる。

 ふたたび、訪れる一瞬の静寂。

「逃げよう。逃げるぞ……俺は逃げる!」

 誰かが叫んだ。


「逃げろッ!!」


 生命の危機を悟った少年少女。一斉に教室の出口へと向かう。

「追え。逃がすな――」

「いいや、追う必要はないさ」

 僕は机の下から這いずり出ながら、犬将軍を睨みつけた。

「何故だ。そしてお前は誰だ」

 犬将軍の問い。クラスメイトは、立ち止まって、その第三者のほうに振り向いて。

「魔法少女……」

 氷見さんが、口にした。

 ――なんで、彼女が。

 でも、いまは関係ない。

 不敵に笑って、チョーカーについた鈴を、ちりんと鳴らした。


「鈴はここにあるからさ」


「ならちょうどいい。それをこちらに引き渡せ。……そうすれば、危害は加えない」

 犬将軍は、真顔でこちらを睨みつけ、どこかから取り出した扇子をこちらに差し向ける。

「最終通告だ。二度はない」

「渡せと言われて渡す馬鹿がどこにいる」

 そして、彼女は口角を上げた。

「よろしい。戦争だ」

 犬将軍の横には、ムキムキのチワワの犬人間――チワワコマンドーたちが控えていた。

 僕を取り囲むように立っていた四体のチワワコマンドーは、バルカン砲の銃口を僕に向けていて。

 直後の運命を悟ると同時に、聞こえたのは。

「チェックメイト」

 犬人間もチェスを嗜むものなのか。

 バルカン砲が火を噴いた。

 しかし。

「キャットサマーソルトッ!」

 吹き飛ばされるのは、チワワコマンドーのうち一体の顔面。

 ――命中直前に銃弾を避けるのは、至難の業だった。

 ニッと笑う僕。かかと落としで潰したチワワコマンドーの身体を踏み台にして、僕は隣に立っていた別のチワワコマンドーに拳を向ける。

「ネコ……パンチ!」

 立体的な軌道。間一髪の不意打ち。向けられた拳は避ける間もなく――。

 瞬間的に、二体のチワワコマンドーが爆散した。

「な、なにが」

 驚愕する犬将軍に、僕は笑う。

「王手をかけるにはまだ早かったみたいだな……!」

 そして、犬将軍を狙う――が。

「そちらこそ、甘いな」

 円弧の軌道を描いた足は、しかし犬将軍の細腕に止められた。

 地面に降り立とうとする僕。すかさず彼女は命令を下す。

「やれ!」

 残ったチワワコマンドー二体の、同時に振り上げられた豪腕。しかし、地面に到達する前に、目標は……僕は消えていた。

 彼らの背後に、僕は移っていた。

 愚鈍なチワワコマンドーの動きを見てから予測して回避するなんて、いまの僕には造作もなかった……というのは流石に過言だが。

 その事に気がついた彼は咄嗟に腕を振り回して後ろに攻撃するが、時既に遅し。

 首は既に蹴飛ばされていた。

 爆散する一体。もう一体にも狙いを定める。しかし。

「素晴らしいな魔法少女。私自ら偵察に来た甲斐があった。……帰るぞ、チワコマ四号」

 チワワコマンドー、略してチワコマか。

 四号と呼ばれたその個体は、チッと舌打ちをして肩からバルカン砲を外し、懐にしまった。

 様子が変わった彼らを僕は訝しげに観察し。

「……さらばだ魔法少女。今度は万全に準備して来るとしよう。その日まで鈴を預けておく」

 またもや教室は眩く光り――破壊の痕跡すら残さず、つまり来る前の状態に戻しつつ、彼女らは去っていった。

 僕らの記憶に爪痕を残して。


 そう。僕らの記憶や、写真には残ってしまっていたらしい。

 歓声が上がった。

「魔法少女……本当にいたんだ!」

「こうして犬人間から私たちを守ってくれてたんだわ!」

「すっげえ……超かわいい……」

 口々に僕を湛えるクラスメイト達。いや、この騒動を聞きつけて集まってきたほかの生徒たち、さらに先生方までも、廊下に集まっていて。

 教室の廊下側の壁にはガラス窓。つまり、教室内は廊下から丸見えなのである。

 状況を理解するまで、約三秒。いまの僕は魔法少女――つまりはロリータ女装姿。

「……あぅ、これは、その」

 赤面する僕。衆目。エラー。ちょっとあたしに任せるにゃ、と幻ちょ……っと待て!


「ま、魔法少女、参上だにゃんっ!」


 猫っぽいポーズ。おいやめろうるか!

 どうやら僕のなかに共存している存在はやろうと思えば僕の身体を乗っ取ったりできるらしい。体が融合してるのだから、すなわち彼女も僕の一部なのだから、当然と言えば当然なのだろうけれども。

 というわけで、気がついたら僕は衆目に向かって「にゃん」なんてあっざとい語尾とさらにかわいいポーズをきめてしまっていた。

 僕の、というか男の、というか変態女装男のそんな姿に需要なんてあるか? 否ッ! 断じて否定したい!

 ――否定、したかった。


 実際に上がったのは、黄色い悲鳴だった。


 かわいいかわいいともてはやされる僕。そして涙目になっていく僕をもみくちゃにする生徒たち。あきれた目で「おーい、そろそろホームルームだぞー」なんて言ってる教師。

 混沌に包まれた二年二組の教室前。きんこんかんこんと、チャイムはあたかもその役割を放棄したかのように空しく響いたのだった。


 こうして名もなき魔法少女という、学園のアイドルが誕生してしまったのであった。


 僕は頭を抱えた。どうしてこうなった!


    *


 どうにか逃げ出した階段横のスペース。そこで変身を解除、普通の男子高校生に擬態した僕は、色々と落ち着いたタイミングを見計らってささっと教室に戻る。

 ……一瞬、大量の視線が向けられた気がして青ざめ。

「あ、吉水くんはおなか痛くて保健室に行ってたみたいです」

 氷見さんの言葉に、教室中が笑いに包まれた。

 なんとかなった。ふうっと息を吐いて、席に座る。

 魔法少女についてのひそひそ話が授業中も聞こえてくるのがわかって。

 ……本当にこれでよかったのだろうか。少しだけ、喉が苦しくなった。

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