生きてく都合上関係ない話として

むきむきあかちゃん

生きてく都合上関係ない話として

何だか本当に何もかも虚しいときはある。

誰かと繋がっていたい気はより一層するのだけど、そういうときに繋がろうとすると大抵失敗する。

親切も愛も近くにあるのに、そういうときは視野が狭いので気がつかない。

虚しくないときはそこそこどんな繋がりにも気づくし、幸せな気持ちでいられるのに、ふとそれがさっぱり見えなくなるときがあるのは何故かわからない。


多分何に関してであれ、そういうとき私が欲しているものは常にそもそも存在し得ない、身のない何かだ。

でも欲しいので仕方がない。きっとそういう時期が来るたびに、また全部忘れて探しもとめて、再び我に返って自己嫌悪に陥る。


冗談でも何でもなく本気で、日本はそこそこ近くに愛も親切も転がっている国だと思う。

満員電車では隣の人のことを想うし、街中ですれ違った人の財布が落ちたら拾って返す。Twitterの見も知らぬ人の不幸なツイートに優しい言葉をかける。

それがどういう経緯で出来た愛であれ、その愛の産物を享受できる環境がこの国はかなり整っていると思うのだ。

それでもその愛を素直にもらったり差し出したりできるかは結局その人次第なんじゃないか。


だとして誰にでも尽くせる人、誰にでも愛を差し出せる人はこの世に存在するのか?

私の知るその可能性がある人のうち、3分の1は単純に断れないだけで、もう3分の1は履歴書に書きたいだけだった。

じゃあ残りの3分の1はというと、どう見ても純粋な気持ちで愛を差し出しているようにしか思えない。


―――なあ、お前らはなんでそんなことできるん?損得勘定とかしたことないの?それが最終的に得だって知ってたりするの?


私も長らく彼ら同様の博愛主義者のつもりなのだが、行動が伴っていないので実際は違うんだろう。

私も彼らみたいになりたいけど、こんな文章を書いてる時点でまあ死ぬまで無理なんでしょうね。


こういうことを後散るのは文章だけにして、せめて外面だけでも博愛で在らしめてください、神様。



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生きてく都合上関係ない話として むきむきあかちゃん @mukimukiakachan

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