第6話 笑顔の仮面


 きんこんかんこん、と授業終わりのチャイムが鳴り、教室。僕はいつも通り後方の席に座っている。

 教室中魔法少女の噂で持ちきりだ。氷見さんも、友達と楽しそうに、魔法少女の話をしていた。

 ゴールデンウィーク明けからしばらく経った休み時間の教室。生徒たちはいくつかのグループに別れ、教室の様々な場所に固まりをつくって談笑している。

 そしてどのグループからも取り残された僕は、一人きりペットボトル入りのカフェオレを口にして、息をつく。

 どうせ僕はずっと一人きりですよ。

「お兄ちゃんは自分を悲観、というか卑下しすぎにゃ」

「うわぁびっくりした」

 びくりとして周りをみると、真横にうるかがいた。

「突然声をかけないでくれよ……」

「ごめんにゃ。……というか周りの目とか気にならないにゃ?」

 いまのうるかは幻のようなもので僕以外には姿も見えないし声も聞こえない。つまりいまの会話は他の人から見れば全て、いない人間との会話という一人芝居。だが。

「大丈夫、僕を見てる人は誰もいない」

「……」

 もの言いたげなうるかを横目に、僕はため息を吐く。

 こうして一人で喋ってるのを見られたところであまり問題はないだろう。ぼっちを拗らせすぎてついにおかしくなっただけだとしか思われまい。なんなら自分でも半ばそう思っている。

「たぶんどこかに君を心配してるひともいるかも、なんて考えないのにゃ?」

 そんなことを聞かれ、僕はわずかに考え込み。

「考えないことにしてる」

 と答えた。……胃がキリキリと痛み出して少し涙がこぼれそうなのは、きっと気のせいだろう。

「……なんで? なんで君はそんなに……」

 心配そうに訪ねてくるうるかに、僕は語気を強めて。

「それが正当な、僕の自分自身に対する評価だからさ」

 言い切った。

 僕は元来弱かった。小学校の頃、クラスメイトに女顔なのをいじられたのが始まりだったが、それから少しずつ女々しい性格やどんくさいところ、挙げ句には僕という人格や存在まで否定されて。

 それが言う通りで、僕は駄目な存在だと刷り込まれた。地元の中学校でも同じで、誰も知らないところに逃げたくなって――。

 ……もうこの話はやめよう。すう、はあ、と深呼吸をして、次の授業の準備のためにカバンの中身を漁る。


「どうしたの?」


「わっ、うる――えっ」

 慌ててうるかの名前を呼ぼうとして、一瞬で声色が全然違うことに気付き――声の方向に向くと、そこには予想もしなかった人の姿があった。

「うそ……氷見さん」

「いや、ちょっと独り言にしては声が大きかったから、気になっちゃって。どうしたの?」

 僕は固まった。教科書を取り出しながら。

「あと、今日は五限までだよ? 職員会議で六限目潰れちゃったの、聞いてなかった?」

 しまった。今朝は朝のホームルームを一限目ごとサボっちゃったから……。

 僕は聞きそびれてた情報に目をぱちくりとして固まって。

「……ア、ハイ、キイテナカッタデス、ゴメンナサイ」

 すごい棒読みでかくかくとしながら答えた。

 現世に顕現した慈愛の女神こと氷見さんは、影が薄いもとい皆無に等しい僕の事すら目にかけてくださるらしい。

 一周回って不信感すら湧いてくるほどの出来事に、しかし僕の心臓はバクバクと強く拍動していた。

 きっと漫画的表現では目がグルグルしているのであろう。それほどに僕は酷く緊張し、また興奮していて。

「あと、もうみんな帰っちゃったよ。ここに残ってるのは、わたしと君だけ」

 周りの状況にも気付いていなかった。

「うっそ……」

 茫然として僕はつぶやき。

「いえ、あの、はい。ぼ、僕ももう帰りますから――」

 すぐに我に返って早口で言い放とうとする僕の細い手首を、彼女はばしっと強く握りしめて。

「――どうせだし、一緒にお話ししたいな。昨日のこともあるし。だめかな、吉水……侑、くん。あってるかな?」

 わずかに頬を染めて照れくさそうに僕を見つめた彼女。

 身長、同じくらいなんだ。……いいにおいする……。

 はじめて触れた少女の手の温かさに、僕は息が詰まりそうになって。

「は、はひ――」

 答えたと同時に。

「おーい、そろそろ下校しろー……って、悪かったな」

 教師が飛び込んできた。見回りに来たらしい。

 なにが悪かっただ。何を勘違いしたのだろうと先生を小一時間問い詰めたくなったが、これから職員会議をするその人を無駄に拘束するわけにもいかない。

「じゃ、じゃじゃあ僕はこれで――」

「――どうせだし一緒に帰ろうよ!」

 今度は腕を組まれた。

「お前らいつの間にそんな関係に!?」

 どんな関係だ! そう突っ込みたくなったが、呼吸をするたびに氷見さんのいい香りが鼻腔をくすぐり、二の腕にあたる柔らかい感触が男性の本能を刺激し。

「や、やめて……胸当たってる、です……」

 ふにゃあ、ととろけそうになりながら弱々しく反論するしかなかった。

「ふふ、かわいい」

「かわいいとか言わないで……僕は男ですよ……」

「あ、いまの魔法少女ちゃんみたい!」

 はっと口に手をやる僕と、ぱあっと微笑む氷見さん。

「いちゃつくのも大概になー」

 先生は半眼で口にした。いちゃついてなんかない……と反論するには、あまりにも説得力がないことはもうわかり切っていた。

 ……これでもほとんど話したことないはずなのに。どうしてこうなった。


 というわけで。

 僕と氷見さんは二人で並んで歩いていた。

「帰り道も同じなんて、奇遇だね」

 こくり、と首を縦に振る。同じ方向だったので必然的に一緒に歩くことになってしまっただけだと自分に言い訳しながら、僕は目を逸らし。

「侑くんっていつも一人でなにしてるの?」

「……ええっと……」

 教科書や辞書を読んでるって言ったらどう思われるだろうか。……流石にドン引かれかねないな。もうちょっとマシな言い訳――。

「あ、言えないなら言わなくていいから! ごめんね!」

 ……氷見さんは優しく微笑み、僕はそれに甘えることにして。

 結果として非常に気まずい沈黙が場を支配する。

 風。木々のざわめき。呼吸音、そして心音。

「……昨日、助けてくれてありがと」

 彼女はおもむろに口にした。

「いや、そ、そんな……ど、どういたしまして?」

「あはは、緊張してる。昨日はあんなにかっこよかったのに」

「そ、そりゃ……昨日の僕は、正義の炎に浮かされてた、的な」

「なにそれ」

 おかしそうに笑う彼女。照れくさくて目を逸らした。

 そんな僕に、彼女は問いかける。

「ねぇ、なんで私を助けたの」

 なんでと聞かれましても。

 僕はぎこちなく考えるふりをして。

「……助けたかったから、ですかね?」

 逡巡の末に答えると、彼女は、今度は真剣な声音で問う。

「それは、わたしだから?」

「違う!」

 即答だった。条件反射のような速さで繰り出した回答に、僕ははっとして。

「えっと、これは、あの……」

 しどろもどろとどうにか理由を言おうとする僕を、彼女は「ふふっ」と笑った。

「侑くん、この街の出身じゃないでしょ」

「えっ、なんでわかったんですか」

「ないしょ……って答えたかったけど、特別に教えたげる」

 彼女は今度は悪戯に笑いながら、告げた。


「この街のひとは、わたしを特別だと思ってるんだ」


 ――或る街に、それはそれは美人で有名な一家がありました。

 美の血筋、とまで言われたその一家の子は才にも恵まれ、代々一流企業の社長として身を立てていたそうです。

 しかし、ある一人の子は、「普通」でした。

 見てくれこそ平均以上ではありました。しかし、それだけでした。

 なにをやっても平均以上にはいけない。心も人並みに強く、人並みに弱い。

 長女ではあったので何かと優遇はされたものの、相対的に「弱い」彼女は、「強くあらねばならない」その家族からは疎まれ続けました。

 その事実を、周りの人は知りません。

 優秀であるはずの彼女を、人々は幼い時から特別扱いし続けました。

 彼女は特別だから、なにをやらせても大丈夫。彼女は特別だから、なんでもできる。――特別だから、傷つけられたって平気。

 彼女は「普通」でした。なんでも普通にしかこなせないし、そもそもなんでもはできないし、もちろん傷つけられて平気なわけもありません。

 だから、仮面を被ることにしました。――傷ついても平気な、笑顔の仮面を。

 水をかけられても、ナイフで刺されても、首を絞められても、食事を抜かれても、金をとられても、土下座させられても、小便かけられても、靴をなめさせられても、泥水をすすらされても、犬の糞を顔面に押し付けられても、殴られても、蹴られても、きっと殺されても――――――平気な仮面です。

 仮面の下の表情がどんなだったか、彼女は忘れてしまいました。

 でもそれでいい。そう思っていました。


「昨日、君に助けられるまでは」


「君はきっと、誰でも平等に救ってくれるから」


「本当の――普通の女の子のわたしを見てくれてる気がして、嬉しかった」


 そう言って、彼女はあたかも一輪の花のように儚く微笑んだ。

 その微笑みに何が隠されているか、僕には知る由もない。

「だから、君と友達になりたいの。いいかな」

 彼女の微笑みに、僕は。

「こ……こっちこそ、よろしく」

 ぎこちなく目を細めたのだった。


 大きなお屋敷の前。

「わ、これが……」

「私の家。一緒に帰ってくれてありがとね」

 また微笑んだ彼女に、僕は少しだけ見惚れる。

「どうしたの?」

 キョトンとする彼女。

「なんでもないです」

 答えると。

「へんなの」

 そう言ってまた笑う。コロコロと種類の変わる笑顔に、こっちまで絆されてしまいそうだ。

 ……きっとこの瞬間は夢なんだろう。白昼夢、というやつ。

「じゃあね、侑くん」

 微笑んで手を振った彼女。僕は振り向いて、走り出した。

 なぜ走ったか。――そこまで意味はないけど。

 風を切る感覚は僕を心地よくさせる。

 氷見さんにつられたのか、僕の口角も少し上がっていた。

 夢、か。こんな夢も、悪くはないな。

 そんな風に思って。

 ――夢から覚めたら、僕はまた一人きり。そのはずなんだ。

 そんな事実に、なんでか胸が痛くなった。

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